龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

一元思考下の女と男

離婚してみて、分かることがある。分かると言っても、私が経験上、個人的に分かったということだから一般化できる話しではないが、そこにはそれなりに普遍的な真理も含まれているものと思う。
それは子供の世話は、父親よりも母親の方が絶対的に向いているということである。たとえば具体的なことで言えば、春先の気候は日々の気温の変化が激しい。そういう時に元妻は、息子に対してきちんとその日の気温に合った服を着させている。春が来れば、もう着ることのない厚手のセーターなどは押入れの収納ケースに片付けて、気温の変化に対応できる衣服を数種類用意し、これを着ろ、あれを着ろといつも息子に指示している。こういうことは男には、いや私にはとても出来ない。生活してゆく上で気候や気温に合った服を選択するという日常的なことがとても大事なのは当然であるが、自慢じゃないが私は未だに自分のことですら満足に出来ない。出来ないというより正確に言えば、私はそういう日常の雑事に価値を認めていないから、どうしてもいい加減になってしまうのだ。しかしそれでは子育ては到底、無理だと認めざるを得ない。真夏の今の季節で言えば、元妻と息子の3人で先日にも食事に行ったが、店の中がクーラーが効きすぎているのに備えて元妻は自分と息子が上から羽織る服を持ってきていて、「ちょっと寒いな。」と言いながらいつものように、自分が羽織り息子にも着せていた。私はこの世に48年も生きているが、クーラーの効き過ぎに備えて服を携えて外出したことなど一度もない。やはり男と女では感覚が違うのである。しかし男である私は、あれこれと最悪のケースに備える危機意識だけは発達している。単に心配性であると言われればそれまでだが、私は子供が死んだり、行方不明になったりする可能性がある不測の事態だけを考えて日々の日常に対処しようとする。ところが元妻は意外とそのような大事には、運命論的であると言うのか鷹揚に構えているように見える。男と女の違いはここにあると思う。女は身の回りのことにはとてもきめ細やかな対応能力を有しているが、自分の手を離れた世界に関することになると途端に、不条理な事柄に対してもわりと寛容であったり、あまり義憤や杞憂の念に苛まれたりはしない。女の方が現実適応能力が男よりも数段優れていることは確かであろう。だから子育てに向いていると言える。だが女は、近視眼的に現実主義的過ぎて、行動や判断がその時々の感情に支配されやすい傾向はやはり否定できないと思う。フェミニストであれば、それは女性が数千年間にも亘って政治的に差別されてきた結果であると主張するかも知れないが、また確かにそうであるのかも知れないが、仮にそうであったとしても遺伝子レベルにまで組み込まれた女性特有の感受性や精神性に社会的な差別を措定するのであれば、人間とは何であるのか、人間と動物の決定的な違いが何であるのかをより明確に区別されなければ、大衆は政治的な主張に振り回されるだけで、結果的に女も男も無意識の根源的な動物性に回帰する機会を求めて闇の中を手探りで彷徨い歩くような人生を送らなければならなくなってしまうであろう。それは一つの必然である。
要するにわかりやすく言えば女と男はお互いに、女と男の精神性の違いを認め、またその違いに価値を認めて協力し合う姿勢を取る方が社会は全体として上手くいきやすいのではないかということである。こういう内容を述べるとすぐにジェンダーのことを言っているように受け取られて一部の者に激しい反感を買うのであるが、そうではない。私は女性性と男性性についての生物学的な認識と社会的な役割分担は別であると言いたいのである。そこをきちんと区別しないで女は子育てに向いているのだからキャリアウーマンなどを目指さずに専業主婦であるべきだとか、男に子育ては無理だと言っているわけではない。向いてはいなくとも必要に迫られてそうしなければならないということと、社会的に男と女の役割が全体としてこうであらねばならないということと、男と女の生来の感性がこのように異なるという認識はそれぞれが独立した別の領域の問題である。それら別領域の問題を粘土を捏ねるように政治的にぐちゃぐちゃと掻き回して家庭や職場の有り方を一方的に導こうとするから世の中が乱れるのだ。こういうところに日本という国の体質と言うのか、官僚の一元管理思考の弊害がよく現れているように私には思える。私は国の“男女共同参画”というスローガンにそもそも反対である。能力とやる気のある女性は自分で勝手に社会進出してゆけばよいのだし、現実的には本当は仕事などしたくはないが家計のために働かざるを得ないという女性の方が圧倒的に多いと思われるが、結局はそれぞれ当人たちの意思と家庭の都合に過ぎない。役人的な感性や思考が、必要以上に家庭のあり方に関与すべきではない。大体、政治の無能、無策のおかげでここまで日本の国内経済は空洞化、低迷を続けてきており、若者たちは家を買うためのローンすら組みにくくなってきているというのに、要するに家庭存立の基盤を壊し続けてきているのに、いつまでも見栄えがよいだけで内容空疎なスローガンを後生大事に掲げ続けるなと言いたい。今や官僚の一元管理が国の末梢神経である家庭と人間性を壊してしまっている。なぜなら官僚を動かすモチベーションは結局のところ獲得できる予算の大きさだけに帰結するからである。我々国民は豊かな人間性を取り戻すためにも地方分権を声高に要求してゆくべきだ。