龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

日本を破滅に導く朝日新聞の病理

検証委員会というものの裁定に公正、中立を期待することは、そもそも無理なのかも知れないが、「あいちトリエンナーレ2019」の中止に至った経緯についての検証ほど一般的な国民意識から乖離した、牽強付会はないのではなかろうか。

https://www.asahi.com/articles/ASM9T528KM9TOIPE023.html

愛知県の検証委員会ということだから、当然、愛知県大村知事の考えや意向を踏まえたものなのであろうが、それにしても公的なものとすれば中身が酷過ぎる。思想の右左の問題ではなくて、こじつけのレベルがあまりにも低すぎると言わざるを得ない。日本の言論は、一体何をしているのであろうか。簡単に要約すれば、混乱の原因は全て津田監督のリスク回避の運営上の責任であって、企画自体には問題はなかったと結論付けるものであり、その反省を踏まえて環境と条件を整えた上で、大村知事の意向通りに再開へと導くための検証結果が示されている。慰安婦像や昭和天皇の肖像が燃える映像作品に関しても、「作者の制作意図等に照らすと展示すること自体に問題はない作品だ」とした上で、「政治性を認めた上で偏りのない説明」が必要だと指摘しているとのことである。いかにも左翼的な論説とでも言うのか、朝日新聞が好みそうな斜視的な主張で、その道理に付き合うには受け手の精神もその鋳型に合わせて、古代中国で行われていた纏足のような「矯正」措置が必要なのであろうが、政治的なプロパガンダであってもその政治性に問題があるのではなくて、「偏りのない」説明がなかったことが失敗の原因であったと結論付けているものである。何なんだ、その独り善がりの歪な説明はと、馬鹿らしさに呆れかえると同時に、そういう下らない結論を導き出すための検証に時間と金が費やされていることに怒りが冷めやらない。大村知事は、国の補助金交付が中止されたことに対して、「合理的な理由」がないと提訴をする方針を表明しているようであるが、合理的な理由も何も、多くの国民が反日的な政治プロパガンダを税金を使って実施されることに反感と不快感を有していることは事実なのであるから、その国民感情を無視してまで強行する根拠と意義があるのか、ないのかということではないのか。津田監督の作品に対する事前の説明責任ではなくて、愛知県がその根拠と意義を全ての国民とまではいかなくとも、大多数の国民の賛意と同意を得ないままに反日的な意図を持った芸術展を再開させようとすることは、愛知県や朝日新聞が主張する「検閲」や「表現の自粛」などの反民主的な問題などではなくて、むしろその独善姿勢が政治的な独裁に流れゆく危険性が高いと言えるのではないのか。ナチスも政治的に都合の悪い芸術は退廃芸術として弾圧、追放し、ナチズム推進のためのプロパガンダはポスターや音楽などにおいて最大限に利用したものである。大村知事や愛知県が検証委員会を通して問題性はないと肯定している慰安婦像や昭和天皇の肖像を燃やす映像は、ナチスの芸術利用と本質的にどれほどの隔たりがあると言えるのであろうか。

朝日新聞の記述の仕方は、今更ではあるが非常にたちが悪いところが多くて、悪意のようなものが感じられるものである。たとえば、同記事によれば「報告によると、企画展が始まった8月1日からの1カ月間で電話やメールなどテロ予告や脅迫を含む計1万379件の抗議があった」と一見、事実をありのままに報道しているように見えるが、その実において、全ての抗議をテロ予告や脅迫と同質のもののように印象操作していることは明らかである。また検証委員会による報告として、「展示室内はおおむね冷静だった」「展示を見ていない人がSNS上の断片映像を見て」などと述べているが、要するに、実際に展示会場に足を運んでいない人間が抗議しているだけで、展示会場に見に来ている人々は冷静で何ら問題は発生していなかったのであるから、展示内容に問題がなかったと言っている訳である。これは思想の偏向性というよりも、もっと初歩的な日本語の伝達、読解能力の問題ではないのかという気がする。美術展の会場が展示内容に関わらず冷静なのは当たり前のことであって、右翼の街宣車によるような拡声器を使った抗議活動や、或いは作品の破壊活動が現場でなかったことから、展示内容は来館者に肯定されていたとでも言いたいのであろうか。それではあまりにも幼稚な思考回路である。展示を見ていない人が断片映像を見て批判している、とは言うが、慰安婦像や天皇の肖像を燃やす映像作品が展示されていたことは事実なのであるから、それらの作品を展示会場で実際に見ることと、展示会場には行かなくともその事実をネットで知って抗議することの間に果たしてどれほどの差異があると言うのであろうか。実際に作品を目の前で見れば考えが変わる人が多いと言うのであればその主張は尤もであると言えるであろうが、常識的に考えてそれは有り得ないことであろう。断片映像を見て不快感を感じるのであれば、実物を見ればその気持ちはより一層高まるだけであろう。展示会場で見ていないのに批判するなという愛知県や検証委員会の態度は傲慢極まりないものである。それから朝日新聞は9月27日の社説においても、文化庁補助金7800万円を交付しないと決定したことにたいして、「萎縮を招く異様な圧力」との見出しで批判しているが、「異様な圧力」は一体、どちらの方なのであろうか。その社説においても愛知県の中間報告から、「展示が政治的色彩を帯びていても、公金の使用は認められる」「表現は人々が目を背けたいことにも切り込むことがある」「ヘイト行為の一般的なとらえ方に照らしても、少女像はそれに当たらない」との指摘を真っ当な内容であると支持している。一方で昭和天皇の肖像が燃える映像作品が、日本に対するヘイト行為であるかどうかの言及については避けているが、明確なヘイトの基準はないにせよ日本の国民感情から考えて明らかにヘイトであると言えるであろう。百歩譲ってその中間報告の内容に一理か二里の道理が認められるとしても、そうであるならば先般の週刊ポストの韓国特集に対しての広告見出しだけで、左派の人々が本文もろくに読みもせずに発生させた騒ぎを肯定的に支持したこととどのような論理的整合性が保たれるというのであろうか。週刊ポストの記事は読んだ人であれば、ほとんどの人が問題はないと認める内容のものであったはずだ。それを朝日新聞だけではないが左派の言論は、行き過ぎた嫌韓だ、ヘイトだなどと大合唱の批判活動を展開していたではないか。どちらが「萎縮を招く異様な圧力」なのであろうか。朝日新聞の記者やデスクは、自分たちの主張内容が途轍もなく偏向していて、中立性を甚だしく逸脱しているという自覚を持つことが出来ないのであろうか。或いは自覚はあったとしても、そのスタンスから離れることは最早、不可能なのであろうか。いずれにせよそこにあるのは私は思想の是非や優劣ではなくて、ある種の病理だと考えている。皆さんはどのように思われるであろうか。