龍のひげ’s blog

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光市母子殺害事件裁判の終結

一念岩をも通す、とは正にこのことであろうか、光市母子殺害事件における被告の死刑がついに確定した。13年間にも亘って、この判決のために闘ってきた遺族、本村さんの不屈の精神は大変、立派であったと思う。今後は静かな環境でこれまでの心労を癒すべく、慎ましくも幸福な人生を歩んでいって欲しいと思う。しかしこの事件に関する一連の裁判を、死刑制度の是非や、社会正義のあり方を離れて、純粋に法廷戦術の問題として概観した時に第三者的にはどうもすっきりしないと言うか、敢えて被告弁護側の立場で見れば最低、最悪の闘い方であったと思われる。確かに凶悪で残忍な犯行ではあったが、被告は当時18歳であったことから、反省と改悛の情を初めから一貫して示し、一生を掛けて罪を償いたいから死刑だけは許して欲しいと訴え続ければ、いかに被害者遺族が峻烈に死刑を希求しようとも、絶対に死刑になることはなかったはずである。ところが被告は、浅はかにも死刑は有り得ないと高を括っていたので反省する必要性がないと考えていたようである。第一審の無期懲役判決が出た後には、被告は知人あてに被害者遺族を愚弄するような内容の手紙を書いている。そして検察にその手紙を、被告に反省感情のないことの証拠として採用され、世間にも広く晒されてしまった。この時点で被告は、法廷戦術的に取り返しのつかない過ちを犯してしまったと言えるであろう。それは決定的に、世論を敵に回してしまったということである。これだけ注目度の高い事件となれば世論の動向が判決に大きく影響するということを、被告や被告側弁護団がきちんと理解できていなかったことが敗因である。とは言っても、地方裁判所高等裁判所では過去の判例から大きく逸脱することは出来ないが、2006年に最高裁が高裁への差し戻しを決定したのは被告の刑事責任能力や法律的にどうのこうのと言うことよりも、結局は世論の圧力に逆らえなかったからに過ぎないと考えられるものである。これがもし同じような残忍性の高い事件であっても、メディアの注目度が低く、報道される機会がほとんどない埋もれた事件であったならば、無期懲役が死刑に覆ることは恐らくなかったであろう。裁判とはそういうものである。劇場型のポピュリズムに通じる傾向は非常に大きいと思われる。そういう要因を被告や被告弁護団が計算に入れていなかったから、喩えは悪いが、被告は自分で自分の首を絞めるような状態に追いやられていったのだと思われる。最高裁から高裁へ差し戻しが決定した時点で、ほぼ100%死刑は決定したようなもので、被告弁護団も本心では諦めていたであろう。しかしそうであっても0.1%の可能性を追求するのであれば、その時点からでも被告に心からの改悛の情を示させた上で、18歳時の事件に対して死刑を適用することがいかに非人道的なことであるかを死刑制度の是非をも含めて訴えるべきであった。民意を引き寄せる必要があったのである。ところが被告の弁護団は、殺意そのものを否認したり、ドラエモンがどうのこうのと訳のわからない被告の発言を採用したりと、素人目に見ても無茶苦茶であった。元々、反省する心を有していない被告にきちんと事件の重大性に向き合わせて謝罪させることは、弁護団としても無理であったのかも知れないが、それでもこの裁判における被告側弁護団の仕事ぶりは非常にお粗末であったと私は思う。