龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

大丈夫ですは、大丈夫なのか。

レジ袋の話しはまだ続く。ある日のこと、近くのコンビニで買い物をしてレジで並んで待っていた時に、前で会計をしている20歳代の女性が、店員から袋は要るかを聞かれて、「大丈夫でーす」と答えている場面を目撃した。私はその「大丈夫でーす」という答えが気になって、何で「要らないです」と言わないのかと思ったのである。大丈夫ですとは、言うまでもなく私は袋を持っているから大丈夫です、つまりは要りませんという意味だ。要らないと言えば強い調子の拒否になってしまうので、柔らかく婉曲的に断る日本的とでも言うのか、若者や女性に多く見られる言い回しである。私がその言い方が気になったのには理由があって、最近コンビニの店員は日本人ではない外国人労働者が増えてきていて、その時の店員もタイかベトナムミャンマーかわからないけれど東南アジア系の外国人であった。それでとっさにそういう日本的な婉曲拒否の言い回しが外国人の店員に通じるのであろうかと心配に思ったからである。しかし店員はその女性客に聞き返すこともなかったので理解できているのである。どれだけの期間、日本に滞在しているのかわからないが、優秀だなあと妙に感心してしまったものであった。それでさらに私は考えるのだが、大きなお世話かも知れないが、今の時代、我々の身の回りの日常生活は、嘆かわしくも悲しい現実ではあるが、詐欺とか騙しに満ち溢れているでしょ。こういう時代に本来、肯定的なニュアンスの大丈夫といった言葉を拒否に用いるような婉曲的な言い回しは、その切り取った部分的な言葉の意味合いに付け込まれたり、悪用されたり、トラブルになったりする可能性があるので出来るだけ控えた方がいいのではないかということである。もちろん親しい間柄の信頼できる相手に対して、婉曲的に断らなければならない場面もあるであろうからそういう表現のストックを頭の中に入れておくことは必要なのであろうが、初見の相手や電話やメールに対する対応としては中途半端でどちらにも都合よく解釈できる言葉や表現は百害あって一利なしという気がする。本当に今の時代は、押し売りとか押し買いとか、詐欺や詐欺紛い、そんなのばかりである。たとえば個人的な例で言っても、私が仕事をしている会社の事務所には毎日のように様々な営業の電話がかかってくる。そういうのに一々、丁寧に相手をしていれば仕事にならないのである。今はちょっと忙しいからとか曖昧な断り方をしていれば何度でも電話を掛けてくる。だから私は、仕事中に営業の電話をしてこられると迷惑だとはっきりと言うようにしている。迷惑です、あなたがしている事はあなたにとっては仕事でも、私にとっては迷惑行為ですとはっきりと言ってしまえば、相手はそれ以上何も言えなくなってしまう。そこまできつくは言いたくないということであれば、これもよく私が使う手であるが、内容を文書にして送ってくれと言う。時間がある時に目を通すからと。嘘で言っている訳ではない。本当に文書で送ってこられれば目は通すつもりである。そうすると相手は、大抵は電話を掛けるだけの仕事で雇われている派遣社員なのでそれ以上何も言えなくなってしまうのである。ひたすら営業の電話を掛け続けるだけの職種の派遣社員を馬鹿にするつもりはない。しかしそういう職種や派遣社員の存在が、日本経済の生産性を向上させたり、日本人労働者の暮らしを豊かにさせるとは私には

到底思えないのだ。そういうことは機械でもできることではないか。つまりは人間的ではないということだ。人間的でない人間の振る舞いに付き合わされることは、はっきり言って鬱陶しいだけなのである。

それからついでに言えば、今の日本社会は成りすましの詐欺や個人情報の流出みたいなことばかりで、本当に一瞬の油断もならない毎日だが、何も有名企業の正当な経済行為であるから信用できるというものでもない。そういうことも本当は私のような50歳代後半のような世代は若者たちに教えてあげないといけないと思うのだが、資本主義社会は国全体の経済力が衰えていくほどに、弱者に対して冷淡という以上に冷酷になるものだ。たとえばクレジットカードを発行している新興の企業は、若者をターゲットにポイントとして三千円や5千円の金を進呈するからとしてリボ払いの登録を執拗に勧めてくる。銀行に金を預けても金利が0の時代に、リボ払いで年利20%近くも、それも収入の少ない若者に負担させれば、いずれは破綻するのは目に見えていることではないか。クレジット会社やネット系の販売企業にとっては、物販の手数料収入よりも一括支払いをリボ払いに変更させて得られる金利収入の方がはるかに確実で手っ取り早く利益を増やすことができるからである。しかしその収益システムはあくまでも弱者の生活苦や家計破綻を前提にしたビジネスモデルであろう。私に言わせればそういう商売のやり方は合法的であろうと、有名企業であろうと詐欺紛いというか広義の詐欺なのである。ところが国はそういう商売のやり方にいつまで経っても規制を掛けようとはしない。社会問題であると認めないのだ。そして風が吹けば桶屋が儲かるではないが、若者の一部は「勝ち組」になろうとして振り込め詐欺に関わるような悪循環になっていく社会構造が構築されゆくのである。そういうことも前回私が述べたように日本には政治が存在しない、政治が管掌すべき経済システムに良心が存在しないというところに根本的な原因があるように考えられる。