龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

マスコミこそが有毒なウイルスではないのか

もう永久に記事を投稿するのは止めようと考えていたが、今、日本はかつて経験したことがなかったほどの深刻な危機の瀬戸際に直面しているように思われるので、沈黙してはいられない。私が何か発言したところで、事態の何がどうなるものでもないが。危機とは言うまでもなく中国発コロナウイルスの拡散についてである。大局的に見て、現時点における日本のこの問題の捉え方は、大きく2通りに大別されると思われる。一つは楽観的な見解である。必要以上に大騒ぎする必要はない。毎冬、流行するインフルエンザ程度のことでその内に桜が咲くころまでには、自然と終息していくであろう。むしろ病原菌よりもデマや風評被害の問題の方が大きいとする見方である。もう一方は、悲観的というか、私に言わせればより現実的な危機管理に立脚した見方であるが、今後1~2カ月の間に、爆発的に日本国内の市中感染が増加し、収拾がつかなくなり、東京や愛知などの大都市が中国の武漢のように封鎖される事態となる可能性が小さくはないとする見解である。仮にそうなれば日本は破滅的なパンデミックを経験することになるであろう。それで日本の政府がどういう風に見ているのか、楽観的なのか悲観的なのかと言えば、いつものことながら情報統制を敷いていると思われるので、その2つが混在していてわかり難いという以上に無責任的である。ただ一つ確かなことは、豪華客船ダイヤモンド・プリンセス号に対する日本政府の対処方法を見ても、このコロナウイルスを単なる季節性のインフルエンザのように見做していないことは明らかである。特殊で特異な病原菌であると尋常でない警戒心を抱いていることが見て取れる。それは日本だけではなくてアメリカやその他の国においても同様である。しかしその一方でこの新型ウイルスの特性について、ほとんど何もわかっていないので、正しく効果的に対処されているとは言えない。水際対策などとウイルスを国内に侵入させないことだけに神経を集中させ、潜伏期間の2週間を目途にしてから乗船者を区分けして事態の収拾を目論んできたようであるが、これまでの経過を見る限り、このウイルスは潜伏期間中に感染し密室の客船が感染者を増加させる空間となってきたものである。もう一つは異常とも言える感染力の強さで、客船の感染者を搬送した消防局の職員や事務作業の検疫職員などが、厳重に防護措置をしているはずであるのに感染している。よくはわからないが、1~2メートルの至近距離内にいる相手や接触者には、防護服や、手洗い、殺菌などに関わらず感染する力がきわめて強い特性を持っているように思われる。果たしてこのウイルスの正体は何なのであろうか。そもそも季節性のインフルエンザに類するような毎年、型を変えながら発生するウイルスが一つの大都市を封鎖させるほどの威力を持っているとは考えられない。武漢は人口1千万人以上の近代都市である。生ものの蛇や蝙蝠を日常的に食する習慣があるとは考えられない。武漢では連日、100人以上の死者が発生していることが伝えられているが、実際の感染者数や死者数は中国政府の公式発表の10倍とも100倍とも言われている。公式発表の数値は病院に収容されて、現在入院中であったり死亡した人間をカウントしているだけであろう。武漢では感染がわかっても公共の交通機関がストップしていて病院まで辿りつけなかったり、医者に診てもらっても特別なコネがなければ家に戻されるだけで入院させてもらえなかったり、突貫工事で建設された劣悪な環境の強制収容所のような施設で隔離されるだけであるという。ところが日本の報道は、政治の規制がかかっているのかマスコミが自主的に規制しているのか知らないが、そのような現地の悲惨な実態をほとんど伝えてはいない。していることと言えば、真実を追及する声をデマや有害な陰謀論としてウイルスのように世論から隔離、払拭させようとしているだけのことである。有害なウイルスはどちらであろうか。報道機関の方ではないのか。TVニュースを見ているとデマや陰謀論についてキャスターが、「そのような事実はない」などと強い調子で断定しているが、一体何を根拠に自信を持ってそう言い切れるのか。武漢に最強クラスのBSL-4の病原菌を扱うウイルス研究所が、中国に唯一存在することは事実である。中国の杜撰な管理体制や隠蔽体質を考えれば、その研究所から人工的なウイルスが漏えいしたと考えることの方が、より自然で人間的であると言えるのではないのか。大体、自然発生のウイルスであれば、街中で突然、人間がばたばたと倒れるような症状にはならないはずである。政治やマスコミには中国への忖度や、中国からの圧力があるのであろうが、正当な疑惑は必要なのであって、その疑惑を有害視することの方がよほど絶対的な社会悪である。またそのような社会悪から、お花見感覚のような、桜が咲くころまでにはコロナウイルスは終息するであろうというような平和ボケの楽観論が流布されているように思えてならない。東京が武漢のように都市封鎖される事態になればどうなるのであろうか。日本はもう終わりである。因みに調べたところ、武漢市の人口は1,089万人で人口密度は1,217人/k㎡であるのに対して、東京都は人口1,395万人に対して人口密度は6,359人/k㎡である。東京は武漢の5倍以上の過密度があるということだ。今、国内の感染者数は数十人でまだ経路の調査が可能な範囲内であるが、今後その数が10倍、百倍となっていくとほとんど放置というかお手上げ状態になることは目に見えていることではないか。東京が、或いは東京だけでなく大阪や他の都市もそうであるが、武漢のようにはならないと誰がどのような理由で断言できるのであろうか。もちろんそうならない方がいいに決まっている。しかしそのためにこそ正当で正常な危機感と危機管理意識が必要とされているのではないのか。今の日本にはそれがないことが、もうすでに潜在的に近未来を折り込んでいるような気がしてならない。