龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

誰も言わないのであれば、私が言う

誰も言わないのであれば、私が言うしかない。世界には、たくさんの人間が存在しているように見えながら、それは錯覚で本当は私の他には誰も存在しないのかも知れない。もちろん唯一の実在者であるこの私が何か言ったところで、この世界は何も変わらない。実質的には何も変わらないけれど、影のような有象無象の人々の顔付きが、そして世界全体の気配が微妙に変化する。それは影響力といった類のものではない。影響力とは数による力である。私の他に誰も存在しないのであれば、そういう境地に立脚するのであれば、幽霊のように実体のない数に何の意味があるのかということである。数の幻影から離脱し、唯一の実在者として人間らしい言葉を発するならば、世界は一見するところ何も変わっていないように見えながら、恐らくはそれまでの世界とは微かに横にずれている。ずれることによって世界は平静を装いつつも、動揺しているようにも感じられる。恐らくは世界の初めに言葉があったのだ。数ではない。数に騙されてはいけない。数の力に頼っていると世界は同一の次元と周波数に固定化される。それはある意味で牢獄である。政治とマスコミの支配する舞台である。人間の、人間らしい言葉こそが神の御業の如く、新しい世界を創造していくのであろうと思われる。ということで今、私は人々の顔付きと世界全体の気配を変化させるために何かを言おうとしている。何を言うのか。別に何でもいいのだが、また人任せにしていると誰も言わないゆえに、結局私が言わなければならないと思われることは無数にあるが、今回は戦争や災害、政治の問題ではなく一人の若者の死に関連したことについて述べることにする。この数日、言うか言わないでおくか迷っていたが、やはり言わねばならない。その若者とは昨年、12月26日の日本バンタム級王座戦で判定負けした後に意識を失って昏睡状態に陥り、2月2日に亡くなった穴口一輝選手についてである。23歳没ということでミレニアムベビーの西暦2000年生まれは、私の息子と同じ年齢である。23年の年月は、充分に生きたとは言うにはあまりにも短過ぎる人生である。井上尚弥選手対マーロン・タパレス戦の前座試合ということで、私はリアルタイムでTV観戦していたが、確かに白熱した好試合で、穴口選手の戦いぶりや表情から見てもレフェリーが途中でストップを掛けられるようなものでなかったことは確かである。しかし結果論と言われればそれまでだが、やはりボクシングの基本的なルールに問題があると思われる。穴口選手の死を無駄にしないというのであれば早急にルールを変更すべきである。結論を言えば、1試合に4回以上のダウンを許容することは選手の頭部へのダメージ蓄積において、過酷であり生死に関わることであり、問題が大きいと考えられる。1ラウンドに3回ではなく、1試合にトータル3回のダウンで試合をストップするようにルールを変更するべきだ。今回の死亡事故の教訓は、試合直後に昏睡状態に陥るほどのダメージを脳に受けていても、試合中は相手選手と互角か圧倒するほどの動きを見せることが出来るということである。今回の試合においても結果論ではあるが、3回目のダウンで試合がストップされていれば穴口選手は亡くなっていなかったであろうし、試合直後に意識を失うような事態にもなっていなかった可能性が大きいと思われる。大体において常識的に考えても、「明日のジョー」じゃあるまいし、漫画ではないのだから、人間の身体は特に頭は、1試合の短い時間の中で何回ものダウンによるダメージの蓄積を耐えられるようにはなっていないであろう。私は昔からボクシング観戦が好きで、小さなころから世界戦をTVで見るのが楽しみであったが、はっきり言って何十年も昔の選手の闘い方の方が、消極的というのか手数が少なくて、見合っている時間が長く面白くない試合が多かった。それでほとんど手を出していなくて、相手選手に決定的なダメージを与える有効打が全くというほどないのに、なぜか不可解な判定で日本選手が勝つことになるので、子供心にもボクシングというスポーツはインチキで、日本で戦う外国選手が気の毒でならない気持ちが常にあった。今思えば、昔の選手の方がある意味で賢いというのか、自分のボクサーとしての肉体を道具のように考えて大切に扱っていたような気がする。当たり前のことだが、プロボクサーであってもパンチドランカーになったり、死につながる可能性のある危険な打ち合いは出来るだけ避けたいと考えるのは当然のことである。昔は、特に80年~90年代の日本で開催される世界戦は、日本の経済力のおかげで日本人選手はほとんど手を出さなくても判定で勝利をもらえたのである。見ている方は面白くないし、不満も残るが、概してボクシングとはそういうスポーツであったと言える。ところが今の時代はそういうインチキが許されなくなってしまった。ある時期から総合格闘技などのガチンコによる真剣勝負のファンが増えた影響も大きいと思われるが、見る人間がそういう馴れ合いのような戦い方を許さなくなってしまったからである。ボクシングという興行の見世物としてのファンの要求度が厳しくなってきていて、当然選手もそれを意識した戦いをせざるを得ないから、ボクシングは昔よりもはるかに危険なスポーツになったと言える。そういう時代の変化というものをボクシングの関係者がきちんと感じ取ることが出来ていれば、これまでにもルールの見直しがなされていたとも言えようが、残念ながらそうはならなかったということである。そういう意味では、今回の穴口選手の不幸は必然であるとも考えられる。もちろん世界戦のルールは各団体が決めることなのですぐに変更ということにはならないであろうが、日本ボクシング協会は二度とボクシングの試合における死亡事故が起こらないように1試合におけるダウンの回数を3回に制限すべくルールの変更をすべきである。これはボクシングという興行の存否自体が問われることである。また同じような死亡事故が発生すればボクシングという競技はなくなった方がよいという声も出てくるであろう。せっかく現在の日本には、奇跡のように井上尚弥という偉大な選手が現れて活躍しているのであるからそういう事態は何としても避けなければならない。これは1ボクシングファンとしての切実な願いである。

(吉川 玲)