龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

水槽の中の飼育情報

人間の生活における情報は、ある意味で、水槽の中を泳ぐ金魚にとっての水のようなものであろう。水は金魚にとって生存上、絶対的に必要不可欠なものであり、金魚の生命そのものが直接的にその環境の質によって重大な影響を被る。水がなければ金魚は生きていくことができないが、腐敗していたり、多少の毒素が混ざった水であっても、個体差はあるが、大半は自然と耐性が生じて、何とか生き長らえることが可能である。よって金魚の生命は、自分たちが生存している水槽の水に深く依存していると言えるが、問題は、金魚そのものが自らの生存と、生命の質を決定している水の存在を意識できていないところにある。なぜ意識できないかと言えば、水は金魚と完全に一体化しているので、分離して思考の対象とすることが不可能だからである。金魚は水槽と水を自ら選び取ることができないのだから当然のことだとも言える。選べないものを意識したり、思い煩って何になるのかということである。清浄であろうと穢れていようと、不即不離に金魚の生命とはすなわち水槽の水であり、水が金魚の生命なのである。金魚とは斯くも哀れで、馬鹿な生き物なのだ。哀れで、馬鹿で、健気な小動物だからこそ、飼育され愛玩の対象となるとも言える。

しかしである。そういう人間も実は、程度の差こそあれ、金魚と同じである。人間も実に哀れで、馬鹿な生き物なのだ。何でこんなことを言うのかというと、近年、人間の生存環境としての情報が酷く汚染され、非常に生き難くなってきているように感じられるからである。生き難いなどというような生易しいものではなくて、ほとんど狂った世界の中で屍として飼育されているように思えてならない。私の目には、現代の人々は濁り切って、腐敗した水のなかで口をぱくぱくさせて新鮮な酸素を求めつつ弱っていく金魚に見える。衰弱して死につつあるのに情報と一体化している人間はその現象を病理として理解できていない。

具体的に述べることにする。この1年ほどを振り返って見て、日本ではどのような情報が、金魚にとっての水のように日本人の意識を盲目化させてきたのであろうか。先ず旧統一教会に対する解散請求への政治的な動きがあった。次にジャニーズ事務所の性加害問題である。どちらも今に始まった問題ではない。何十年もタブーとして、それらの重大な被害事実があることがわかっていながらも、放置されてきたことである。それがどうして今、この時期になって世間の耳目を集めるように糾弾されることとなったのか。最近では政治資金、裏金の問題で俄かに東京地検特捜部が事情聴取を開始して、それに関する情報に覆われている。政治資金の不祥事はこれまでにも何度も繰り返されてきていることだが、今回の問題に対する報道の特徴は、自民党の最大派閥である「清和政策研究会」の政治資金パーティーをめぐるものであるということから、「安倍派」という言葉が重要なキーワードのように、執拗といえるほど何度も使用されているということである。このような情報の推移と社会現象は一体、何を意味しているのであろうか。何を見えないように国民の目を誘導しているのかということである。おわかりであろうか。正直に言って、わたしは大半の国民がこの程度のことがわからないことが不思議でならない。本当に日本の大衆は金魚と同じ程度の情報認識しかできないレベルになってしまっているのであろうかと愕然とする思いであるが、そうであるのならばもはや何を言っても仕方のないことである。全体の1%か0.1%か知らないが、金魚ではない人間としての認識能力を保持している人々にのみ提言せざるを得ない。もう金魚などどうでもよい。金魚は死なない程度に与えられた餌を食べて生き長らえることを考えていればよいのであろう。ということで、今見えなくさせられている対象とは、安倍元首相を殺害したとされている山上徹也被告の公判についてである。山上被告についての情報がある時期から全く途絶えてしまったことについて違和感なり不自然さが感じられないであろうか。現時点で山上被告がどのような状況下にあるのかと言えば、来年1月まで鑑定留置が延長されているとのことであるが、具体的な公判の日程はまだ未定のようである。情報がないので何とも言えないが、恐らくは刑事責任能力の有無を調べる精神鑑定をより慎重に行うために留置を延長しているのではないであろう。そうではなくて検察は山上被告の殺人容疑が無実であることがわかっているから、起訴すべきか、不起訴にするかを未だに迷っている、或いはどのように決着すべきかが分からなくなっているのではなかろうか。今の政治資金問題で安倍派という文言がリフレインされるのは、安倍氏に対するダーティーなイメージ付でガス抜きさせることで、銃撃事件を、そしてその加害者とされる山上被告の裁判への関心を国民の意識に上らせないようにするための操作である。旧統一教会献金問題もジャニーズの性加害も同じである。元々日本のマスコミの報道内容はそういう類のことばかりであるが、最近はあまりにも情報操作が露骨化しているというか、闇が底なしに深まっているようで、批判する言葉も出てこない。ということで私は今、本気で心配していることがある。ある日、突然に山上被告が留置所で自殺したという報道が出てくるのではないかと。まさかとは思われるかも知れないが、万が一にもそういうことが起きないことを願うのみである。

(吉川 玲)