龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

朝倉未来とBD論

危険のない無難なところで、先ほど見終えた格闘技ファイトクラブ朝倉未来のことについて語ることにしようか。別に私は未来のファンでもアンチでもないが、未来という人物像に興味を感じていたのでユーチューブやBDで動静を追って、観察していた。今回のYA―MANとの試合は、試合が開始される直前までは、正直なところ五分五分だと思っていたが、1RのゴングがなってYA-MANが圧力を掛け、未来をコーナーに追い詰めていった時点で、YA-MANの方が強いことがわかった。カウンター狙いでわざと下がっているというような余裕が未来の表情や身体の動きから全く感じられなかったからだ。格闘技の面白いところは、私は全くの未経験であるが、向き合った時点で勝敗の何割かが決するところにあるように思われる。そこから劣勢の方がどれだけ挽回できるかということも見どころであろうが、それはルールや審判のある人間の競技としての闘いであるからで、これが野生動物の世界における雌の獲得を巡る雄同士の決闘であれば、向き合って勝てないことがわかった時点で弱い方は相手に背を向けて逃げ出すであろう。それは卑怯であるとか弱虫であるというようなことではなくて、雌を獲得して自らの遺伝子を自然界に残すことが目的であるならば、負けるのがわかっている相手に戦いを挑んで命を落とすよりは、その場は逃げて生き続け、次の自分が勝てそうな雄との決闘とそのご褒美としての性交の機会を待った方がゲーム理論的には正しいからである。もちろん戦って無残に負けて死んでしまう場合も多くあるだろう。何が言いたいかと言えば、試合開始直後にYA-MANにコーナーに追い詰められる未来の姿を見て、ルールのない鹿や猿などの野生動物の闘いならば、戦わずに逃げ出すのではないかというように私には瞬間的に見えたということだ。それだけYA-MANのほうが過酷な自然界における野生動物の生命を掛けた戦いに近い気迫を持っていたということかも知れない。未来の敗北は、有名になり過ぎ、金を持ち過ぎたゆえに、プロの格闘技の世界では生物学的なあくなき強さへのモチベーションを持てなくなったのかも知れない。そうであるならばYA-MANの未来に対する指摘が正しいことが証明された闘いでもあった。嫌味を言うつもりをないが、未来の本当に輝く場所は、ライジンやUFCなどのプロの団体で自らが戦うことではなくてBDで不良を喧嘩させてそれを見世物として興行することにあるのではないかという気がする。悪く言えば、未来は元々がお山の大将の気質を強く持っているのである。しかしそれであれだけの金を稼ぐ能力は凄いことではあるし、頭が良いことは否定できないことである。そういう意味で未来は、観察の対象として面白い人物であることは事実である。しかしBDがこれほどに今の日本でバズるというのか、注目されることは私には単なる平和ボケの裏返しに過ぎないような気もする。ウクライナの日常のように、ロシアとの戦地から、手や足をうしなったり、失明して帰還する若者が無数に存在する現実のなかで、BDのような不良の喧嘩の動画を誰が見たがるであろうか。どのような企業がそんな動画に勇気をもらったなどと言って広告の金を出すであろうか。砲撃された病院で小さな子供の生命が日々失われていくパレスチナの地でも同じである。そういう意味では未来が主催するBDは日本における偉大な平和の象徴なのである。批判している訳ではない。未来は恐らくはもう格闘技を引退するであろう。お疲れさまと言いたい。

(吉川 玲)