龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

権力と報道の素顔とは

東京五輪の関係者が、数十年前のいじめ告白やホロコーストを揶揄するコント、或いは女性蔑視発言などでこれまでに次々と解任されてきたことが大きく報じられている。ホロコースト揶揄の件に関しては、日本の政治家がわざわざ騒動の火勢を煽り立てるように、直接ユダヤ人人権団体にご注進に及んでいる。これらの情報に接して、日本の大衆はどのような印象が刷り込まれるのであろうか。日本の政治やマスコミは人道主義や差別撤廃の意識が高くて、気高い精神性を持っている。いつまで経っても時代にそぐわない間違った発言や意見を述べる愚かな人間は跡を絶たないが、そういう人々に対しては政治やマスコミがしっかりと監視をして、糾弾し罰してくれるので任せていれば安心だ、日本は色々な問題を抱えているにはせよ、基本的には善良で正義の国だ、とでも思っているのであろうか。どのような印象を持とうが、その人の勝手なのかも知れない。しかしその一方ではコロナのワクチンで僅か5か月の間に700人以上の人間が死亡していることについては、厚労省のHPに報告されているとはいえマスコミは全くと言っていいほど報道しないし、政治も与野党が一致団結して問題にしようとはしない。この二つの様相を日本の大衆はどのようなバランス感覚で自らの精神に情報、知識として取り入れて、解釈しているのかと言えば、ほとんどの人は何も考えていないし、何も感じてはいないのである。自分とは関係のない人ごとのような光景として見ているのかも知れない。それで日本の治安や秩序が保たれている面もあるのであろうが、だからこそ政治やマスコミは同じ手口で国民の目や意識の焦点を操作するようなことを年十年も延々と繰り返しているのである。それに無思考、無批判の大衆にとっても本当は人ごとではないはずなのである。新型コロナのワクチンによる死亡確率は大体、10万人に一人、10万接種に一人以上の割合である。重篤者の割合となれば、当然その何倍かの確率となる。厚労省の報告はそれを、「0.00%」としてあたかも0として見做すべきであるかの印象操作のデータで示しているものであるが、700人の死者数は統計学上は0なのであろうか。今後10年、20年単位でのスパンで見れば、予測はできないが副作用として何十倍、何百倍もの規模で膨らんでいく潜在的な可能性のある直近の数値なのである。0.00%などと切り捨てるような取り扱いは出来ないはずだ。因みに宝くじの1等の当選確率はどの程度か、ご存じであろうか。1等の2億円で約1千万分の一、5億とか7億円の高額配当だと約2千万分の一である。それをTVCMなどで万人が1枚300円の出費で夢を簡単に手に入れられるかのように日常的に流されているものである。仮にその宝くじの中に、何かの人体実験で国に自らの命を提供して死ななければならないことを承諾するものが、10万枚に1枚含まれているとすれば誰が買うのかという話しである。しかしそういう割の合わない取引であっても、政治とマスコミが一体となって群集心理が刺激されれば、ほとんどの人がその死の宝くじを購入してしまうという恐怖が我々の日常には伝染病のように蔓延していることを知るべきである。本当は凶悪なウイルスなどよりも、人間が統制され権威付けられた情報によって簡単に操作されるということの方が何倍も恐ろしいことなのである。特に日本人は、このコロナ関連の大衆の反応を見ていると、この国でこれだけ注意喚起がなされていてもいつまで経っても特殊詐欺の被害がなくならない理由がよくわかるように思えてならない。はっきりと言うが、特殊詐欺に騙されるのも、政治やマスコミに騙されることも原理は同じなのだ。善とか正義という問題ではない。善や正義とはこの世の法則で見れば多数決で決定される観念なのだ。あり得ないことではあるが、極論で例えれば、特殊詐欺のグループが政党を結成して、次の衆議院選挙で過半数議席を獲得すれば、彼らの悪行が正義となるのである。今の政治がやっていることもある意味ではそれと同じである。自分たちの悪行、悪業を隠すために差別や人権侵害に結びつくネタや対象をどこからか探し出してきて、それを徹底的に叩くパフォーマンスによって善や正義の仮面をかぶっているということである。我々国民はその仮面を無理やりでも取り払って、権力や報道の素顔を直視する必要性があるということだ。 (吉川 玲)

情報を読み解く精神性の有無

大きなお世話かも知れないが、政治やマスコミの言うことを額面通りに受け取っていると、最早、自分の命すら守れないよ。もうそういう段階に突入しているから。インプットした情報は、頭の中で翻訳するように咀嚼しないと。何で政治やマスコミは今、そういうことをそういう風に力説するのかと。こういうことは日々の習慣であり、訓練だから。それを全然やっていない人間と、毎日やっている人間で比較すれば1年間だけでも相当な差が生じるということだ。情報を自分なりに解析する能力がない人間は結局、多数に寄り添うことしか出来ないのだよ。多数の領域が安全地帯だと信じ込んでいる。コロナのワクチン接種みたいにね。もちろん自分なりに情報を解析するといってもその結果、得られた見方や見解が正しいとは限らない。独りよがりの独断に陥る可能性は常にある。しかし何でも同じだと思うけれど訓練として継続し続ければ、それなりに精度は上がっていくであろうし、何よりもそういう面倒なことを怠らずに継続するという姿勢が精神となって醸成されていくであろう。一つの事象に対する読みや解釈が正しいのかどうかということよりも、それは個別に見れば正しいことも間違っていることもあるであろうが、その根底にそういう精神があるのかどうかということの方が生きていく上では大切だと私は思うけれどね。生きていく上で大切だということは、究極的には自分や自分の家族の命を守れるかということであり、それが今のコロナワクチンで問われているようにも感じられる。生き残る上での精神性の有無が選別されているのだよ。

具体的に私の情報リテラシーを例示すると、今、ワクチンが不足していて自治体の要望に応えられていないと報道されていて、河野大臣が何やかやと説明しているようであるが、私はこういう風に、こういう可能性が高いのではないかと考えている。報道の額面通りに不足しているなどということは考え難いことだ。不足しているのではなくて、恐らくはワクチン接種直後に死亡する人間の数が当初、想定していたよりも遥かに多くて、予定通りに配給することにびびり出して来ているのではないかと。誰がびびっているのかと言えば、政治ではない。厚労省だ。厚労省の本音は、加藤勝信官房長官の「俺は射たねーよ」記事が掲載されていた週刊新潮の11月26日号にもこういう風に伝えられている。

厚労省の幹部たちも一様に“ワクチンを射つほうがリスクは高いでしょ”と話します。彼らの頭にあるのは、2009~10年にかけて新型インフルエンザが流行った際、ワクチンを接種した133人が亡くなったこと。五輪を開催するためにもワクチンは必要だが、こと日本人は死亡率も低いので、効果がわからず副作用が出るかもしれないワクチンは、必ずしも必要ではない、というのが厚労省の本音でしょう」

ということである。コロナのワクチンも100人超の死亡数は見込んでいたのであろうが、もうすでに500人を超えている。このペースでどんどんと死者数が増えていくことに厚労省が尻込みし始めてきているのだ。政治やマスコミは事実を曲げて国民に伝えることを屁とも思わずに何の良心の呵責も感じていないので、千人死のうが、一万人死のうが関係ない、因果関係を否定するか、関連性は不明であるとでもしておけばよいとイケイケで煽り立てているのであるが、実際、また厚労省の発表はこれまで政治の指示でそのように説明されて来ているが、官僚は政治家やマスコミなどとは違って、基本的には真面目で、嘘をついたり真実をねじ曲げたりすることに対する心理的な抵抗感が強い人種なのである。よってさすがにここにきて今のままではまずいのではなかろうかと厚労省の幹部が政治に諫言し始めてきて、政治、マスコミ連合との連携が崩れてきているのではなかろうか。それで政治はやむを得ずに国産のワクチンが出来るまでの時間稼ぎに現在庫の流通をストップさせているのではないか。国産のワクチンが果たして安全かどうかは別問題である。いずれにせよ私にいわせれば政治やマスコミの性善説を信じ込んでいる大衆は哀れでしかない。性善説どころか性悪だ。国民を騙すことしか考えていない。

次にこの時期になって、突然、天皇陛下がコロナのワクチンを接種したことを宮内庁が公表した。これまでは個人情報に関わることだからと公表することを拒否していたものである。さてこの報道から何が読み取れるであろうか。先ず、今まで非公表であったものを突如として公表に転ずるということは、宮内庁単独の判断としては考えられないことである。当然、政治の要請があったであろうということだ。しかしそれは国民のワクチン接種率を高めるために天皇を利用するということであり、天皇の政治利用ではないのかということだ。政治がなぜそこまでして国民にワクチンを接種させようとするのか。週刊新潮の記事ではないが、日本人の死亡率や重症化率は低いのである。感染者数の増加ばかりを殊更に強調して、ワクチンの接種率を上げるために手段を選ばない政治の異常性が感じられないであろうか。それからこれを言うのは少し憚られるが、本当に天皇陛下はワクチンを接種しているのであろうかということだ。常識的に考えれば、500人以上の国民が接種直後に死んでいて、将来的な副作用の機序も不明であるものを、天皇に打たせるはずがないものである。単に国民を安心させて、ワクチンを接種する有難さを印象付けようと目論まれたものであると考えられる。政治はマスコミとの連携の中で国民にそういう嘘をつくことが多いということを全ての国民は肝に銘ずるべきである。因みに皇后の雅子さんは、天皇と足並みを揃えずにワクチン接種を頑なに非公表としているということであるが、これも普通に考えれば異例のことであって、私は雅子さんは接種してもいないワクチンを接種したと国民に嘘の公表がなされることを拒絶するがゆえに非公表になっているのではないかと推察している。繰り返すが私の推察が正しいかどうかは最終的にはわからないものである。推察が正しいか、間違っているかではなくて、私はそのように考える思考のプロセスを提示しているのであって、政治やマスコミの嘘に流されないためには上滑りに情報を受け入れるのではなくてそういう思考のプロセスが不可欠であることを言いたい訳である。お分かりであろうか。

最後にもう一つ例を挙げれば、西村経済再生大臣が休業要請に応じない飲食店に対して金融機関からの働きかけを求める方針を示して問題になったが、あれはうっかりと口を滑らせて言ってしまったから問題になったのであって、政治はそれに似たようなことを普段から当たり前のように行っているのである。仮にそういう発言をしないで、裏で金融機関に働きかけをさせていれば問題になりようがなかったであろうということだ。それはコロナワクチン接種後の死亡事案についても言えることで、医師が死亡とワクチン接種の関連性があると見做すかどうかのハードルの高低は、おそらくは医師会を通じた政治的な要請に左右されている部分が大きいのではないかということである。よって現時点で厚労省が発表している死者数が五百数十人であったとしても、実際にはその数字に反映されずに漏れているケースもかなりあるのではないかということだ。一方でコロナの死者数は、それが自然死であれ突然死であっても、または軽症者や無症状者であっても、陽性者であればすべてが漏れなく新型コロナによる死者としてカウントされているのとはあまりにも対照的である。要するに統計とかデータなどというものも政治の恣意的な解釈によっていくらでも利用できるということであって、国民がそういう操作に騙されない「賢さ」を示していかない限りは、政治やマスコミは同じような手口を飽きることもなく、何十年でも延々と繰り返し続けていくであろうということだ。そして今まさに直面しているように自分たちの命を守ることすら難しくなってきているということを知るべきである。(吉川 玲)

コロナワクチンの正体について

もう既に日本国内においてもある程度は拡散されているようであるが、コロナワクチンの正体が酸化グラフェンであるということが、スペインの研究グループによって6月25日に発表された。私はその動画をたかはしクリニック院長のブログに新型コロナウイルス情報として掲載されているのを見て知った。

https://www.takahashi-clinic.net/blog01/3808/

https://rumble.com/vjf3dh-covid-19-covid-19-is-caused-by-graphene-oxide-20210625.html?fbclid=IwAR3n1Equy12YWuhW2Fh8Xbz-oz5P7xkRaxG5ZvmylOeU3h0Vo_qnUmBq7SQ

信じる、信じないは人それぞれであろうが、一考に値しない陰謀論だなどと頭ごなしに意識からシャットアウトさせずに、まずはその情報に向き合って、自分の頭で考える、自分の本能や直感で真実を追求する姿勢を今こそ一人でも多くの人々に持って欲しいと願うものである。政府やマスコミが主張することが必ずしも正しいとは限らないのである。むしろ国民の大多数が、政府やマスコミの見解が常に正しいと信じ込むがゆえに、政府やマスコミの嘘が成立する図式が言論空間や世論を支配していることを理解すべきである。私が第一の疑問として提示したどうしてコロナのワクチンが従来の生ワクチンではなくて、mRNAという遺伝子ワクチンであるのかも、そもそもCOVID-19という現象が電磁的な特性によって発生するものであり、ウイルスそのものがこれまでに分離、精製されたことが一度もないということで説明がつくものである。第二の疑問である本当に新型コロナが自然に発生したものであるのかどうかについても、第一の疑問との関連において自ずと明らかであろう。新型コロナ(COVID-19)という現象は、コロナのワクチンを人々に打たせるために必要だったのであり、ウイルス自体は存在しないか、存在したとしても既に消滅しているのだという仮説が成り立つ。そうであれば変異種の脅威などという政府やマスコミの説明こそが壮大なデマであるということとなる。繰り返すが、どちらが正しいのかは自分の頭と心で考え、判断する以外にないのである。国家権力や新聞、TVの権威は無批判に信じる人々にとっては絶対的なものであるのかも知れないが、本当は何の保証にもならないのである。むしろ政治が全ての報道機関と連携して情報操作している現在の事態が、ことの真相を物語っているとも言えよう。それから前回にも述べたことだが、全ての議員はワクチン接種の有無を国民に公開するべきであろう。国民の健康、生命にかかわることなのだから資産公開などよりよほど重要だと思われるのだが、それが出来ないということはやはりどこかに、疚しさがあると見做されても仕方がないのではないか。(吉川 玲)

ワクチンを打たない議員

前回の記事の続きは後回しにして、今回はある疑惑について述べる。11月26日号の週刊新潮を入手した。疑惑の記事の見出しタイトルは「俺は射たねーよ」だ。現在、ワクチンパスポートを進めている加藤勝信官房長官は、コロナワクチンを打っていない(打つことを拒否し続けている)可能性がある。一応、6月11日の記者会見で加藤氏は、コロナワクチンを接種することを明らかにし、「自衛隊の大規模センターを予約している」と語ったということだが、具体的な接種予定日は明らかにされずに、その後1か月ほど経つが新たな情報は出されていないようである。どうなのだろうか。「改心」して本気で接種するつもり、あるいはもう済ませたのであろうか。11月26日号の週刊新潮の記事を読む限りは、そうは考え難いものである。別に私は打たないのが悪いと言っている訳ではない。政治家にだって打たないという選択をする権利は当然ある。しかしワクチンパスポートを推し進める立場上、それを国民に対して曖昧に誤魔化すことは到底、許されないことであろう。もし自らが接種するつもりがないことを、嘘をついたり、隠蔽しようとするのであれば西村大臣の問題の比ではないはずである。週刊新潮によれば、さる厚生労働省関係者によるものとして

加藤勝信官房長官は、厚労大臣時代から“俺はワクチンを射たねーよ”と漏らし、その姿勢はいまに至るまで一貫しています。“一部の高齢者を除けば、インフルエンザより重症化リスクが低い”“感染予防を徹底していれば大丈夫”というのが理由です」

ということである。仮に改心、いや変心して6月11日の記者会見以降にワクチンを接種しているとしても昨年の厚労大臣の時にそういう考えを持っていたのであれば、今、ワクチンパスポートで半ば強制的に国民に接種を押し付ける姿勢は、国民感情としてそう簡単に受け入れられるものでないのではないのか。そういう疑いの目で今の政治家を見ていると加藤官房長官だけではなく、全ての議員が怪しいのである。自分たちはワクチンのリスク、有害性をよくわかっていて接種を密かに拒否しながら、国民に対しては将来のある若者や子供にまで「騙して」打たせているという構図は、決してあり得ないことではないのである。全議員とまでは言わないが、少なくとも自民党の国会議員は接種する意思があるのかどうかと、接種した(今後接種する)日付を国民に明確に知らせる必要性があるのではないのか。それを拒否するのであれば、次の衆議院選挙では自民党の議員は、国民が一致団結して、全員を落選させなければならない。 (吉川 玲)

mRNAワクチンの危険性について

半ば予想されたことではあるが、前回の記事で私が疑問として挙げた、なぜコロナワクチンが従来の生ワクチンや不活化ワクチンではなくてmRNAという遺伝子ワクチンであるのか、その必然性についてどこからも回答や説明が出てきそうにないので、第二の疑問に進むことにする。それはより核心的で根本的な疑問である。そこから目と意識を離してはいけないと考えられる。新型コロナ感染症(COVID-19)は、本当に自然界の中で自然に発生したものなのか。こういうことを言うと、なんだ、やはり陰謀論ではないかと思われるかも知れないが、そうとも言えないであろう。実際に今年の2月には、アメリカのトランプ前大統領の主張による中国の武漢研究所からの流出疑惑を調べるためにWHOの調査団が、茶番としか考えられないが、現地に調査に入ってウイルスが研究所から出てきた証拠はないとの発表を行っている。1年以上も経ってから調査に入って証拠など残っているはずがないし、仮にその研究所からウイルスが流出したことが事実であったとしても、人工的に作られたものであるのか、自然発生のものを管理、研究していたものかはわからないが、いずれにせよCOVID-19の起源ははっきりとはわかっていないのである。表面化している情報だけから考えても、陰謀論とは関係なく、人工的に作られたウイルスである可能性を否定できないのである。旧ソ連生物兵器の研究について書かれた有名な本に、1992年に家族とともにアメリカに亡命した科学者ケン・アリベック(カナジャン・アリベコフ)の『バイオハザード』(二見書房)がある。ソ連邦解体以前の大規模で高度な生物兵器研究の詳細が生々しくも赤裸々に告白されている。入手できるかどうかはわからないが、図書館で借りるなどして是非その本を読んで欲しいと思う。陰謀論などではなくて、紛れもないノンフィクションである。その本ではアメリカなどの西側諸国の生物兵器研究動向については述べられてはいないが、それは作者がアメリカに亡命しているのだから当然のことであって、現状はともかくも少なくとも一時的には世界各国で感染力がきわめて強く、致死率の高い危険な生物兵器の研究開発が行われていたことは否定しようのない事実であることが、はっきりと推察できる内容である。私は個人的には、新型コロナもそうであるが、エイズもエボラも人工的に作られたものである可能性がきわめて高いと考えている。今回のコロナウイルスについて、タブーなのでビジネスなどの社会的な場面では一切、口にはできないが私同様にそういう風に内心で思っている人は、相当に多いのではないかと私は考えている。どれだけの割合かと言えば何とも言えないが、政治家やマスコミ、医師なども決して少なくはないと想像される。ある一定以上の知的レベルの人々は人工的に作られたものである可能性を認めていて、本気で自然発生のものであると信じ込んでいる人々は馬鹿と言ってはいけないであろうが、まあそういう単純な多数層が存在することは事実である。普通に見れば、新型コロナが純粋に自然のものであるなどと考えにくいであろう。何が言いたいのかと言えば、ところがどうもほとんどの人々が、内心ではコロナウイルスが人工的なものである可能性があると思っている人までが、ワクチンの安全性や有効性については受け入れてしまっているように見えるということなのである。それは違うのではないのか。mRNAワクチンとは、新型コロナウイルスSARS―CoV―2)の遺伝子コードを用いて作られているものである。報道では決して語られることのないmRNAワクチン特有の危険性については、苫米地英人氏がTV番組内で詳しく説明してくれていて、それがユーチューブの動画においても閲覧できる。リンクは張らないが(私がリンクを張ったことで削除されるようなことになると申し訳ないからであるが)、苫米地氏の不思議なところは、他の人が絶対に口に出来ないようなことをこの人が言っても許されていると言うか、認められているのである。だから日本において、あるいは世界の中でもごく限られた例外なのかも知れないが、苫米地氏だけが公共の電波を通じて真実を伝える特権を有しているとも言える。これはある意味では奇跡的なことである。苫米地氏がmRNAワクチンについて説明してくれていることを簡単に要約すると、mRNAとは新型コロナウイルスの突起(スパイクタンパク)部分のみの遺伝子情報をコードした設計図であり、それを脂質ナノ粒子でコーティングしたものを人体に打ち込むことになるのだが、細胞内のリボソームで作られるスパイクタンパクが自己細胞由来のものであるために、外部のウイルスが細胞に感染して自己複製する場合の反応とは異なって、有害な異物とは見做されずにホメオスタシスで免疫寛容される可能性があるというものである。そうするとmRNA自体は3~4日で細胞内で分解されるが、合成されたスパイクタンパクが体内の全身細胞に残ることになってしまい、細胞レベルでそれまでとは別の体になってしまう。その後に変異種や別のコロナ、普通の風邪などに感染した場合にキラーT細胞が全身に残存している健康なスパイク細胞を有害な敵と見做して一斉に攻撃するリスクがあるというものである。2012年の論文では3,4日で致死的な臓器不全を引き起こすリスクが警告されていて、それ故に米国において、mRNAワクチンは承認されていなかったものが、今回は緊急措置として治験が完了していないにも関わらず特別に認可されたという経緯があるということである。なおこのmRNAワクチン特有のリスクについては、米国ではフェイク情報扱いで規制対象となっていてこのことに言及した複数の専門家が処分され、なんとファイザーの副社長は解任されたということである。長くなるので次回に続く。

コロナワクチンについての疑問

正直に言って、コロナワクチンへの疑惑について核心的だと思える内容、疑問を述べることには、これまでかなりのためらいや逡巡があったが、それはもう既に接種している人が相当数、存在するということと、あまり世間をざわつかせるようなことを言って、社会全体が混乱したり、パニックになることは避けた方が良いのではないかと言う自分なりの抑止が働いていたからでもあるが、よくよく考えれば、何でそこまで私が考慮しなければならないのかと、国やマスコミがここまで国民を馬鹿にしたような情報操作や誘導をするのであれば、そういう考えはやはり間違えているのではないか、国民全体の安全、利益を代表して不審に思えることは声を上げていくべきではないかと考えるに至った次第である。先ず私がそう決断せざるを得なくなった、許し難い情報操作、誘導についてであるが、ワクチン接種直後に既に500名以上の人が亡くなっていて、厚労省は関連性が否定できないものはその中の1例だとしていることである。その1例についても関連があると認めている訳ではない。否定できない、可能性はあるがよくわからないと、ということでその他の五百数十例については明確に関連性、因果関係を否定しているということだ。以前からTV番組で、国民にワクチン接種を勧めるために、いかにも程度の低い報道キャスターがワクチン接種直後の死亡数について、日常的に発生している自然死や突然死で説明できることでワクチンとは関連がないかのような誘導を行ってきたものであるが、知的レベルの低い大衆向けの娯楽情報番組であるならともかくも、国がそこまであからさまに統計データの恣意的な解釈を国民に押し付けるのであれば、到底、看過できるものではない。国民を馬鹿にしているとしか言えないものであるからだ。自然死について言えば、死にかけている人間はワクチンなど打ったりはしない。それは入院している人だけではない。個人的な例で言えば、私の母も80代後半であるが、今から1年ほど前は体調が極めて悪く、寝ていても明け方になると呼吸困難になって救急車を呼んでくれというようなことが何度となくあった。またその時期に、片方の瞼が下りたままになっていて、それを上げることが出来ない状態にもなった。それで大きな病院に連れて行って(連れて行ったのは私ではなく、私の妹だが)精密検査をしてもどこも異常はないということである。病院というところは、政治家やタレントなら別かも知れないが、病名がない状態では入院させてくれないのである。同居している身内の私にとって見れば、本人はもういつ死んでもおかしくはないような苦しさを訴え続けるので、入院させてくれる方が助かるのだが、それが出来ないので自宅療養ということである。因みにその当時は、同じく同居していた父も、元々足が悪かったのだが、その症状が悪化してきて日常生活が困難になり、階段から落ちたり、前立腺肥大で何度、私がやめるように注意しても本人は関係ないと言って酒を飲み続けるので、それが原因で排尿できなくなり、救急車を何度となく要請したりと本当に大変であった。自宅に隣接した会社で私は毎日、夜11時ごろまで仕事をしていたので、その時に疲労とストレスでほぼ完治していたアトピーをぶり返してしまい、それが今も続いている。必死になって一旦は治して、2019年末までは登山やランニングに励んでいたというのに。元々は私のそのアトピーも薬害が原因なのである。それで結局、父は要介護認定3か4ぐらいで昨年に介護施設に入所し、母は要支援か要介護か忘れたけれど、相変わらずほぼ家で一日中寝たきりであるが、幸いにして容態は回復してきて、瞼の開閉も出来るようになり、食欲も出てきていつ死んでもおかしくないというようなことは言わなくなった。日本の病院は、病名が在ろうと、無かろうと高齢者を長期間、入院させてはくれない。入院しても1~2か月で出されてしまうのである。何が言いたいのかと言えば、そういうことで日本では自然死を待つような状態で家族と一緒に自宅で住んでいる高齢者の数がかなりたくさん存在していると思われるが、そういう人は私の母がそうであるようにワクチンを打ったりはしない。一日中家にいて、息子である私やたまにやってくる介護ヘルパーとしか会うことがないのに、そもそも打つ必要がない。そういえば今日、妹が私に電話してきて、母の体の調子を聞いてから、私を責めて、母がワクチンを打っていない(私が打たせていない)ので、うつしてはいけないから会いに行けないと文句を言った。因みに妹は2回接種を済ませている。それで私が、500人も死んでいるようなものを打たせることは出来ないと言うと、妹はちょっと驚いて、えぇーそんなに死んでるの、でもそれ、全世界でやろと言うので笑ってしまった。単に妹が無知ということだけではなくて、その妹の反応がまさに、日本のワクチン接種者全体の意識や認識度合いを代表しているのだと思われる。マスコミがそういう情報をあまり出さないし、出したとしても強調しないからほとんどの人は知らないか、大したことだとは考えていないのである。次に突然死についてであるが、突然死は高齢者だけでなくて心臓発作などで40代ぐらいの特に男性などに多く起こる現象だと思われる。その突然死が一日にどのくらいの数で発生しているのかわからないが、その死亡パターンがワクチン接種直後の死亡数にカウントされているとする説明は、よく考えればわかることだがおかしい。統計上の数値だけ見ればそのような解釈も成り立つのかも知れないが、それは生活実態に即していると言えるのかということである。身寄りのない一人暮らしのケースであれば容態の変化を目撃している者がいないので突然死である可能性はあるであろう。しかし配偶者や子供などの近親者が存在する場合、果たして心臓発作や心筋梗塞、脳溢血などの突然死とワクチン接種が原因としか考えられない容態の変化の違いが、普通に考えればわからない訳がないものである。ワクチン接種が原因である場合はワクチン接種と死亡の間に数時間であれ数日であってもプロセスがある。接種前は元気であったのが、接種直後の副反応中や副反応が収まった後に徐々に容態が悪くなっていって危篤状態に陥り死亡するというケースを突然死とするには無理がある。近くで見ている者にはわかるはずである。心臓発作などの突然死にはそういう段階的なプロセスがない。また傍目には一見、突然死と見えるような心筋梗塞や脳溢血にもワクチン接種による血栓の可能性も存在するのではないのか。いずれにせよ突然死だからワクチンとは関係ないとする主張は暴論である。ワクチン接種と死亡情報がどのように紐付けられてデータ収集されているのかということもあるが、普通に考えれば医師や遺族がどこかの窓口に報告しているのであろう。遺族は死亡給付金が貰えるからと言う理由でワクチンが死亡原因であると主張する動機は確かにあるとは言えるが、それが現在の状況を見て妥当な見方だと言えるのかということである。医師は死亡診断書に何らかの死亡原因を書くのであろうが、どんなに優秀な医師であってもそれがワクチンとの因果関係があるのかないのかなどということはわからないのである。遺族の話しを聞いて、そういう経過であればおそらくはワクチンが原因なのだろうと思うぐらいのことである。要するに厚労省の発表している500名もの死者数の中で関連性が否定できないケースは1例だとする見解は、自然死も突然死も何の関係もなくて、おそらくは大半がワクチンが原因なのであろうと推察されるが、あくまでも「政治判断」で1例だけに可能性を持たせているものである。本当は0だと言いたいところなのであろうが、それではちょっと信憑性が薄れるかも知れないとの判断でそうしているのだ。国民はもっと政治や官僚の思考回路がどういうものかを学習する必要性があると思われる。それからTVキャスターやTVに出演している御用学者の意識レベルというか精神性が低過ぎるように感じられる。

では長くなったが、これから本題に入る。コロナワクチンについての根本的な疑問を述べる。きわめて単純な疑問だがこれがすべての不信の始まりである。陰謀論とは何の関係もない。一市民としての至って素朴な疑問である。政治やマスコミは自分たちに都合の悪い国民の疑問、質問は無視する傾向があるので恐らく無視されるであろうが、その疑問を多くの人に共有してもらいたいと思う。そしてその第一の疑問が解消されないのであれば、より核心的な第二の疑問に入っていくことになる。では聞くが、コロナワクチンはこれほど爆発的に世界中に感染拡大して、膨大な数の感染者数が発生しているにも関わらず、どうして従来の鶏卵法による生ワクチンを弱毒化したものが採用されずに、m-RNAなどという人類史上初めて試みられる遺伝子ワクチンになったのか。コスト的なことはわからないが、これまでの実績や治験データの豊富さなどを考えれば、安全性や信頼性から誰が考えても不自然ではないか。どうしてその基本的な説明や質問がこれまでなされてこなかったのかも不可解である。仮に新型コロナのワクチンが技術的にこれまでのワクチンで対応することが不可能であるならその理由は何なのか。または遺伝子ワクチンでなければならない理由があるのだとすればなぜなのかを答えていただきたい。ファイザーもモデルナも作っているのはアメリカの企業であるが、それを承認しているのは日本の厚労省であり、国民に推奨しているのは日本の政治やマスコミなのだから、その三機関には国民に対する説明責任があるはずである。(吉川 玲)

エビデンスと陰謀論の用法

それで非常に気が重いのであるが、コロナのワクチンについて、核心的な疑問について言及しないわけにはいかないようだ。もう既に接種している人もいるので、本当はその内容について触れたくはないし、憚られるのでもあるが、接種率を高めるためにワクチンパスポートの必要性について主張する人が多くなってきているように見受けられるのでやむを得ない。厚労省が因果関係は不明だと言っても、ワクチン接種直後に数百人レベルの人間が亡くなっている現状があるにも関わらず、陰性証明書ではなくてワクチンパスポートの必要性を強調している時点で隠然たる闇の勢力の動きが感じられるものである。それから統計データのいい加減さについても言わざるを得ないが、国は補償をしたくないのでワクチン接種と死亡の因果関係を不明だとして認めていないものであるが、それを言うのであればコロナの陽性者数と重症者数や死者数の因果関係の方がより不明ではないのか。常識的に考えれば、コロナが陰性で重傷でもない人間がワクチン接種直後に亡くなることの方が、無症状者や軽症者が多いことが特徴のコロナ陽性者の人々が重症になったり死亡するケースに、より他の基礎疾患や様々な要因が関連していると考えるのが自然ではないのか。政府や厚労省の用いるデータというものは、そもそもご都合主義で信用できないのである。

これから述べることに疑問に対して、返ってくる政治やマスコミの反応はある程度は予想できるので先に2点ほど説明しておくことにする。まずは「エビデンス」という言葉の用法である。これは以前から感じていたことであるが、一つ覚えのようにエビデンスエビデンスと耳障りなほどに多用されて鬱陶しいというか、正しい用法がわかっていないのではないかという気がする。まず学術的な問題として定説とするのにしっかりしたエビデンスが必要というのは当然であり基本的なことであろう。しかし今のコロナのように現在進行中で、よくわからないことが多い問題については定説が確立されるに至っていないので、エビデンスとは何らかのリスクを負わせて、行為の決定をさせる側が出来る限り誠実に示す義務が課せられるものであって、その反対ではないということである。要するにワクチンを国民に接種させようとする政府や厚労省が国民に対して一方的にエビデンスを出し、説明し続けるのが筋道であって、何でそれに対して疑問や不信を持つ我々国民が本能的な不安についてエビデンスや根拠を示す必要性があるのかということである。情報弱者の国民に対して、情報強者の政府やマスコミが否定のエビデンスがないからという理由で不信や不安を持たせないようにするばかりか、不安を煽っているなどと批判することが土台、間違っているのであって、それは転倒した権利の悪用に過ぎない。仮に私があなたに万病に効く何かの画期的な治療法を見つけたとして、その利用を推奨するのであれば、エビデンスを示さなければならないのは私であって、あなたでなないということである。あなたがその治療法に対して疑問や不安の声を具体的に発した時に、私が他の人々はそういう風には考えずに利用して実際に効果が得られているのであるから、それを否定する風説の流布をするのであれば、それを明確に証明するエビデンスを示せと、それが出来ないのであれば、そういうことは一切口にするなと言われれば、その「エビデンス」の用法は間違っていると考えるのではないのか。それと同じである。もちろん私には何の権威性も資格もないのだから疑問を持たれて当然であるということはできるが、それは本質的な問題ではないし、それを言うのであればそれまでのことである。ならば国やマスコミの言うことには権威があるのだから、否定は一切、許さないと言っているのと同義である。結局はそこに行き着く問題なのである。

それからこれも重要なことであるが、言葉の定義にもよるが、私は「陰謀論者」であるかも知れないが、「陰謀論信奉者」ではない。政府やマスコミが、躍起になって言論から排除しようとしているのは、陰謀論を容易に信じる信奉者の声の大きさや拡大であって、陰謀論そのものに正面から対峙している訳ではない。本当は無視したいので無視したり、揶揄する程度であるのが、それで収まりがつかなくなってくると、批判したり強引に抑え込もうとする動きになってくる。そういうことを今の政治や河野大臣、マスコミなどが大衆に対して行っている。それでは「陰謀」とは字義的にどういう意味合いなのか、そしてどういう風に社会的に用いられているのかを考えてみることにする。広辞苑的には「密かに企むはかりごと」ということであって、陰謀という言葉そのものには真実ではない、とかデマや価値のない風説という意味合いはもともとないということは認識しておく必要がある。そういうことは日本人にとっては初歩的な国語力の問題であって、それを説明しなければならないということが恥ずかしいというか憂慮すべきことである。では政治やマスコミは、「陰謀論」という言葉をどういう用法で使っているのかと言えば、政治や行政、マスコミに共有されている統一された見解や物の見方、解釈に真っ向から対立する論説を取るに足りない価値の低いものであったり、或いは有害な風説として抑制の対象としているということであって、それ以上の意味は何もないのである。それならば政治やマスコミに共有された物の見方や見解は常に正しくて、国民の利益や健康、安全に資するものかということである。そういう問題提起がなされざるを得ないことは誰にも否定できないであろう。皆さんはどう思われるであろうか。私に言わせれば、日々、TVや新聞で流されている政治やマスコミに共有された見解というものは物事の一面の真理であって、それで世界の趨勢や現象が説明し切れるものであるならば、世界各国のたとえばCIAとかSVRやMI6などの諜報機関は必要ないのである。それが資源問題や領土問題、紛争における地域の安全保障や戦争の危機、或いは外交官がハニートラップに引っかかって国家機密を漏洩し、自殺に追い込まれたというようなことは、我々の国民生活には直接的な影響はないので放っておけばよいということになるかも知れない。しかしコロナのような疫病やワクチンへの見方は国民の生命や健康に直結することなので、ある意味では戦争開戦の決断と同様の重大問題であって、陰謀論的だからという理由で、否定されたり批判される謂れは何もないということである。それは政治やマスコミの傲慢さや民主主義の軽視が映し出している現象に過ぎない。私がこれから述べることは、何かの陰謀論の本を読んで感化を受けて、引用したり、焼き直したものではない。身の回りの新聞、TV、本、ネット情報などを含め、日頃から自分自身で感じたり、疑問を抱いたものを総合して、理性的に追求し続けた蓄積の結果、たどり着いた一つの見解であったり、疑惑であるということである。陰謀論的な本を読むこともあるが、それはそこに答えを見出したり、理論武装の知識を吸収しようとするためではなくて、単に自分が導き出した答えや推測と比較対照するためである。その結果、類似点が多くて驚くことも多いが、基本的には私の言っていることは、私のオリジナルのものなのである。そしてそれが、政治やマスコミが共有していて、国民全体を抱え込もうとしている価値体系や観念、考え方との距離感があることが多いので、そういう意味合いの定義では、私は陰謀論者であって、陰謀論信奉者ではないということになる。しかし何も私は天邪鬼に無理をしてそうなっているのではない。私にとってみれば政府の見解であろうが、マスコミの報道であろうが、厚労省のホームページに書いてあることであっても、或いは陰謀論者が数々の著作で主張している内容であっても、どれを重視して、無条件に信用し、どれを端から信用性の低いインチキやデマとして拒絶、却下するということではなくて、一旦は自分のフィルターをろ過させて、しっくりいくものと腑に落ちないものを選別しているのであって、全ての情報は出発点においては、夜空に見える星々のように観察する自分自身と同位置の距離感と同程度の価値を有しているということである。政治やマスコミのしていることは、それを権力に都合のいいように勝手に色分けをして、特定の色を受け入れて、特定の色は排除しろと国民に強制しているものである。何でそのような傲岸不遜な要求を自由主義国家であるはずの日本において忍従しなければならないのか。特に政治家は選挙で国民に選ばれた存在であろう。説明責任すら果たさずして、特権階級の貴族のように振舞うのはやめていただきたいものだ。それから付け加えればネットに投稿されているコメントなども、もちろん様々な意見があることは当然だが、純粋に市民感覚が反映されていると見ることはあまりに純朴すぎて弊害があるように思われる。これはもう大分、前から感じていたことであるが、政治的な工作活動とでも言うか、意図的な世論形成が、誰がしているのかとなるとはっきりとはわからないが、おそらくは政府系の職員が職務の一環として書き込んでいる内容がかなり多いように見受けられる。それで上の権威的な政治やマスコミ報道と、下の庶民的なネットコメントで、サンドイッチのように国民意識を逃げ場のないように挟み込んで、閉じ込められているかのような窮屈さを私はいつも感じているのだが、皆さんはそういう印象を持ったことはないのであろうか。そういうことを何一つとして感じないような鈍感さがあれば、私ももっと幸福な人生が送れたのになどと思ったりもする。さてそれでは前置きが長くなったが、そういうことを前提に肝心のコロナワクチンへの疑問について言及しようと思うのだが、あまり長文になると読む方も疲れるであろうし、何よりもその内容が単純にしてあまりにも核心を突き過ぎているように思えて、正直な所、今でも少し迷いがあるということと、それがもたらす危険性についてどうなのかと、まさかいきなり複数の官憲がやってきて、戦前の大杉栄のように投獄され、棍棒で思う存分、殴られたり、首を絞められて殺されるようなことはないとは思うが、今の政治とマスコミの何かしら血走ったような様子を見ていると、万に一ぐらいはそれに似たような状況もあり得るのではないかとふと不安がよぎったりもする。日本は段々と、特攻隊の突撃のような恐ろしい状況に突入しつつあるように感じられるのは、果たして私だけなのか。そういうことで今一度、時間を置いて、冷静に政治や報道の動向を見極めつつ、覚悟を決めてそれについて述べたいと思う。(吉川 玲)