龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

引きこもって日本と世界を正しく洞察すべき時

4月に入って気温が上がり、桜が咲き散るころになって、個人的には予想していたことではあったが、1ヶ月前と比べてコロナの勢いは弱まるどころか、手の付けようのないほど拡散の勢いを増し、もう誰がいつかかってもおかしくはないような情勢になりつつある。一体このウイルスの正体が何なのかということについては、議論や追及をしても詮ないことだと言っては何だが、それは例えれば、火事の建物内部に取り残されて一刻も早く逃げ出さなければ焼け死んでしまうことが明らかな状況で、出火原因をあれこれ頭を悩ませながら考えているのと同じことである。放火されたのかも知れないし、使用電力の過負担でブレーカーが落ちずに電線から出火した可能性もあるが、そんなことを考えるよりもまず火と煙に包まれる前に逃げ出すことが第一である。そういうことで今回の新型コロナウイルスが自然に生じたものではなくて、人工的に生物兵器として作られたものが漏出した結果であることは、少なくとも私から見れば明白で議論の余地もないことであるが、その理由をあれこれと述べ立てることは今は止めておくことにする。火事の現場から逃げ出すように、とにかくウイルスの被害を終息させることだけに専念しなければならない。そういうことで言えば、とにかく日本の政治は、今更のことではあるが、このような危機的な状況においてそのダメさ加減が、雨に濡れた桜の花色のように濃厚に際立つとでも言おうか、全てにおいて思い切って、決定するということが出来ないのである。全てにおいてである。今、緊急事態宣言をどうして出さないのかと言えば、理由は単純なことで命令となると様々な補償問題が発生することを政治や政治の背後の官僚が恐らくは躊躇して踏み切れないということであろう。これが自粛要請であれば、個々人の自主的な判断と言うことになるので国が補償する必要性はなくなる。安倍総理がどのように説明しようとも、安倍総理だけの問題ではないが、日本の政治というものは、国民の命よりも財政を破たんさせないということの価値の方がより重いのである。政治やマスコミに洗脳されて夢見るように生きている人々には、幾らなんでもそこまで日本の政治は無慈悲で、非人道的ではないなどと信じ込んでいるのであろうが、そういう相手には何を言っても同じなので、世界に対して自分が信じたいように、考えたいように昆虫やカタツムリと同様のレベルで蠢きながら生きていればよいのだと思う。そういう人種の人々は、たとえ現世でコロナにかかって死ぬことになっても、政治や権力の性善説という幻想の内部で人生を終結させることとなるので、私のようなタイプの人間が世界のどこかに実在しているバンパイアのようにこの世に二百年も三百年も孤独に生き続けるよりも恐らくは何倍も幸福な人生であろうと思うのである。補償金をケチるための緊急事態宣言躊躇だけではない。PCR検査にしても同じである。医療崩壊であるとか、重症者を優先させるという意義はわからないではない。というよりもそういうことは一義的に守らねばならないことだとも言える。しかしそういう問題だけではないであろう。どういうことかと言えば、医療崩壊を防いだり、重症者を優先させる体制の「範囲内」で出来る限り検査数を増やして、無症状の潜在的な感染者を炙り出し、拡散を未然に防ぐための最大限の努力を日本の政治は、この2カ月ほどの間になぜしてこなかったのかということである。コロナだけに該当することではなくて全ての問題に言えることであるが、問題は常に両義的なのである。あれかこれかではなくて、完全に両立できなくとも緊急事態においては、両サイドから対処していく決然とした姿勢がなければ、一つの意義は見捨てられたもう一つの意義によって無効化されるだけのことである。ところが大衆は、日本の政治の詐欺的な世論操作によって、あれもこれもではなく、あれかこれかの二者択一の意義や正義が正しくて価値があると信じ込まされてしまっているものである。それで日本の政治が結局のところしていることは、これこそが日本的な特徴そのものなのであるが、現実に真正面から対峙することを回避して、問題を先送りにしているだけのことである。現実や実態を正しく見ようとしない消極的で卑怯な姿勢が、医療崩壊から守ったり、重症者を優先させるという大義にいつの間にか巧妙に美化されてしまうのである。財政や景気対策、税制の問題でも同じであるが、コロナのような伝染病の実態を正しく直視しないで先送りにすることは、ウイルス拡散の温床を政治自らが作っているのとある意味では同じことである。ところが決断できない、決断しない日本の政治は、物事(ウイルス)そのものではなくて、マスコミなどとも連携しながら、物事の見方や捉え方で、要するに観念で問題をコントロールしようとする悪弊があまりにも根深く浸透してしまっているので、日本全体の存亡、日本人全体の生命に関わるような重大な問題でもそのやり方から離れることは出来なくなってしまっている。最終的にはこの日本の政治の政治性というものが日本を滅ぼすことになってしまうのであろうと深く危惧されるものである。アメリカやヨーロッパに比べれば、日本は現時点ではコロナをうまく抑え込んでいるように一面では見られているのかも知れないが、このままで行けば中国や韓国、そして欧米がピークを越えて終息に向い始めた時点で、日本は遅ればせながらという具合に感染者が爆発的に増え、そこから都市封鎖や非常事態宣言に追い込まれていくというシナリオは、事の性質上、後手に回っている分だけ加速度的な悪化状態が突如として顕在化する必然性があると考えられることから非常に危険度が高いと考えられるものである。中国人の全面的な流入禁止措置も1月末か遅くとも2月中には決定しておかなければならないことであったが、これも日本の政治は決断できないことで先送りにし、その収穫のような現実を全ての日本人はこれからウイルスに怯える日常の中で刈り取って行かなければならないのである。もちろん中国人の流入だけが感染の原因ではなくて、日本からの観光などの海外渡航禁止もヨーロッパやアメリカなどの感染拡大が見られ始めた時点で決定しておくべきであった。全てがそうなのである。どうして日本の政治は物事をタイムリーに決断できないのであろうか。どうして全ての問題を川にゴミを垂れ流すように先送りにするのであろうか。時間の経過と忘却が自然と事態を解決に導いてくれるとでも考えているのであろうか。どうして日本の政治は国民の生命よりも財政収支のことを重視するのか。何で圧倒的多数の日本の大衆は、日本の政治はたとえ腐っていても最低限度の良心は保持しているなどと信じ込んでしまっているのであろうか。今こそ、そういうことの一つ一つを全ての日本人が家に引きこもって良く考えるべきである。そういう意味ではこのコロナ禍は、日本人の意識改革のためのチャンスであり、そのために選び取られた現実であるようにも私には見える。