龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

不可解な国、アメリカの深層

驚きである。ドナルド・トランプ氏が本当に大統領になるとは驚天動地である。しかし私の予想は外れたが、言い訳をするつもりはないが、私の考え方、或いは洞察の方向性そのものは間違っているとは思えない。どういうことかと言えば、私はトランプ氏が勝利するのであれば、アメリカという国家に対する見方が180度変化するであろうと述べたが、今、冷静に考えるに正確に言えば120度位は広角に変化したが、残りの60度は依然として変わっていない。その60度に相当する部分とは、それでもアメリカは陰謀国家であるということである。アメリカは陰謀によって成り立っている国である。陰謀国家であるが、同時に陰謀国家であることが万人周知の既成事実となることを極度に恐れるというか、回避しようとする傾向性が強い国家でもある。根底においてアメリカは相反する矛盾を抱えながら存立しているものである。表向きは、自由と独立の価値を何よりも重視して、そのためには時として戦争をも辞さずに戦う姿勢がアメリカの正義であるが、裏側ではそのための筋書き作りや、政治的な工作活動、マスコミを通じた大衆への洗脳、日本などの同盟国に対する様々な圧力や協力の要請が、常に諜報機関によって行われているものである。今回の大統領選挙について見れば、私の見方が間違っていると言われればそれまでだが、当初はヒラリー・クリントン氏が大統領になる筋書きでありトランプ氏に勝ち目はなかったはずである。トランプ氏が当初、主張していた選挙の不正がどのようなものであるのかわからないが、私はアメリカの政府やCIAがクリントン氏を勝たせるつもりであるのであれば、何らかの方法でそうすることが出来たはずであると考える。つまり何が言いたいのかと言えば、その筋書きが、クリントン氏を勝たせる当初の予定が、何らかの理由で直前になって回避されたのだと思う。それで結果的にトランプ氏が公正なるガチの選挙結果によって勝利することになったのではなからうか。それではその理由が何なのかと言えば、クリントン氏の私的メール問題が選挙の僅か10日ほど前に着手され、直前に訴追しない決定がなされたことと大いに関係があるのではないか。FBIの背後でCIAが命じていたのは明らかだと私には見えたものだが、その茶番が失敗の原因になったと思われる。クリントン氏を勝たせることが目的であるならば、そのような工作は矛盾しているではないかと思われるかも知れないが、そうではなくて、そもそもクリントン氏が筋書き通りに勝利することに対して、陰謀が疑われないように、不自然に見せないための工作であったのだが、その方法のあまりのあざとさゆえに逆に不自然さが目立ってしまったゆえに、当初の筋書き通りクリントン氏を勝たせることができなくなったように思えてならない。果たしてこれは私の考え過ぎであろうか。そうは思えないのであるが。開票前にはトランプ氏の陣営は、これでもし勝てば奇跡であるとすら言っていたのである。奇跡などそう簡単に起るものであろうか。クリントン氏の私的メール問題に対するFBIの捜査と打ち切りについては、実際に批判が多かったのではないかと想像される。アメリカ国内だけでなく世界中でである。アメリカの大統領選挙は世界中から注目されているのだ。表面的には、さほど批判の声が上がっていたようには見えないかも知れないが、今の時代のCIAは信じられないことに世界中の人間の声なき声を監視し、調査し、データ化しているものである。元CIA職員のエドワード・スノーデン氏が暴露していることだが、各国の政治家や役人だけでなく、一般人のSNSやブログなどの公開されているものだけでなく、メールや電話内容までもが収集され、分析されているとのことである。よってこの私のブログ記事の内容も見られている可能性があるという以上に、恐らくは監視されているのであろう。もちろん一通、一通のメールや記事内容を数十億件もCIAの職員が精読することなど不可能であるが、キーワードで検索に掛けて、人工知能のコンピュータに分析させることは可能であろう。今はいとも簡単にそういうことが実施出来る時代であるのだ。よってたとえば、大統領選挙、FBI、メール問題、陰謀、茶番(英語で何というか知らないが)などのワードを組み合わせて検索し、膨大な数の情報を瞬時に分析することで、陰謀を実行したり、あるいは中止したりする意思決定に利用されていると考えても、決して考え過ぎということにはならないであろう。これは何も情報処理の能力がコンピュータによって飛躍的に高まっている数年来に限った話ではない。江藤淳氏の名著である『閉ざされた言語空間』によれば敗戦直後の日本はGHQ傘下の機関である民間検閲支隊(CCD)と民間情報教育局(CI&E)によって新聞やラジオの放送内容が検閲されていただけでなく、膨大な量の一般人の郵便物までが開封されてその中身を調べられていたのだ。そのための日本語熟達者を養成する学校まで設立されていたのである。よって今の時代も、民主主義とか選挙などの見せかけの社会システムによって非常に見え難くはなっているものの、本質的には戦争直後の検閲の延長上で世界は操作されているものである。コンピュータの処理能力拡大によって監視すべき市民の思想や政治批判の情報量が、天文学的に増大しているだけであって、行われていることは戦争直後の検閲と何ら変わらないものである。但し今回の大統領選挙のように、陰謀の範疇で陰謀が中止されて、民意が反映されることもあるのだから皮肉なことではあるが。信じようが信じまいが、人それぞれであるが、また議論するつもりもないが、9.11なども自作自演であることは誰も口に出しては言わないだけで、今や世界の常識である。地震兵器についても同様である。こういうことをタブー視ばかりに終始するのではなく、我々国民は大衆意識の陽の光に当てていかなければならない。危険な話は恐ろしいのでこの辺にしておく。話しを元に戻して私のアメリカに対する印象が変わった120度の部分とは、思っていたよりもアメリカの民主主義の許容量が大きなものであったということだ。私はアメリカにはトランプ氏を大統領として迎え入れるだけのキャパシティーは絶対にないと思っていたので、何らかの不正なり陰謀が実施されるに違いないと確信していた。アメリカという国は表の民主主義的正義と裏の陰謀の両面によって成り立っていることは確かであるが、どちらが出るかは、コインを投げてみなければわからないということであろうか。我々は一方的に監視されるだけでなく、常にコインの表面が出るように、我々自身が目を光らせてアメリカを監視していかなければならない。南海トラフ地震も控えていることであるし。