龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

語り得ぬものと言葉について

何億光年 輝く星にも 寿命があると 教えてくれたのは あなたでした。

夏休みは終わった。人生そのものが、夏休みのようなものであるが。私は生きている。それゆえに夏休みはまだ継続しているとも言えるが、もう何も言いたくはない。何か言ったところで、何がどうなるというのか。

「語り得ぬことについては、沈黙しなければならない。」それを私の心情的に言い換えると、変わり得ぬことについても、言及すべきではない、という諦めと戒めが入り混じった警句となる。日本は、変わり得ない国である。少なくとも自律的には。だから全ての国民はそれを深く理解して、行儀よく沈黙を保っているというのに、一人であれこれと他の人々がわかっていても敢えて言及しないことを得意気に言い立てることは、恥かしい振る舞いである。人間、恥を知ると黙ってしまうものである。本当のことや、大切なことは口にすべきではないのである。その全体的な諦観が日本に一つの静かな秩序をもたらす。そしてそこにこそ、日本人の国民性や品性が存在するのかも知れない。人々が生活の中で言っていることは、言わされていることである。思っていることは、思わされていることである。果たしてそれが、間違っていることなのであろうか。これまでの私はそれが間違っていると思っていたが、そう思い込んでいた私が間違っていたのかも知れない。そもそも人間の人生とはそういうものではなかろうか。そのような全体性を敵に回して闘ったところで、何の利益にもならないだけではなくて、一片の幸福感や充足も得られないということだ。ただ虚しいだけである。私の人生とは、その虚しさを体感するために与えられたひと時の休暇であったのであろうか。

まあ別に何だって良いのだけれど、そういうことで何も言いたくはない。でも生きている限り呼吸をするように、言葉を吐き出さねばならない。私の言葉は、常に沈黙と諦めの影を深く帯びている。このような精神性を人は、悲観的と呼ぶのであろうか。私自身は、自分が悲観的な人間だとは思ってはいない。別に落ち込んでいる訳でも、ふさぎ込んでいる訳でもなくて、もちろんその時々の状況で疲れていることは多いが、そもそも私には自分が悲観的とか楽観的という状態の区分そのものがなくて、これが私にとっては常態とでもいうか、ニュートラルなのである。虚しくはあるけれど、一方では精神的に満ち足りていて、充実している面もあるので鬱などにはならない。自分が経験したことがないので、よくはわからないが鬱の原因であるとか機序というものは、変化の落差によって生じるのであろうと思っている。よって私のように、人生が虚しさで一定しているとそこには落差がなくて、ある意味で安定しているので鬱にはならないし、自分で言うのは何だけれど健全なのだ。死というものを哲学的、観念的に考えることは多いけれど、私のように日常的に死を意識して、考えるようなタイプの人間は自殺することにはならない。なぜなら逆説的ではあるが日常的に死を考えたり、意識することによって生を無意識に充実させているからであろうと思われる。自殺する人間は、ある日、ある瞬間に突如として死の衝動に囚われて、その世界に引きずり込まれるのではないかと考えられる。だから要するに悲観的であれ、楽観的であれ自分にとってのニュートラルな状態が一つの個性なのであって、他者や社会的な風潮と比較して、ああでなければならないとか、こうでなければならないなどというような標準などなくて、自分が自分の本来の常態から乖離しないように気をつけることが生きるということなのではなかろうかと思う。ああ、またこのように言葉を弄することによって、語り得ぬことを語ろうとする不遜な態度によって、自分が自分自身から離れていきそうになる。言葉は常に自分自身を騙そうとする。私の無意識の企みを正当化し、美化しようとまでする。だから沈黙というニュートラルな状態に私を引き戻さねばならない。では、その本体の「私」とは一体何なのであろうか。恐らくは私というものに実質や中身はない。私とは本質的には、肉体でもなければ魂でもない。私とは、私が見るところの風景や、社会や世界に対して感じられる印象の固有性なのではなかろうか。思考や意識、想念が形成する他者や世界への印象が私そのものであって、人生とはもつれた細い糸を解すようにその固有の関連性を探っていくことではなかろうか。語り得ぬ何かなのだ。人間が嘘吐きなのではなくて、(平気で嘘をつく人間はあまりにも多いが)、言葉そのものが嘘というメカニズムを深く蔵しているのである。しかし人間は肉体を否定できないように、言葉を捨て去ることもできない。だから生きている限り常に沈黙に立ち返って、自らの内的な印象や言葉の質を更新してゆく努力が必要なのであろう。私は常に考えている。他者とは世界とは一体何なのであろうか。そこに本当に存在しているのか。

あなたの燃える手、あなたの口づけ。