龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

見えざる何かが、私に何かを語らせる

今にも台風がやってきそうな天候の中、高校の同窓会があって、2~3年前から完全に酒を止めてしまっている私は参加することが気が進まなかったのであるが、昨年同様に友人や幹事の誘いを断り切れずに結局、出席したのであった。3時間続いた1次会の場で、男性だけでなく女性もビールや紹興酒、ワインを次々と飲み干していく雰囲気の中で、私一人がウーロン茶とオレンジジュースで過ごしたものである。酒を止める以前には、毎日のように缶ビールを2~3本飲んでいたし、一人で馴染みのバーに飲みに行くことも多かったのであるが、その話しをすると大抵の人間には、よく止めれるなあ、意志が強いなあ、などと感心されたり、びっくりされたりする。医者などは特にそうで、たまに病院に行くことがあってその話しをすると、お愛想ではなくて本当に驚いているのがよくわかるのである。恐らくは医者は普段から患者に対して、酒を止めることを勧めているのであろうが、医者本人を含めてほとんどの人間が酒を止められないことを知っているので、私のような人間がよほど珍しいのであろう。私が絶っているのは酒だけではない。砂糖や砂糖の入っているジュースやお菓子、饅頭なども今は一切口にしない。そのことを同窓会の席で女性に対して話すと、女性にとっては酒よりも甘い物の誘惑がより大きいものであるのか、「ヒヤァー」とか最大級にびっくりしたような音声を発しつつ、ほんの一瞬ではあるが私を見る目に人間とは異なった生き物を見るかの色が走るのがわかるのである。しかし謙遜でも何でもないが、別に私は人よりも意志が強い訳ではないのである。むしろ意志力は弱い方であろう。意志の問題ではないのである。純粋に意志の力だけで酒を止めたり、ギャンブルや何かの依存症から抜け出すことは私は不可能だと思う。酒を飲んだり、ギャンブルをしたりという行為は、本能でしていることではなくて誰もが皆、それぞれの理由付けがあると思うのである。その自分なりの理由を、社会や政治が酒やギャンブルなどを必要としていることの根本的な原因なり背景と関連の中で考えていくと、意志の問題ではなくて、何て言うのか自分の問題を離れて、社会のために私は酒を飲んではいけないのだ、とかギャンブルをしてはいけないのだという妙な使命感みたいなものに知らず知らずの内に自己規制がなされてしまうのである。でもそういうことを誰か人に話せば、口には出さずとも変人のように思われるであろうし、まあ変人ではなくとも恐らくは常人の理解の範疇を超えているであろうことがわかるのでそういうことは言えないのである。下手をすると精神病理的に解釈されるのではないかという恐怖すらある。だから私は大抵の場合は、普通の人が(私も普通の人であるが)理解できるであろうレンジの言葉を探って説明する傾向がある。ブログ記事に書いている記事なども全て同じである。コミュニケーションは最低限の他者の理解がなければ成り立たないが、私は他者とコミュニケートするために表現や主張をしている訳ではない。その線引きをどの位置でするのかということは、私にとっては生きるということの課題でもある。酒を止めたことの説明については、私は同窓会の場で一人の女性に対して、世の中は嘘で成り立っているから自分の健康を守るためには常識的な社会通念を捨てる必要性があるとか、農薬や防腐剤の問題だけでなく輸入食品は日本人の遺伝子に合わないことが多いから食べない方がよいとか、軽度の鬱やパニック障害心療内科などには絶対にかからずに砂糖を一切止めれば治ってしまうとか、最も免疫力を向上させる方法は実はファースティング(断食)であるということなどを説明していって、こういうことは絶対に政治やマスコミや医者が認めないことではあるが真実であるなどと話しをすると心から同意してくれるものである。同窓会のような場に出て、いろいろな職業の人と話しをしていると世間というものがよく見えてくるのであるが、皆、それぞれが真実の感覚というものを持っていて、いろいろなことがよくわかっているのである。でもそのような世間的な真実の感覚とは別に、政治やマスコミによって形成される社会通念のようなものが強力に生活の中に入り込んでいて、日本という国も結構、恐ろしいところであることがわかってくるものである。薬害で言えば、昔のサリドマイドとか最近の薬害エイズもそうだけど、日本という国は因果関係が認められにくいようなことは実は欧米などに比べても放置されたり、隠蔽される傾向性が大きいのである。癌治療は抗がん剤放射線治療の標準療法に限るという通説も医者や製薬会社の権威性の下で反論が許されないような状況ではあるが、私ははっきり言って個人的には信用していない。但し民間療法で末期癌が治るのかと言えばそれも信用はできないが、下手に医者にかかって初期癌の段階から抗がん剤を投与したり放射線を照射するのであれば、少しずつでも食べる量を減らしていく断食療法をした方が治る確率が高いのではないかと考えている。そしてそういうことが見えてくると、酒を止めるというのは意志の問題ではなくなってくるのである。別に少しぐらい酒を飲んだからと言って、それで身体がどうこうなる訳ではないことぐらい、何十年も毎日酒を飲み続けてきた私にはよくわかっていることではあるが、しかし少しぐらいの酒を飲む感覚は、私にとって見れば医者が出し続ける副作用の強い薬を無条件に服用し続けることと同じなので、それを自分に許すことが出来ないのだ。そして酒や医者の奨める薬を飲むということは、私にとって見れば政治やマスコミの嘘を日常的に受け入れるということとも同義なのである。こういう風に説明すれば世間の人は私の考えを理解してくれるのであろうか。ただいずれにしても私のような考えなり意識の人間は、政治とかある意味では社会全体にとっても危険性が大きいとして調整されなければならない対象となるのであろう。調整とはあまり目立たれると困るということだ。私も別に目立ちたいとは考えていはいないのであるが。ただまあ、世間の人が私のことをどのように見做そうが、日本の政治の嘘の構造だけは限度を超えていて許せないものがあるので、根底からひっくり返してやりたいとの思いはある。そのためにも私は四六時中、素面であり続け、水晶のような透明な意識を追及していかなければならないと考えている。ある意味ではそれが私にとっての唯一の道であり、宿命なのだ。