龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

おばはん国家の女性、男性問題

漫才のようにもうええわと言って締め括りたいけれど、世の中のチープな騒動が中々収束しないので、さらに付け加えるが、とろサーモンの久保田の暴言が女性蔑視だと言って社会問題のように話しを大きくしている人々の頭の程度というものこそが残念である。問題の動画を見ると確かにオバハンとワードが聞こえてくるが、そのオバハンは上沼さんのことを指して言っているのであって、上沼さんに対しては失礼な言い方かも知れないが、何でそれが女性蔑視であるとか女性差別になるのであろうか。少なくとも私は誰かが女性に「オッサン」などと乱暴な言葉で悪口を言われている場面を見たとしてもそれが男性蔑視であるなどとは全く思わないであろう。また好き嫌いの感情で審査するなと言ったことが女性蔑視であるということもそう短絡的に結び付けられる頭の構造というものが理解し難い。久保田やスーマラの芸人は上沼さん個人を中傷しているのであって女性全般を貶めようというような意識や気持ちがないことは誰の目にも明らかなのではなかろうか。むしろそれを安易に女性蔑視であると決めつける意識の中にこそ、たとえそれが男性だけでなく女性であったとしても、その人が抱いている女性性というものが反映されているのではなかろうか。そういう人は女性であれ男性であれ、女は感情で動く生き物だからそれを批判されて当然だと無意識下においては考えているのだと思う。それが今回のように社会的にある種の「悪者」が祭り上げられて、それを批判する正当性を得た時に歪んだ形で反転して噴出してくるのだと考えられる。久保田やスーマラは上沼さんという「一個人」に対して非常に失礼な発言をしたが、女の審査員はダメだとか、女性にまとまな審査ができないなどとは一言も言ってはいない。ただ感情的な審査をしないでください、と言っただけである。それを女性の特性であるとする含意があると決めつけているのは、女性蔑視だなどと批判している頭の中の回路の問題である。よくもまあそのような歪んだチープな回路で生き長らえているものだと個人的には心底、感心する。女性は男性に比べて感情を表現することが上手であるし、それは女性の女性らしい特性であって、悪いことでも劣っている点でもなく美質であるといえる。たとえば女性は電車などでたまたま隣り合わせになった赤ちゃんなどに笑顔であやしたりすることが自然にできる。私などがそういう真似をしようとしても、顔が引き攣ってしまって赤ちゃんを泣かせてしまうのではないかと怖くてできない。まあそういうことが自然とできる男もいるのであるが。しかしその一方で女性は感情的になって、感情のパワーでその場の空気や相手を支配しようとすることが多いことも事実である。だがそれにしても「感情的」というマイナスの言葉のイメージを女性に短絡的に結びつけることは、女性、男性を問わずその人の頭の中の問題なのである。またそれがどのように表出されるかということは、その人の知性や品性のレベルによるのだと思われる。「更年期障害」も女性だけの症状ではなくて、男性にもある。私もそうだが50歳代になってきて男性ホルモンの数値が低くなってくると、女性のようなイライラの症状はないが、頻尿になる。夜、寝てから朝起きるまでに2回トイレに行くことになる。因みに頻尿はバソプレッシンというホルモン濃度の低下によって症状が現れるようである。バソプレッシンは一旦、腎臓で濾過された尿を再吸収して濃くする働きがある。よって頻尿の尿は薄いので水のような透明で臭いもないものである。筋トレをして男性ホルモンのテストステロンを増やすとバソプレッシンも回復し頻尿も収まるので少し前まで、私は懸命に腕立て伏せやスクワットをしていたものである。今はジョギング中心で筋トレはあまりしていないがその時には腕立て伏せは80回していたものである。スクワットも160回していた。男は男性ホルモンが低下してくると頻尿になるだけでなく、恐ろしいことに「おばちゃん化」してきて男でなくなってしまうのである。因みにバソプレッシンというホルモンは興味深いことに男性の攻撃性とか縄張り意識と密接に関連しているらしい。犬が散歩中に電柱に尿を掛けて、縄張りを主張するのと同じなのだ。人間も犬もホルモンや細胞のレベルでは大した差はないのかも知れない。水のような臭いのない小便をしている男は、縄張りも主張できないし、中身は男でなくなってしまうのである。領土を主張できない日本も言ってみれば、尿の薄い「おばちゃん国家」である。しかもそれだけではない。より恐ろしいことには男の男性ホルモンが低下しておばちゃん化してくると、一緒に住んでいる女性の男性ホルモンが増加して、おっさんのように変化してくるのである。それも頼りない男の男性性を補って、生き延びていくための細胞レベルでの生物学的な戦略なのかも知れない。よって女性の女性らしさを留めておきたいのであれば、男は一生懸命、筋トレなどをして男性ホルモンが低下しないように努力しなければならないのだ。それが男の宿命である。まあそんな話しはどうでもいいのだが、とにかく「更年期」というワードだけで女性蔑視だなどと決めつけるのは、尿が薄いかどうかはともかくとして単細胞の知的レベルである。女性、男性以前の問題だ。何でもかんでも話しを拡げて、怒りの輪を大きくすればよいというものではないであろう。他にすることがないのか。え、お前こそ仕事中にこんなブログの記事を書いとらんと真面目に働けてか。
もう、ええわ。