龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

新しい世界

朝目覚めて、別の世界に彷徨い込んでいることに気づく。

昔見たTVドラマの

ここはどこ、私は誰、というセリフが頭をよぎる。

私はドジでのろまな亀。

ああ、これは別のドラマか。

ともかくも何かが違う。ごく微妙にではあるが。

昨日まで慣れ親しんでいた世界と、何がどう違うのであろうか。

私はゆっくりと慎重に

昨日と今日の二つの世界における差異の徴を

生活の中に探し求める。

先ず念のためにカレンダーを見て、今日の日付を確認する。

1980年代にまでタイムスリップでもしていたら

大変なことだ。

ニーチェのいう永劫回帰のように

時間を遡って同じ出来事を延々と繰り返すことは

うんざりである。

このような人生を何度も繰り返すことに、

何の意味も、価値もない。

それだけは御免蒙りたい。

2020年12月27日、日曜日。

間違いはない。

日付は合っていても、世の中に発生している事象が

すり替わっているのかも知れないと

新聞の一面を見る。

「あすから来月末まで、新規入国一時停止」か。

コロナ禍の世界であることも変わりはないようだ。

インターネットで新規コロナ感染者数の推移を確かめてみても

私の記憶にある状況と何の矛盾もなく

きれいな曲線で連続しているように見える。

部屋の中に雑然と置かれている服や本、鍵や携帯電話

ベランダから取り込んだ洗濯物、椅子や机の配置を点検してみても

おかしなところは何も感じられない。

それでは一体何が、変わっているのであろうか。

別の世界に彷徨い込んだかのような、

この違和感の正体は何なのだ。

何かがおかしい。

昨日までとは確かに何かが違うのだ。

冷蔵庫に収納しているドリンク類や

ゴミ箱の中身まで探ってみても

昨日と寸分違わずに答えは見つからない。

しかし、ついにわかったのである。

不思議なことではあるが、

これまでの人生で、生きるということに

私の魂が感じ続けてきた

苦痛や悲しみが、完全にという訳ではないが

消えて、なくなっているのである。

今、私が見ている世界は、物質的には昨日までと

同一であるように見えるが

確かにもう一つの別の世界である。

それを自覚するまでに

ここまで手間が掛かってしまったということだ。

人は言うかも知れない。

世界は一つである。

それは、あなたが変わっただけだ。

あなた自身が変化したから

別の世界に流入したように錯覚しているだけであると。

果たしてそうであろうか。

私にはそうは思えない。

私は本質的に変わり得ないし、

また変わる必要もないのだと思う。

私が一夜にして蛹から羽化した蝶のように変化することなど

あり得ないことだ。

私が、いや我々が外部に見て認識している対象は

唯一性の物そのものや、事象それ自体ではない。

物や事象の波動を感受して、自己と世界との相互作用の中で

自分が存在するに相応しい世界を

無意識に選択しているのだと思われる。

生きることに苦しみや悲しみを感じることは、

単一の世界に対する、私の個的な反応ではなくて

私がそういう世界を

ある意味では自らの必要性によって

投影し、作り上げている結果なのであろう。

私は死んで、生まれ変わったように

新しい別の世界に参入した。

しかし私の個性は何一つとして

変わってはいない。

なぜそうなったのかは、わからないし

今日だけではなくて、

今までに何度もそのような世界の横断を

無意識に繰り返してきているのかも知れない。

眼前に拡がる風景は

物質的には同一の組成でも、霊的には

僅か数ヘルツの周波数が異なる

別の世界だ。

新雪で覆われたような

その穢れなき、純粋な大地に

恐れおののきながら、

祈るようにそっと

第一歩を踏み出す。