龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

権力と報道の素顔とは

東京五輪の関係者が、数十年前のいじめ告白やホロコーストを揶揄するコント、或いは女性蔑視発言などでこれまでに次々と解任されてきたことが大きく報じられている。ホロコースト揶揄の件に関しては、日本の政治家がわざわざ騒動の火勢を煽り立てるように、直接ユダヤ人人権団体にご注進に及んでいる。これらの情報に接して、日本の大衆はどのような印象が刷り込まれるのであろうか。日本の政治やマスコミは人道主義や差別撤廃の意識が高くて、気高い精神性を持っている。いつまで経っても時代にそぐわない間違った発言や意見を述べる愚かな人間は跡を絶たないが、そういう人々に対しては政治やマスコミがしっかりと監視をして、糾弾し罰してくれるので任せていれば安心だ、日本は色々な問題を抱えているにはせよ、基本的には善良で正義の国だ、とでも思っているのであろうか。どのような印象を持とうが、その人の勝手なのかも知れない。しかしその一方ではコロナのワクチンで僅か5か月の間に700人以上の人間が死亡していることについては、厚労省のHPに報告されているとはいえマスコミは全くと言っていいほど報道しないし、政治も与野党が一致団結して問題にしようとはしない。この二つの様相を日本の大衆はどのようなバランス感覚で自らの精神に情報、知識として取り入れて、解釈しているのかと言えば、ほとんどの人は何も考えていないし、何も感じてはいないのである。自分とは関係のない人ごとのような光景として見ているのかも知れない。それで日本の治安や秩序が保たれている面もあるのであろうが、だからこそ政治やマスコミは同じ手口で国民の目や意識の焦点を操作するようなことを年十年も延々と繰り返しているのである。それに無思考、無批判の大衆にとっても本当は人ごとではないはずなのである。新型コロナのワクチンによる死亡確率は大体、10万人に一人、10万接種に一人以上の割合である。重篤者の割合となれば、当然その何倍かの確率となる。厚労省の報告はそれを、「0.00%」としてあたかも0として見做すべきであるかの印象操作のデータで示しているものであるが、700人の死者数は統計学上は0なのであろうか。今後10年、20年単位でのスパンで見れば、予測はできないが副作用として何十倍、何百倍もの規模で膨らんでいく潜在的な可能性のある直近の数値なのである。0.00%などと切り捨てるような取り扱いは出来ないはずだ。因みに宝くじの1等の当選確率はどの程度か、ご存じであろうか。1等の2億円で約1千万分の一、5億とか7億円の高額配当だと約2千万分の一である。それをTVCMなどで万人が1枚300円の出費で夢を簡単に手に入れられるかのように日常的に流されているものである。仮にその宝くじの中に、何かの人体実験で国に自らの命を提供して死ななければならないことを承諾するものが、10万枚に1枚含まれているとすれば誰が買うのかという話しである。しかしそういう割の合わない取引であっても、政治とマスコミが一体となって群集心理が刺激されれば、ほとんどの人がその死の宝くじを購入してしまうという恐怖が我々の日常には伝染病のように蔓延していることを知るべきである。本当は凶悪なウイルスなどよりも、人間が統制され権威付けられた情報によって簡単に操作されるということの方が何倍も恐ろしいことなのである。特に日本人は、このコロナ関連の大衆の反応を見ていると、この国でこれだけ注意喚起がなされていてもいつまで経っても特殊詐欺の被害がなくならない理由がよくわかるように思えてならない。はっきりと言うが、特殊詐欺に騙されるのも、政治やマスコミに騙されることも原理は同じなのだ。善とか正義という問題ではない。善や正義とはこの世の法則で見れば多数決で決定される観念なのだ。あり得ないことではあるが、極論で例えれば、特殊詐欺のグループが政党を結成して、次の衆議院選挙で過半数議席を獲得すれば、彼らの悪行が正義となるのである。今の政治がやっていることもある意味ではそれと同じである。自分たちの悪行、悪業を隠すために差別や人権侵害に結びつくネタや対象をどこからか探し出してきて、それを徹底的に叩くパフォーマンスによって善や正義の仮面をかぶっているということである。我々国民はその仮面を無理やりでも取り払って、権力や報道の素顔を直視する必要性があるということだ。 (吉川 玲)