龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

特定秘密保護法についての考察

大体において、当初から朝日新聞特定秘密保護法に対する報道のあり方は公正さを著しく欠いていた。たとえば何が特定秘密に指定されているか公表されていないのでわからないと言っても、この法律は取材の在り方を規制対象とするものではない。たまたま秘密に指定されていることを取材したり、知ろうとして調べたからと言って逮捕されるのであれば、戦々恐々とした民主主義破壊の暗黒社会であるが、そういうことにはなり得ない。基本的には知る権利、取材する権利はこれまでと同様に保証されているものである。特定秘密保護法は安全保障に関する情報の内、特に秘匿することが必要であるものについて、公務員や民間の情報取り扱い者が外部に漏らしてはならないと定めている法律である。但し、その法律の性質上、「詐欺、暴行、脅迫や財物の窃取や損壊、施設への浸入、通信の不正傍受、不正アクセス」(第24条)などの行為が処罰の対象として条文に明記されることになるのは当然である。またその条文の冒頭には、ご丁寧にも衆議院の修正により「外国の利益若しくは自己の不正な利益を図り、又は我が国の安全若しくは国民の生命若しくは身体を害すべき用途に供する目的で」とまで限定されているのである。つまり裏返せば、そういう目的でなければ、「特定秘密を保有する者の管理を害する行為により、特定秘密を取得した者」であっても、必ずしも罰せられることにはならないとまで、譲歩された内容となっているのだ。これのどこが問題なのだろうか。敢えて穿った見方で言えば、国益に立脚せずに、「外国の利益」を謀るための情報収集と報道をしてきたマスコミにとっては、非常に都合の悪い条文であると言えるであろう。それから特定秘密の対象が、際限なく増えていくのではないかという懸念がある。確かに国家情報が特定秘密だらけになってしまえば、窒息するような情報統制社会になると言える。またその件数の制限もない。しかし常識的に考えれば、この法律の性質上、何でもかんでも特定秘密に指定してしまえば法律の意義や価値そのものを否定してしまう結果となる可能性が高い。なぜなら一つの秘密案件に対して、公務員だけでなく民間の事業者及びその従業員が関わることになる。それらの人々に対し、「適正評価」と称する身辺調査を行わなければならないのであるから、特定秘密が際限なく増えていけば、それに合わせて秘密保護に要するコストや手間は特定秘密の対象数以上に増加してゆくこととなる。よって、とてもではないが現実的な選択とは言えないし、そのように特定秘密を増やしてゆこうとするモチベーションは働き得ないと見れるものである。また秘密というものは、その性質上、ある一定数を超えてしまえば、秘密とは言えないものになってしまうものである。なぜならどれほど管理強化を施そうとも、罰則を厳しくしても、秘密とは雨漏りの水のように必ずどこかしら予想もしないような所から漏れ出すものであるからだ。秘密指定が政治や官僚の権限を強化するものであることは確かであろうが、しかしだからと言って、秘密がどんどんと拡大していけば、この法律が形骸化することは目に見えているものであり、政治はともかく日本の官僚はそれほど馬鹿ではないから、秘密指定が留まることなく増えていって、四方八方の秘密の中で窒息死しなければならないような情報統制社会になるとは考え難いものである。次に・・・、次回に続く。