龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

政治は政治批判を逸らせるためにあらゆることを利用する

いよいよかなり、ヤバくなってきたな。とりあえず5月6日の解除は普通に考えて無理だろう。覚悟が必要である。それはともかく、今、病床数の絶対的な不足や院内感染のリスク、そしてコロナ以外の病気で緊急の手術を必要としている患者が、コロナ感染者の病院への受け入れとその対応などで医療体制の崩壊危機寸前にあることが、さかんに強調されているように見受けられるが、それは確かにその通りで国民全体が認識しなければならない事実であろうが、それも含めて「政治の責任」なのではないのか。権力とは無縁で医療従事者でもない一般の国民に何をどうせよと言うのか。国民に出来ることなど、たかだか知れているものである。不要不急の外出を控えて、自分がうつらない、他人にうつさないということぐらいである。それでも都会の生活においては、どうしようもなく感染してしまうことはある。それは仕方のないことである。自分や自分の家族が40度近い高熱が数日続いて、から咳が止まらないような状況になれば誰だって病院で診てもらいたいと思うであろう。もし自分が実際にそのような立場になって病院や保健所に連絡を取っても、診察を断られたり、たらい回しにされたり、診察もなく自宅待機を命じられるだけであればどう思うであろうか。最悪の場合は自分自身と濃厚接触者である家族の死をすらも覚悟しなければならないことにもなる。簡単に軽症者はどうのこうのと区分けするが、コロナの検査が実施されないで高熱が続くような状態では医者でもない一般の人間は、或いは医者ですら、自分が軽症者に該当するのかどうかもわからないではないか。医療体制の危機ということはわからないではないが、今は国民の生命をも含めた全体的な危機なのだから、それは日本の最高権力者である安倍総理がリーダーシップを発揮して、毅然とかじ取りをなし、また国民に対して官僚が作成した作文ではない自分自身の声をきちんと届けなければならないはずである。そのための権力であり政府であろう。ところが安倍総理はそのどれもまともに出来ていないのであるから国民から批判を受けることは当然である。大衆と言う存在が政治に誘導、洗脳されたり、批判のための批判に終始する傾向性が高いので、自由な言論が今回のような危機に際して混乱やパニックの発火装置に成り得ることは100も200も承知の上である。しかしそれでもやはり国民は自分や家族の命を守るためには、決して対等では有り得ない政治権力の在り方を注視して、その無能や無責任性を暴き立て、激しく批判していかざるを得ないのである。日本はこういう時においても暴動が起こらないのだからある意味においてはとても優秀なのである。しかし一方で無知蒙昧の無気力や、マスコミや政治に誘導されているだけの見せかけの安定や、何の生産性もなく建設的でもない自己顕示欲だけの不毛な批判のための批判、議論のための議論に覆われていることも事実である。よって大衆の認識や意識のレベルを引き上げていかなければならないことは日本のために必要であるし、本当はそれこそが日本の民主主義の最大目標であると言えるが、いずれにせよ権力と大衆存在は対等では有り得ないのである。我々が選挙で選んだ政治家だからなどと言っている時点で、何もわかっていない自らのレベルの低さを自己開陳しているのと同じである。その思考自体が誘導であり洗脳であることが理解できないのであろう。ともかくも総合的に見て、今の日本の事態や危機においてどれほどレベルが低くとも大衆の見方や意見、批判そのものには何の責任もない。悪いのは安倍総理や政府の無能なのであることは何をどのように主張しようとも転倒できる筋合いのものではない。それをあたかも大衆の反応そのものに全ての問題の原因があるかのような発言をするのであれば、お前は一体、何に忖度しているのだと言わざるを得ない。それこそが政府の陰謀ではないのか。だから私は政治だけでなく、政治と密接につながっている芸能界も信用できないのである。芸能人は元々頭が悪い人種なのか、それとも目立って好感度を上げることだけを考える生き物なのか、芸能人ではない私にはよくわからないが、ともかくも我々国民は政治と情報の質を国民の命を守れるように自らの意識を引き上げ、立ち向かっていく以外に道はないということである。