龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

2006-01-01から1年間の記事一覧

共時性について

共時性という原理がある。ユングが提唱したことで有名な概念である。私は20歳代後半の数年間、この 共時性の中で生きていたと言っても過言でないような時期があった。たとえば、わかりやすい例で言えば 商店街を歩きながら、ある有名人のことを考えていた…

『裁判官が日本を滅ぼす』2

『裁判官が日本を滅ぼす』新潮文庫 門田隆将 第三章 犯人が消えてなくなった仰天判決 1993年1月13日に発生した山形マット死事件についての裁判である。被害者の児玉有平君(当時1 3)は、体育館の用具室(マット室)の中で、円筒形に巻いて立てられ…

『裁判官が日本を滅ぼす』1-2

以下は私の感想である。作者はまえがきにおいて、日本の裁判は「真実」を発見するところではなくなっ ている、正確にいえば日本の多くの裁判官には「真実」を炙りだす能力も識見もないし、そもそも真実を 導き出そうとする意欲もないのである、と述べている…

『裁判官が日本を滅ぼす』1-1

この本を読むことは、現代の日本社会で生活する者全てにとって非常に意義深いと思われる。私自身、民 事裁判を体験して裁判官の判決というものがいかにいい加減なものであるのかということが身に沁みてわ かったのだが、この本はそのいい加減さの背景にある…

ブラッディー・マリー

場末のバーの片隅で、 酒を一杯飲むごとに 私の魂は沈んでゆく。 あれやこれやと考えながら 深く、深くゆっくりと 海の底に落ちてゆくように 私の魂は沈んでゆく。 そこではもはや日の光は差さず 景色すらなくて、誰も誰もいないところ。 そんな暗くて寂しい…

ある日の出来事

『ルーブル美術館展』最終日の11月5日(日)、京都市美術館に行ってきた。 最寄の駅を出て美術館への途中、面白い風景を見た。浅瀬に流れる水のなかで小さな子供とおじいさん が、その小川に覆いかぶさるように実っている柿を剪定を兼ねてなのか枝ごと刈…

女性教師自殺、遺書の言葉

鹿児島県曽於(そお)市の中学校の女性音楽教諭(32)が、パワーハラスメント(職権による人権侵 害)を訴える遺書を残し、自殺していたことがわかった。学校側は「頑張ってもらおうと指導したもの で、パワハラはなかった」と説明している。家族によると…

百合の花が咲くように 今日も一日が始まる 憂いは蜜蜂のように 私のこころに しつこくつきまとう 朝の柔らかな日差しには 何かしら新しい 悲しみの匂いがする さあ、生きようか それでも、生きようか 不安におののく魂は 今という、純白の時間に 包まれている

3歳児、餓死事件から私が思うこと

しかし、どうして今の時代に幼児が餓死しなければならないのだろうか。京都府長岡京市で3歳の男の子 が食事を与えられずに餓死した事件で児童相談所の対応が批判にさらされている。今回の事件は先に姉が 虐待を受けて保護されているので、どうして弟を救う…

麻原彰晃の死刑確定について

オウム真理教、麻原彰晃の死刑が確定した時にNHKニュースを見ていると、ある作家が出演していて高 学歴の信者たちがどうしてあのような凶悪な犯罪行為に走ることになったのか、社会全体で考え続けてい かなければならないと問題提起の発言をしていた。こ…

短編『不動明王』4

2度目のご祈祷が終わり前回同様、お茶をいただいていた時のことである。背後の方から「おかげさま で」という晴れやかな声が聞えた。見ると初老の女性である。事務員の男にお礼を言っている。お茶を飲 みながら話の内容をそれとはなしに聞く。前日にその女性…

短編『不動明王』3

その後、堂守の男性寺務員がお茶を入れてくれていろいろと話しをしてくれた。元気がない私を見て励ま そうとしてくれたのであろう。僧侶ではないが仏教についてはいろいろと勉強しているようだった。心に 残る、いい話しも聞かせてもらえた。“無常”について…

短編『不動明王』2

私は人生のぬかるみに首まで突っ込んでいるのである。優雅に詩など作って感傷に耽っている境遇ではな いのだ。本来ならとうに離婚していて当然で、現在妻と婚姻関係が継続していることが不自然であるとも いえる。私も正直なところ、一刻も早くあの馬鹿女と…

短編『不動明王』1

私は妻や息子と別居生活を送っている。別居に至った経緯については世間並みにいろいろと事情はあるの だが具体的には書きたくない。書いて書けないことはないと思うが、限度を越えて“げっそり”するのが わかっているからだ。たとえ書くということに何がしか…

中原中也の詩について

中原中也の詩について感ずるところを述べたい。 夏の日の歌 青い空は動かない、 雲片(ぎれ)一つあるでない。 夏の真昼の静かには タールの光も清くなる。 夏の空には何かがある、 いぢらせく思はせる何かがある、 焦げて図太い向日葵(ひまわり)が 田舎の…

君が生きろ

さあ食え、私の身体を 遠慮はいらないから とことん、食ってくれ 見ろ、これが私の心臓だ 真っ赤に燃えて、震えているだろう 生まれたての赤子のようなこの命を 君にあげるよ 私の五臓六腑を 眼球を 手も足も全部、食え そして血を飲みつくせ 私はいいのだ …

日本語表現の微妙な違いについて

日本語表現についての微妙な違いについて考えさせられた記事、番組があったのでそれらについて私見を 述べたい。先ず10月9日朝日新聞、天声人語にて明治末年、夏目漱石の門下生に日本語を研究するロシア 大富豪の御曹司であるセルゲイ・エリセーエフという若…

『ストーカー』

“ストーカー”と言っても付きまといのことではない。アルカージー・ストルガツキー&ボリス・ストル ガツキー兄弟によって書かれた旧ソ連の有名なSF小説である。原題は『路傍のピクニック』という。1 979年にアンドレイ・タルコフスキーによって映画化…

月の光

それにしても幼子が亡くなることほど、この世で悲しいことがあるだろうか。 某ブログで3歳の男の子が小児癌との闘病生活の末、ついに力尽き天国へ旅立ってしまったことで私はこ の3日間ほど、とても落ち込んでしまった。神の奇跡を信じ、ひそかに祈ってい…

哀傷

祈りは通ぜず、秋が逝く 小さき命が 花びらのように散りゆく時に あなたの悲しみが 私へと流れる 見もせぬ人よ さようならとは言わないで また会う日まで

国旗、国歌問題について

法廷に裁判官が現れるときに、事務官の合図で当事者全員が起立して礼をする。特に法令で定められてい るわけではないが、慣例として誰もがそうする。裁判官などちっとも尊敬していない、起立も礼もしたく はないと考える人間は少なくないと思われるが、その…

国旗起立、国歌斉唱、違憲判決について

公務員であっても民間人同様に各人の思想、良心の自由は当然保護されるべきである。国や自治体が行政 上の権力で個人の心の中に踏み込んではいけないというのもよくわかる。しかし少数者としての意見を保 持するということと、それを公的な場所で表明すると…

秋の日の祈り

秋晴れの空、天高く 花壇の縁に座り文庫本を読む 心浮き立つ行進曲が私の目を 小さな平面の文字世界から 色、舞い踊る地上空間へと誘う ゴール付近で赤い旗が風に揺らいでいる 園児たちの 白の体操服と紺の帽子が並び 銀のピストルが撃ち鳴らされた瞬間 土埃…

東寺にて想う3

賀能(かのう)啓(もう)す。高山澹黙(たんぼん)なれども禽獣(きんじゅう)労を告げずして投帰 (とうき)し、深水(しんすい)もの言わざれども魚竜倦(う)むことを憚(はばか)らずして遂(した が)い赴(おもむ)く。かるがゆえによく西羌(せいき…

東寺にて想う2

空海ゆかりの東寺を訪れたことで司馬遼太郎の名著『空海の風景』を再読した。空海を肉眼で見たいとい う筆者の思いから書かれたこの小説は、1200年の時を超えて空海の息遣いが感じられるほどの力があ る作品である。特に遣唐使船に乗船して唐に渡ってい…

東寺にて想う1

8月15日に伏見稲荷神社に行ってきて、しばらくしてから今度は東寺(教王護国寺)へと足を運んだ。 伏見稲荷と東寺は神社と寺の違いはあるが空海以来、関係が深い。空海は嵯峨天皇から真言宗の布教拠点 として東寺を与えられたが、弘仁14年(823年)…

伏見稲荷大社

8月15日に京都、伏見稲荷大社に行ってきた。終戦記念日に行ったことについてはもちろん何の意味も ない。私は今まで大阪で生まれ育っていながら歴史の街、京都についてほとんど何も知らないできた。京 都の神社や寺、風物などを見ながらただひたすら巡り…

日本再生への道

先日、長い付き合いの取引先が不渡りを出し破産することになった。私も暑い最中、納めている商品を引 き上げに三往復もすることになり大変だった。しかしこの頃の傾向なのか破産することになった会社の社 長はさっぱりしたもので意外と元気である。会社、個…

亀田VSランダエタ戦について

私はボクシングファンである。今から何十年も昔の話しになるが、私が中学生だった頃は毎月のようにボ クシングマガジンを買って読んでいた。当時の軽量級には信じられないような強さの世界王者達が存在し た。メキシコの英雄、バンタム級王者カルロス・サラ…

瞑想

私は、息子が生まれた時に自分自身がもう一度この世に生まれたような喜びと感動を味わった。もうすぐ 6歳になる息子に私は今まで、文字の書き方や足し算、引き算それから水泳などを一生懸命に教えてき た。ひらがなの“あ”という文字は我々大人にとっては、…