龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

常識の地平線


これから述べることは、個人的な妄想の類による笑い話として受け取っていただきたい。具体的な根拠のないことについてああだ、こうだと不毛な議論などしたくはないし、またそういう気力もない。頭の中で何をどのように考えようと、妄想は所詮、妄想でしかないのだし、証明することができない考えに囚われて生活することは不健全である。しかし私は元々、どちらかと言えば現実主義的な人間で、妄想や夢想に喜びや安らぎを見い出すタイプではない。TVに出てくる霊能力者や新興宗教の教祖の言葉を信じたり、感化されることもない。感化されるどころか、仮に私がそのような霊能力者や教祖と1対1で向き合う場面の状況を想像すると、相手の思考回路や話しの論理の欠陥、またその場限りの恣意性を指摘して喧嘩してしまいそうなところがある。また自慢する訳でもないが実際にそのような相手を論破して、やっつけてしまう自信があったりもするのである。それはそれで社会性なり成熟した大人に求められる節度の観点から見れば、ちょっと問題なのであろうが、ともかくも私は子供のころから性格的には内向的で大人しかったのであるが、心の核にそのような激しさというか、自分でもよくその正体がわからないが誰にも譲れない領域を持っていたようである。結局、私という人間は、人を支配したり、或いは人から支配される状況が苦手というか嫌いなのであって、そのために超現実的な理屈なり方便を安易に提示されると激しく反発するが、その反面、超現実的であろうと神秘主義的であろうとそういう方面の考えそのものは決して排除しないし、排除するどころか自分なりの客観性と合理性でもってどこまでも独自に追及してしまうようなところがある。そのあたりに私という人間の難しさとでもいうか、一般的に理解されることの困難さがあると思われるが、私のような人間は一歩間違えば自分自身が、霊能力者はともかくも何かの教祖になってしまう潜在的な可能性があるかも知れない。とは言っても、今のところはそのつもりも兆候もないが、とにかく私は昔から身近な人から押し付けられるように言われる高説やTV番組で放映されているような内容はほとんど信じてこなかったが、自分の奥底から湧き上ってくる想念やアイデアについてはそれがどれほど世間一般の常識からかけ離れたものであろうと、うっかり人前で口にしてしまえば狂人扱いされるようなことであっても否定や排除をしないし、またできないのだ。私にとっては社会通念や確立された定説よりも、自分の魂から汲み上げられる気づきなり真理の方に価値がある。それが私の人生を不幸にしている主要因なのかも知れないが。私はこれまでの人生で、どこからその自信は出てくるのかと聞かれることが幾度となくあった。嘲弄されているのである。外見的には大人しそうで、どう見ても大した人間には見えないのに、内側に揺るぎない自信を秘めているように見えることが他者の目には不思議なのであろう。そういう風に見られても困るのであるが。別に私は揺るぎない自信など持っていないし、そういう境地にも至っていない。ただ求道者のように自分の頭で考えて、追及し続ける姿勢があるだけなのだ。まあでも敢えて言えば、自分の柔らかな心を守るために世間や世俗の考えを見下したような雰囲気を醸し出してしまっているとでも言うか、実際に見下しているのだが、無意識の内に社会の通俗性を敵に回してしまっているところはある。それを一つの個性と見なすべきなのか、それとも人格の歪みなのか、そういうことは私にはわからない。因みに私は、TV番組に顔を出し続けて、権力や反権力の論説を通俗受けするように捏ねくり回しているタレント精神科医が最も嫌いな人種である。

さてそんなことはどうでもよいのであるが、本題はここからである。繰り返すが妄想ですよ。つまらない議論などしたくはないのですからね。私は1963年7月生まれである。それで1969年ということは私が6歳だから小学校に入学する前であったが、その年に何があったかといえばアポロ11号の月面着陸である。当時はまだ白黒テレビであったと思うが、TVでは盛んにこのニュースが放映され話題にされていたことを子供心に覚えている。当時の私はそのニュースを見ていて、どうしても解せないというか理解できないところがあって、そのことを父親に懸命に質問していたのだが、父親は私が何を言っているのかさっぱりわからないのであった。それでも私はどうしてもその疑問だけは放っておけないような気がして、拙い言葉で父に聞き続けたところ、ようやくにして父は私の言っている意味を理解したのであった。そして父は非常に困惑した顔で、「宇宙の本を買ったらなあかんな。」と呟いたのを今でもはっきりと覚えている。どういうことかと言えば、私はその年齢まで自分たち人間は、地球の内部に住んでいるものだと思い込んでいたのである。だから頭上に見える雲や太陽、月などは地球という大きな容器の中に存在しているものであって、どこまでも無限に続くように見える空もその彼方には地球の内側の天井があると子供心に考えていたのだ。それがアポロ11号月面着陸のニュースを見ている内にどうも月は地球の外側にあるということがわかってきて私の頭は混乱してきたのであった。それではどうやってあのロケットは地球の壁を突き抜けて月にまで到達したのであろうかと。その疑問を私は父にしつこく聞き続けていたのであった。まあ小さな子供の思い違いというものはそのようなものなのかも知れないが、最近というか1~2年ほど前からなので50歳を超えてからであるが、その当時の子供時分の私の思い違いは「事実」であったのではなかろうかという気がするのである。私は前世か前々世かわからないが過去世で地球の内部に住んでいたことがあったのではなかろうか。6歳までの私の思い違いは、過去世の記憶という訳である。まあそこに想像の飛躍があることは否定できないことではあるが、それでもそのような考えが否定できない理由は、そのように考えると今の私の世界や社会に対する見方であるとか孤独や苦悩の原因というものがしっくりと理解できるような気がしてならないということなのである。だから私はもちろん人には決して言わないことではあるが、今では地球の内部は空洞になっていてそこには地底人が住む文明があると確信まではいかなくとも、恐らくはそうであろうと本気で思っている。ただ何度も繰り返すことではあるが私の基本的な思考回路は現実主義的な色合いが濃いのでそういうことで議論したり、日常生活では少しでも話題にはしたくないものである。しかし矛盾するようであるが時には詩的にでも表現したいという衝動もあって、その辺がなかなか自分の内部で折り合いをつけるのが難しくもある。最近では宇宙人や地底人の魂を持った人間の特徴が何となくわかるようになってきている気もする。それについて話し出すと長くなるし、宇宙人や地底人の方々のご機嫌を損ねてもいけないので今日はこの辺りで止めておくのが無難であろう。