龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

限りなく殺人に近い過失行為

高速道路の追い越し車線に、それも夜間に車を止めさせてはあかんわな。この事件の石橋容疑者は、車の中から夫婦だけでなく二人の子供たちまでも引きずり出そうとしたとの情報もある。しかし娘たちは泣くばかりで石橋容疑者も娘たちを外に出させることは諦めたようだが、それが助かった原因なのだろうか。後続のトラックがワゴン車に衝突した時に被害者の夫婦と石橋容疑者及びその交際女性が、どのような位置に立っていたのか或いは夫婦はワゴン車内に戻っていたのか、その辺りの正確なことがわからないので死亡した人間と軽傷の石橋容疑者の差が、たまたまの偶然であったのか、それともそこに石橋容疑者の悪意なり殺意が働いていたのか、今の段階では何とも言えないが、いずれにしてもかなり悪質な事件ではある。石橋容疑者側の主張とすれば、かっとしていたからこのような事態を招いてしまって申し訳ないとは思うが、決して殺意があった訳ではないということになるのであろうが、どうなのだろうか。確かに石橋容疑者自身やその同伴女性も危険な場所に立っていたので明確な殺人ということにはならないであろうし、せいぜいが過失致死罪が適用される程度であろうが、この事件の特徴は、過失の性質が限りなく殺人に近い内容であるということである。計画的な殺人行為ではないが、悪意のある威迫によって二人の人間を結果的に死ななければならないような状況に追いやったことは事実なのであるから、私は石橋容疑者は殺人罪で裁かれるべきだと考える。日本では二人を殺せば死刑が適用されることば相場である。現実的に死刑にすることは難しいであろうが、無期懲役かそれに近い刑罰に処されることを望むものである。日本の裁判というものは、このようにマスコミに大きく取り上げられる事件に対しては世論の動向に少なからず影響されるものである。それゆえに石橋容疑者を厳罰化する民意を高めていかなければならない。よく問題にされることではあるが、日本では犯罪被害者や遺族の立場というものが、加害者の人権と比較して軽視されているものである。刑事事件で裁かれている人間を相手に、民事で賠償金を請求することはほとんど不可能であろうし、仮に可能であったにせよ現実的には石橋容疑者のような人間に補償させることは無理である。被害者の遺族は加害者がいつ刑務所を出所して、どこに住んでいるのかということも分からないのである。名前を変えている場合もある。そんな幽霊のような人間を相手に補償をさせることは不可能である。日本はそのような社会システムになっているのである。特に今回の事件は、残され人間が未成年者の子供であるので尚更、無力である。このような不条理、理不尽なことを許してはいけないと思う。