龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

詐欺の形而上学

詐欺の世界は面白い。などと言えば、誤解を招くであろうが、何も私が誰かに詐欺行為を働いて、楽しいと感じている訳ではないし、詐欺師に転職してやろうなどと考えてもいない。面白いという意味がどういうことかと言えば、有史以来、人間世界に繰り返し行われてきたであろう、人が人を騙したり騙される人生の悲喜劇が私には、社会学的に或いは文学的に見て興味深く感じられるということである。たとえばタイトルは覚えていないが、TVのノンフィクションで素人の詐欺被害者が、放送局が用意した興信所の探偵や弁護士と共に詐欺師を追い詰めて、被害者の前で白状させ、ついには謝罪させるという番組を何度か見たことがあるのだけれど、皆さんはご存知ないですか。私などはそういう番組を見て、これはどう見てもやらせではないのか、何でわざわざ詐欺師が、たった一人で、被害者の味方であるタレントや探偵、弁護士が待ち構えているどこかの部屋までついて行って、寄ってたかって批判、追及され、顔にモザイクが入っているとは言え、全国放送で自らの悪事が暴露される姿を放映されることなど了承するものであろうかと考えてしまうのであるが、仮にそうだとすれば、TV局が詐欺師のドキュメンタリーをやらせで捏造して放映するのであればということであるが、視聴者に実害がないにせよ、どっちが詐欺師やねん、そんな嘘番組で視聴率を取って、スポンサーの商品を広告することこそが、社会正義を売り物にしたインチキであり、公共道徳に反しているのではないかと憤慨してしまうのであるが、そもそも探偵にせよ、弁護士などは特にそうだが、現実にはあくまでもビジネスライクに報酬に見合った最低限の仕事はするであろうが、そこまで依頼人のために、或いは社会正義のために詐欺師と敢然と戦ってくれることなど有り得ないことであり、ましてや撮影のカメラの前で、詐欺師に詐欺行為を認めさせ、謝罪にまで追い込むに至ってはほとんど漫画チックですらあるようにも思える。しかし、まあそういうことで一々目くじらを立てていれば、今の時代は生きていけないということも事実であって、世の中は、ことにTVはそういうものだと思って、情報に接していなければならないものである。ということでやらせであっても、ガチでも別にどちらでもよいのであるが、実際にはそういう類のTV番組は、100%のやらせや、100%のガチということはほとんどなくて半々とか、4分6分など、適度に嘘と真実が取り混ぜられて構成されているのだと思われるが、それでもやはり詐欺師と詐欺被害者の臨場感のあるやり取りを垣間見ることは面白いので思わず見てしまうものである。こういうことを言うと、人間性が疑われるので本当はあまり言いたくはないのであるが、詐欺の被害者が、結婚詐欺や投資詐欺などの詐欺師の面前で、「あなたのことを信じていたのに。」と言って、よよと泣き崩れる場面を見ると、私の心はなぜか浮き立ってしまうのである。その心理が何なのかと自己分析するに、馬鹿な奴だなと優越感を感じているのではないし、いい気味だなどとも私は思ってもいない。何と言うのか、こういう言い方をすれば誤解される可能性もあろうが、心から信じて騙されてしまう人の姿を見ると、その相手が詐欺師であってもカルト宗教の教祖であっても同じであるが、私はそこに、皮肉ではないが嘘偽りのない人間らしさを感じてしまって、可哀そうとか、気の毒であるというよりも、その人間らしさに人生の真実を感じ取ってしまうのである。ああ、この人たちは、詐欺師も詐欺の被害者もということであるが、確かに生きているんだな、などと感じ入ってしまうのである。極論すればであるが、生きるということは騙されるということだと思う。世界は、森羅万象はと言ってもいいかも知れないが、嘘で構築されている。嘘といえば語弊があるであろうが、実体がないというか、究極的な確かさなどというものは宇宙のどこにも存在し得ないという一つの絶対的な真理がある。そもそも物質というものが、我々の脳や肉体も物質の一つであるが、原子以下の電子とか量子のレベルになってくると、確かに何らかのエネルギーは検知されても、本当に一つの時空間に物質として実在するかどうかわからないということである。つまりは我々の存在そのものが微視的な視点で見れば幻のようなものなのだ。だからそういう幻影が土台となっている自己存在の虚構性を打ち消して、心に安らぎを感じさせてくれたり、生きていることの実感を与えてくれるものが、他者や物との関係性であったり、つながりであるということになるのだと思う。自分は本当は実在していないからこそ、実在しているかの錯覚をより確かなものにしてくれる物語や関係性を人は自らの人生に追い求め、作り上げていこうとするのだと思われる。愛を求めたり、地位や金に執着するのもそういうことではなかろうか。そういう私自身、詐欺とは無関係であるが、子供が幼稚園か小学生低学年の小さな時分に、別居や離婚の問題で会えなくなってしまった時には、自分と言う存在がこの宇宙から消失してしまうのではなかろうかという喪失感と苦悩を感じたものである。それがそれから10年近く経って、子供が高校生になり、今では離婚はしていてもごく普通に連絡を取っていつでも会えるような状態になっているが、思い返せば、その当時に私が感じていた精神的な苦痛がどういうものであったのか、もうよく思い出せないのである。結局、子供が小さなときに我が子と引き離される苦しみというものは、自らの存在証明を喪失して幻の虚無に立ち返ってしまうのではないかという恐怖だと考えられる。人間は虚空の中で、実体のよすがとなるものに執着し、しがみつくようにして生きているんだな。だから時には存在の根底から揺さぶられるような騙し方をされることもあり得るということだ。宗教に騙されるのも、政治に騙されるのも、詐欺師に騙されるのも、根底においては皆、同じなのだ。色即是空、空即是色である。ともかくも皆さん、悪い人間には騙されないように注意しましょう。そして言うまでもなく、今の日本で本当の一番の悪人は政治家なのである。政治家はその辺の詐欺師以上の大悪人である。よって政治の情報に接するときには、ラフカディオ・ハーン耳なし芳一のように裸になって全身に般若心経を書き写し、悪霊に相対するぐらいの心構えが必要である。また政治の嘘が見破れるようになると、詐欺師や繁華街のぼったくりに騙されるようなこともなくなるのである。そういうことなのだ。