龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

コロナウイルスを通して見えてくる日本の特殊性

追い詰められて観念したように、安倍総理がついに緊急事態宣言を発令する。何で今なのであろうか。今こそというよりも今更である。東京都の一日の感染者数が90人台と4月4日の117人で、この新型コロナの世界的な感染状況を考えた時にどれほどの状況の違いがあるというのであろうか。100人超えが政治判断の目安というよりも、観念したので政治判断で100人を超えるような数字調整に変更させた上で、緊急事態宣言決断の体面を取り繕ったということであろう。私が言う、日本の内向きのコントロールとはそういうことである。コロナウイルスは政治権力に忖度したり回り道をしないで、一直線に正直に増殖していくので、安倍総理の説明などより余程信用できる。

それはともかく今朝の新聞紙面で緊急事態宣言の内容を見ていると、それなりのインパクトはあるように思われる。強制力や罰則が伴わないから、これまでの自粛要請と変わらないという意見も多く見られたが、むしろ強制力や罰則など不必要というか、ない方がいいであろう。業者や様々な施設の運営者が従う、従わないという問題ではない。日本では、ほとんどの事業主は国の指示に無条件に従うものである。またはっきりと指示を出してもらった方が自粛の決断をし易いと考えている事業主の方が多いのではなかろうか。というよりも、これまで既に日本国内の事業者はそれぞれ程度、濃淡の差はあれど自粛モードに入っていたものである。もちろん一日、二日の売り上げが死活問題につながるような零細な飲食店は別であろうが、それなりの規模の企業は、組織内部にコロナ感染者が発生し、感染拡大する危険性の企業全体に与える心理的、経済的ダメージの方が、自粛に伴う多少の売上減よりも遥かに大きいであろうから当然のことである。ところが伝染病の性質上、自分たちの組織や店舗だけが自粛していても国全体のウイルスを終息させることにはならないのであるから、政府に対して緊急事態宣言の発令によって、より断固とした姿勢でこのコロナウイルスの撲滅に取り組んでもらわなければ困るという声が圧倒的に多かったということもこれまた当然のことであった。言うまでもなく安倍総理を始め、これまでの政府の危機意識と対処は、緩すぎたということである。多くの大衆はこのような程度の低い政治にすら洗脳されていて、物事の筋道や本質を正しく理解できていないようである。正直に言って、馬鹿を相手にこうやって説明するのも面倒だし、鬱陶しいことでもあるが、本来「緊急事態宣言」という法令は、その趣旨とすれば、国家が国民に対して、国家的な危機を訴えてそれに必要な心構えと意識を喚起させるためになされるものである。ところが日本の場合は内実的に異なっているものである。どう違うかと言えば、国民がではなくて安倍総理や内閣全体が、これまでこのような絶対絶命的な災厄に対処する基本的な危機意識を持てていなくて、経済的打撃や財政出動を最小化するようなことばかりを取り計らう有り様であったのを国民が見るに見かねてこのままでは大変なことになってしまうから、一刻も早く緊急事態宣言を発して政治権力がもっとこの未曽有の危機を自覚、認識しなければならないという意味合いで急き立て、安倍総理がついに観念したということである。よって本来の法律の趣旨とはベクトルが正反対に異なっているということだ。国家権力から国民に流れるべき方向性が、国民からの要請で国家権力が渋々と動いたということなのであって、本質的に法令の内容の問題ではないのである。これが日本の実情であり、特殊性なのだ。こんなことで本当に危機に国全体で立ち向かえるものであろうか。ところが日本の一部、或いは半数近くの左派思想はこのような日本的な欠陥をどこまでも正当化するのだから困ったことなのだ。今回の緊急事態宣言も一時的に市民の自由を制限するということだけを捉えて、戦時中の治安維持法と同じような文脈で批判、否定する論調の意見が見られる。さすがに今回の事態に際しては、野党もそのような馬鹿げたことは言っていないようであり、マスコミのたとえば朝日新聞毎日新聞などの左派言論も本当はそのような戦時中の強権発動と同一視するような批判なり、議論のための議論を延々と展開させる方が、組織としての座りが良いので本音とすればそうしたいところであろうが、今回に限っては自分たち自身がコロナウイルスの影響で日々の取材活動や報道に多大なる影響と不安を被っているので、そうしたくともそうできないのであろう。だから反対に今回の決定が遅すぎるなどと批判している有様である。勝手なものである。しかし野党の政治家やマスコミがそうであっても、日頃からそのような左派的な自己中心的で身勝手な思想に影響されている「子分」たちは、親分が自粛しているというのに、ネットにおいて国民の命を守るための政治決断を国民の自由を制限する強権発動の視点からのみ批判して、意味が無いとかそんなことをしてもほとんど何も変わらないなどと言わずにはおれないような精神構造下にあるようである。本当に日本は厄介な国である。暫くの間は、或いはいつまで続くかわからないが、飲みに行ったり、歌いに行ったり出来ないのだから、家に籠って、そういうことも含めて多くの大衆に日本という国がどのように回っているのか、良く考えて欲しいと思う。人類の存続のためにはそういう時期も必要であることをコロナウイルスは教えてくれているのであろう。さて理髪店が休止されると困るので今日は散髪に行くことにしよう。