龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

憲法改正よりもマスコミ改革を優先させよ

安倍総理及び自民党憲法9条改正案が全く理解できない。第1項、第2項を残したままに自衛隊を明記するということだが、それでは現状と何も変わるところがないではないか。自衛隊違憲であるなどという意見や議論があるにしても、不必要だとか即刻廃止せよなどというような声は聞こえてはこない。共産党ですらそのようなことは言っていないはずである。現に日本は年間に5兆円近い防衛費を計上しているのである。そのほとんどが自衛隊関連のものであるはずだ。廃止させるべきではないが違憲状態だなどという議論は、所詮は議論のための議論でしかないのであって暇人はそういうことを言い続けながら生涯を終えればよいのだと思う。そういう主張は公益に関わるものではなく個人の趣味の問題だと思う。そのような不毛で馬鹿げた議論を終息させるためだけに憲法9条自衛隊を明記するとでもいうのか。
自主憲法の制定や改憲自民党の悲願だなどといいながら、そういうくだらないことの修正、変更だけのためにこれほどまでの時間と労力を傾注するとは一体、どういう了見なのか。 国民を馬鹿にするのもいい加減にしろと言いたい。これでは所詮は自民党及び安倍総理選挙対策のためだけのパフォーマンスではないか。内容はともかくも憲法改正への取り組みの姿勢だけを見せていればそれなりに支持率が上がったり、下がらなかったりする傾向性はあるのであろう。安倍総理の政治的な特質は明らかであって、一口で表現すれば常に口先のごまかしなのである。内容が伴っていなくて実質的には現状維持に過ぎないのに大層な一大改革を果たしたかのように見せようとする。
そもそも憲法改正には「国民的議論が必要だ」などといいながら、その肝心の国民の意見や意識が反映されているどころか、ほとんど無視されているに等しいものである。国民の存在を無きものにして政治とマスコミだけで憲法9条という粘土を捏ねくり倒し、弄んでいるだけである。日本はそういう児戯に等しいような議論や政治を何年、何十年と繰り返してきているものである。そういう状態から脱却するためにこそ日本は全体的な意識改革が必要なのであって、その必要条件として憲法9条の改正が不可欠なのである。核兵器についても民主国家であることを標榜するのであれば、少なくとも議論は必要であるはずだ。それが議論することもならない、許されないなどという全体統制のどこが民主であるというのか。一部のマスコミがそういう議論も封印しているのであれば、日本という国家は本質的には民主主義ではなくて、マスコミによる統制、管理によって存立している永遠の国民不在国家であると言えるのではないのか。そのような大前提を改めなければ憲法改正などといっても欺瞞にしか過ぎないし、また皮肉にも左翼言論が危険視する通りに危険なのである。私は順序、筋道とすれば先ず日本を立て直していくためには国民意識を一新、覚醒させていくためにも憲法改正の前にマスコミ改革を断行すべきであると考えるものである。今の状態は本当に政治とマスコミだけが身内意識の中でぐちゃぐちゃとやっているだけである。そういう問題意識を醸成させる地点から日本は出発しなければどこにも辿りつかないのである。