龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

バカ殿政治には10万円の価値もない

もう、馬鹿らしいと言うか、あまりに情けなくて何か言う元気も出てこないし、勝手にやってくれという気持ちにもなるが、亡くなった志村けんさんのバカ殿のコントを見せられているようで、これが日本の政治のレベルなんだなと、これを一歩ずつでも向上させていくことは、並大抵のことではないという以上に不可能なのではないかとも思う次第である。一人、一律に10万円支給するか、それとも希望する人にのみ配るのか。日本の財政にとって大きな負担であることは誰もが理解することであろうが、なぜ今、そこにこだわるのか。出すにせよ財政支出を少しでも減らしたいというのであれば、先ず現在の社会状況を総合的、客観的に鑑みて、少なくとも今日、明日の生活に困っていない公務員と現職の議員には、支給金受け取りの自粛要請をすることが、財務大臣としての麻生氏の取るべき立場なのではないのか。公務員や政治家は10万円程度の金など貰えなくとも路頭に迷うことにはならないであろうから、麻生氏の考えに立脚するなら希望するべきではないということになるし、また今日、明日の生活に不安を抱えている人々に対しては、このような精神的に追い詰められた状況下で、一々受給申請をさせるようなことはパワハラとでも言うべき暴挙であり、役人主義的な時間、手間、労力の無駄使い以外の何物でもない。どうして安倍総理や麻生氏はこうも傲然と庶民や庶民感覚を敵対視したり、愚弄するような政治スタイルに拘泥するのであろうか。自民党の政治家だけではなくて、財務省経済産業省の官僚などもそうであろうが、口には出さずとも本音のところでは、庶民や低所得階層の人々を軽視しているという以上に蔑視しているのではないかと感じられる。恐らくはそうなのであろう。心の底で人種や精神性が自分たちとは決定的に異なっていると考えている対象の人々に対しては、人間的な人道上の配慮であるとか、思いやりを持てないのである。本当はその姿こそが日本のそして自民党的な政治スタイルなのである。その一方で安倍総理などは特にその傾向性が顕著であるが、自分と距離感が近しい階層の人物に対しては権力を私物化するように便益を供与する。たとえばPCR検査の実態で見ても明らかな通り、一般人は医療崩壊の危険性がどうのこうのとなかなか受けさせてもらえないのに、たとえばテレビ朝日報道ステーションのメインキャスターは、一旦発熱後、熱が下がって息切れや倦怠感がある程度の状況で、都内の病院に入院して新型コロナの陽性が発覚している。それに対して疑問の声が上がると、ネット上のコメント欄ではマスコミ関係者の投稿と思われるが、CT検査をして肺炎の兆候が見られた後にPCR検査が行われることを通常の流れであり、特別扱いなどでは有り得ないと強い調子で否定したり、疑問を持つ人々を人格攻撃するような意見が多数見られたが、それは違うであろう。PCR検査の前にCT検査で肺炎の兆候があったかどうかということではなくて、今、コロナ患者の急増で都心の病床数が絶対的に不足しているという状況下において、即座に検査入院をさせてもらえていること自体が明らかに、一部の特権階層に対する優遇であり、それが安倍政治の際立った特徴なのである。森友、加計学園などの問題、伊藤詩織さんのレイプ疑惑において元TBS局員であったジャーナリストの逮捕執行が直前に回避されたことなど全て同じではないか。距離感が近くて自分の立場を支持してくれたり、擁護したり、構造的に、たとえばマスコミや官僚に対してのように何らかの互恵関係が成り立つ相手に対しては、喜んでかどうかは知らないが、即座に権力を私物化して協力する。それはまた自分自身の政治能力に対して自信がないことの現れなのである。コロナの問題では、自分の能力や見識に自信が持てないから、単独でリーダーシップを発揮することがいつまで経っても出来ずに、合意形成ばかりに延々と時間を掛ける安全運転の政治で、何よりもスピードが要求されるような場面においては、今回の緊急事態宣言のようになかなか決断することができずに、政治そのものが事態悪化の原因となっている。政治家としての自信がないゆえに、近しい人間のみを大切にして、距離感のある庶民は口先だけでごまかせる対象とぐらいにしか考えていない。結果的にほとんどの国民が中身のない政治のツケを背負わされることになるものである。二世、三世議員でももっとまともで国家や国民のためになる政治はその人の人格と資質次第では可能であると思われるが、これまでの自民党政治と今日の安倍、麻生ラインは、これまで日本の大衆が、日本の政治のダメさ加減とでも言うか、本質を見ようとしてこなかったがために、皮肉なことに庶民感覚や庶民の命が軽視されて、桜を見る会に参加できるような権力に近しい人々だけがどこまでも優遇されるような政治構造を、まるで生きながらにして城壁やトンネル壁に埋め込まれる人柱のように、実は庶民そのものが支えてきたのである。それが日本なのである。それが日本型権力の深層に流れている精神性なのだ。わかるか。わからない人間は永遠にわからないであろうが、今回のコロナ騒動でさすがに日本の真実に目覚めつつある人は増えてきているようにも感じられる。私はコロナウイルスは人工的に作られたものであることを個人的には確信しているが、ウイルスそのものが人類を覚醒に導く自立した意思をも持っているように感じられてならない。マドンナはコロナウイルスは平等をもたらすと発言したが、私は平等だけでなく世界を革命に導く可能性もあるような気もする。ともかくも自分の頭で考えて、自分の目で見て、自分の魂で感じるということ、危機と苦難の中で作り上げられる精神性というものがあるということだ。バカ殿のような三文政治を信用してはならない。日本の国民は品位と良識を持って、無能、無慈悲なバカ殿政治を否定し、根絶するために闘う気概が必要だ。