龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

歩きながら

虚無の花咲く夜の街には
即物的な苦悩が無造作に散りばめられて
高架下には一体の浮浪者が
死体のように
生きているモノのように
世界の滅亡を夢見ながら眠っている。
 
歩きながら私は考える。
夜の果てには何があるのか。
死とは結局のところは何なのか。
私という一回きりの自己同一性が消滅することが
死であるのか。
ならば、たとえ生命が永遠であろうとも
この一回きりの舞台から引きずり下ろされることは
何よりも哀しくて、恐ろしい。
年老いて、朦朧と死ぬのでなければ。
 
歩きながら私は考える。
本当に現実は一つであるのか。
一つでなければならない必然性があるのか。
過去も未来もなく、今この瞬間しか存在しないのであれば
現実は無限にあって、この唯一は消滅する。
なぜならそうであれば、
過去も未来も一般的には同一直線上にあると信じられている
別の現実であるからだ。
我々は過去から未来へと永遠に続く
幻影の時間と、因果の重力に踊らされながら
歴史と自己存在の意味を問い続けている。
死すれば、全ては明らかになるはずだ
生の一回性と無限に存在する宇宙の関連が、
地獄があるのかどうかも含めて。
 
歩きながら私は考える。
それで狂っているのは私なのか、それとも世界の方か。
より滑稽なのは私か、世界か。
私は自分が狂っているとも、滑稽だとも考えてはいない。
至って健全で、誠実な人間であると自負するが
しかし世界が心の内で
私をどう看做しているかが問題である。
言うまでもなく問題の原因は不調和にある。
私は世界と調和していない。
恐くはこの世に生まれた時から。
私は元々そういう星の下に生まれついているのである。
逆子であったせいかも知れないが
それが苦悩と不幸の原因なのだ。
今の私は世界全体の苦悩と不幸に
向き合わなければならない個的な延長線上の必然にある。
誰が否定しようとも。
ともかくも世界が正常であるためには
私を狂人に仕向けようとするかも知れない。
或いは私は道化を演じなければならない状況に陥るかも知れない。
そういう世俗的な可能性が恐ろしいのだ。
狂人と道化を私は何よりも嫌悪するがゆえに。
よって私と世界は
目には見えない形而上的かつ熾烈な戦いを続けてきている。
判官贔屓で、神は少しは私に肩入れしてくれているようであるが
決して油断はならない。
最終的には何がどうなろうと神も宇宙も無関心であることを
私は知っているから。
だから密やかに世界の実相と対峙し
世界と魂の戦いを演じ続ける以外に道はない。
 
私は、ただ漫然と歩いているだけではない。
歩きながら考えて、世界と対決している。
戦場の兵士のように殺されることはなくとも
虚しさと孤独に押し潰されて、行き倒れになりそうになりながら
私は自分なりの流儀で大きな敵と戦っているのだ。
面倒で鬱陶しくはあるけれど、
それ以外に私が今この現実を生きている意味が
見当たらないので仕方がないと言うべきか。