龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

犯罪を生む現代社会の境界

千葉大学工学部であるなら平均よりも知的能力はかなり上回っているであろうし、育った家庭環境も悪くはないようであり、近所に住んでいた人たちの評判も礼儀正しい好青年に見えたという男が、中学生の女の子を連れ去って2年間も自宅で監禁していたというと、何を考えているのかというよりも、一体、どういう精神構造をしているのであろうかと訳がわからない思いになる。一つ言えることは、恐ろしいことではあるが、今の時代においてこういう犯罪はその気になれば決して難しいことではないということである。街を歩けば、至る所に監視カメラが設置されていて、コンビニなどの店舗でも防犯カメラがあり、また多くの人の目もあるという状況は、一見、犯罪の発生を抑止してくれているように考えがちであるが、この極度に監視化された社会そのものが一つの大きな盲点を生み出していて、それは公的な場所においては息が詰まるほどに見張られている状況であるが、一歩、プライベートな空間に入ってしまえば途端に不可侵の聖域のようになってしまっていて、その境界が、物理的にも精神的な動機においてもこのような犯罪の背景となっているのではないかと考えられるということがある。物理的な面について言えば、犯罪における車の利用がある。公道や公共の場所がいかに監視されていても、車の中に引き込むことに成功すれば、そこはプライバシーによって保護される空間に様変わりすることとなるので犯行が発覚し難くなってしまう。現代社会においては、監視下の公的空間と保護されるべき私的空間の境界で犯罪は発生している。そして公的空間から私的空間に攫われてしまえば、犯行が発覚する可能性は大きく減少してしまうこととなるのである。車に押し込んでの犯行は、レイプで多く行われていると考えられる。夜間に人気のない道を女性が歩いていて、狙いを定めた犯人が車をそばに寄せて車の中に押し入れ、共犯の人間が車内で抑え込んで、そのまま連れ去って車の中やどこかの人里離れた山などでレイプして捨て去る。実際にそのような犯罪は相当数、発生していると想像されるが、仮に被害女性が警察に被害届を出したとしても、犯人が捕まることはほとんどないであろう。そういう状況で被害女性が、車のナンバーや車種を覚えている訳がないからだ。
このような危険な状況、犯行の手口について警察やマスコミはもっと警鐘すべきはずであるが、どういう訳か、痴漢などの微罪摘発ばかりに力を入れていてそのような犯罪抑止については何ら行われていないように見える。そう言えば昨年の8月に大阪寝屋川市で夜間に中学生の男女二人が徘徊していて、男に連れ去られ殺害された事件も、監視カメラに映されない地点で一瞬のすきをつくように車に押し込まれての犯罪であった。今回の事件もまた女子中学生の誘拐に車が使われている。車のプライバシーから家の中へのプライバシーに移送されてしまえば、2年間も発覚しないのである。こんなに恐ろしいことはないと思う。まさに現代社会の闇である。繰り返すが日本は公共空間の監視体制と、私的空間におけるプライバシー保護の差が大き過ぎて、そこが犯罪発生の要因なり温床となっているのである。警察と政治はもっと真剣に対策を講ずるべきである。
それから警察に言うとすれば、人命に関わることに対して官僚体質というか、いかにも紋切り型の対応は改めるべきである。今回の事件も警察は、中学生少女の家出として、事件としては取り扱っていなかったように見受けられる。警察の対応など取材しなくとも大体の見当はつくものである。恐らくは被害女性の両親は何度も広域に捜査してもらえるように掛け合ったのであろうが、事件であると見做すべき理由がないから、事件として捜査することはできない、事件性が低いということはすなわち家出の可能性が高いということである、というような論旨の対応であったのであろうと推測される。しかしである。中学生が学校にも行かず、金も持たずに、1週間や10日ぐらいならともかくも1年や2年もの間、自活して生きていけるものであろうか。そんなことぐらいは常識的に考えてもわかりそうなものである。反対に言えば、明確な証拠がなければ事件性は低いとして警察は動かない、家出事案として処理してくれるであろうという見通しがあるからこそ、このような犯罪は成り立つのであって、そういう意味では警察の意識や姿勢が遠因となって事件を生み出しているということも言えるのではなかろうか。