龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

3D社会への不安

3D(スリーディー) やらせ飛び出す テレビ欲し
最近、3D映画の興行成績が好調なようである。私も『アバター』と『アリス・イン・ワンダーランド』を劇場で見た。個人的な感想を言うと、見ていて疲れるし気分的にもどこか落ち着かない。何かしら騙されているような気さえする。まあ私の体質が3Dを心地よく受け取れないだけなのかも知れないが、映画はまだよいのである。そもそも映画とはわざわざお金を払ってまで、騙されに行く娯楽である。日常の世界を離れ、何も考えずにぼんやりとフィクションの世界を浮遊する。だからそのような内容の映画には3Dは合っているし、たくさんの観客を呼び込む力を持ち得るであろう。
しかし家庭用のTVはどうであろうか。言うまでも無く家庭は日常の真っ只中に存在する空間だ。そのような空間で3Dを味わい続ける弊害はないのであろうか。たとえば、わかりやすい例で言えばアダルトビデオについて考えていただきたい。3Dの立体的な女体を習慣的に見ていれば男性の生殖能力が極端に減退することは衆目の一致する所であろう。3Dに脳が慣れてしまえば、現実の性行為に及んで3Dにない女の臭いや猥雑な気配を脳が情報処理できずに混乱してしまうからだと思われる。そのような若年男性の割合が増えれば、今後ますます日本の人口は少なくなるであろう。
それならばここでもうひとつの問題提起をするが3Dによって減退する能力とは、アダルトビデオを見る男(多かれ少なかれ誰でも見ると思うが)の性能力だけであろうか。広く情報と脳の関係性のレベルで考えると問題は深刻な様相を抱えているように思われる。情報とは受け取って妄信したり、過信するべきではなく自ら思考力で濾過させてからそのエッセンスを血肉としなければならない。ところが3Dの立体的な迫力や臨場感を脳が一旦、権威化してしまえば自分の頭で考えるということは出来なくなってしまうであろう。一時期、オウム真理教の麻原が信者たちに幻覚を誘引する飲み物を飲ませて神秘体験させていたのと同種の危険性がある。3Dと幻覚の違いはあっても、脳が無条件に権威として反応する点において同じである。そこには当然、洗脳の問題を合わせて考える必要がある。
権力筋や大企業にとって、大衆に無条件に何かを信じさせるテクノロジーは大変に有り難い道具である。見せたいところをより一層強調して、隠したい部分は大衆の目や思考に触れさせない、そのような道具として3Dが家庭用テレビで利用される危険性が高い。広告効果が高まって景気がよくなるなどと無邪気に喜ぶべきではないと私は思う。
また家庭とは本来、会話と団欒の場であるはずだ。テレビはこれまで会話をしながら、食事をしながら、アイロンがけや掃除などの用事をしながら見るものとして家庭内に有り続けてきた。ところが3D専用のメガネはそのような家庭の平和でのどかな風景を一掃させてしまう。家族が会話もお互いに見遣ることもなく奇妙なメガネで立体画像を見続ける光景は殺風景であり、薄気味悪くもある。食事時であれば箸からおかずやご飯が零れ落ち、行儀悪いことこの上ない。家庭のテレビはそこまで集中して見なければならない代物であろうか。
私は家庭用3Dテレビなど所詮、普及も定着もしないであろうと考えてはいるが、上記に書いたようなことを良く考えて当局はルールや指針を作成すべきだと言いたい。