龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

寂しさゆえの理想主義

輸出管理において問題がないと判断されれば、半導体基板に使う感光材のレジストがサムソン向けに輸出許可が出されていることからも明らかな通り、輸出の個別審査は安全保障上の適切な処置であって、徴用工問題に対する報復行為ではない。但し、徴用工問題についての対抗措置は、それはそれで別案件として日本政府は粛々と進めるべきである。政治的な判断であるとは言え、騒ぎ立てる相手国の声の大きさによって対応を変えていたのでは、日本そのものが優柔不断で一貫性のない国として国際的な信用を失うことにもなりかねないであろう。また韓国のように狂った政治の国とは、国家的なリスク管理の在り方としても国民感情においても、親交する上で日本にとっては何のメリットもないものであるから、アメリカが要求する軍事的な協力関係以外の、経済、民間交流は中断する方向性で着々と進めていくべきである。それが日本にとっての最善の選択であろう。国際間の協定を平然と反故にしたり、何十年も経過してから解釈を都合よく変更するような国と外面的に親善することに何の意味があるというのであろうか。
韓国の政治が狂っているにしても、日本にはその韓国の政治や日本に対する要求を正常なものだと見做そうとする狂気に近い歪みが存在する。日本は直接的には韓国の政治を変えることは出来ないであろうが、先ず自国の狂気や歪みと向き合っていかなければならない。そういう意味では日本と韓国は、合わせ鏡である。狂気や歪みを映し合って、おぞましい現実の像が紡ぎ出されているのであろう。本来であれば誰がどのように考えても、正当で当たり前の輸出管理の見直しを、徴用工問題に対する間違った報復行為だなどと、日本の一部の識者や言論機関は主張するものである。そこにあるのは現実に対する認識、判断能力のずれではなくて、精神構造上の問題であると言えるであろう。よって今や我々日本人は、少しでも日本を憂うる心があるのであれば、精神科医のような目と知性で日本を診断する必要性に迫られているということだ。
一例を挙げれば、鳩山由紀夫氏の発言というものがある。私は個人的には鳩山氏の日韓問題への発言内容について、思想上の信念であるとか、理想というものを全く感じ取ることができない。感じられるものは、人間的な弱さだけである。もちろん私の勝手な見方なので違うというのであれば大いに反論していただければ結構であるが、鳩山氏は政界を引退して、国民に自分の存在が忘れ去られていくことが寂しいのであろう。恐らくはそれだけの理由で、元首相である鳩山由紀夫という人間を国民の心に今一度、思い起こしてもらう目的で発言しているのである。よって発言が多くの国民の反感や批判を集めても、それによって自分を思い出させてもらえることで、心理的な充足感を得ているのではないのか。同意や賞賛(今更それを期待するのは不可能であるということもあるが)よりも、批判、反感の方が、忘却からの想起においてより効果的に働き得るということが本人的にはよくわかっていて、そういうことは織り込み済みというか、想定内のことなのである。鳩山氏は寂しい人間にしか私には見えない。そしてそこに老人的な頑なさが、凝固剤のように混じり合って、あのような言動が国民の忘却度合いに応じて散発的に繰り返されるのであろう。寂しさに罪はなくとも、元首相であるという立場と影響力を考慮すれば、人間としての弱さは非常に罪深いものだと思われる。鳩山氏は民主党政権がなぜ失敗したのか、そして民主党が消滅することになったのかについての総括の分析なり、反省をこれまで発していない。していることは自分の寂しさや弱さを紛らわせるようなコメントで一時的な注目を集めているだけのことである。そもそも鳩山氏だけではなく、男というものは誰もが砂を噛むような寂しさや孤独を抱えながら生きているものである。男は人生の中で、寂しさや孤独と向き合うことで自らの弱さというものを自覚し、弱さを克服することはできなくとも、それを自覚し、受け入れることが強さへの第一歩となって他者に対して良い影響を与えられる人間に成長していけるのではなかろうか。男女間の違いをことさら強調するつもりはないが、それでもやはり男と女は違うと思う。女性もまた男と同じような寂しさを持っているのであろうが、男のように個人的な寂しさや孤独の埋め合わせをするために、理想主義であるとか社会正義の論理に訴えたりはしない。そこには現実に対する誠実さと清潔感がある。男は家庭や組織の中で自分の弱さや寂しさを隠すために、原理や正義に訴えて自らを正当化しようとする生き物である。そしてその度合いが強過ぎれば、結局は身近な者からの尊敬も得られないし、また真に相手のためになる良い影響を与える存在者にはなれないものである。私もまた寂しくて孤独な男であるから、そういう人間にはならないようにと常に自らを律しながら生きているつもりである。家庭や企業などにおいてもそうであるのだから、一国の元首となれば尚更のことである。鳩山氏は民主党政権時代に自らの性格的な弱さや意志薄弱が日本にもたらした混乱と政治破壊にこそ真摯に向き合うべきである。その他のことについては国民は、誰も何も求めてはいない。フリ-メーソンか何か知らないが、男性しか入会できない結社の男性原理で、忘れ去られる男の寂しさを紛らわせる発言ばかりをしているようでは情けないとしか言えない。男は言葉を発する前に、その言葉が何に根差していて、何に駆り立てられたものであるか、よく吟味しなければならないのである。