龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

ユーチューブが生み出すビッグマネーと混乱

ユーチューブの問題は、結局は目立った者勝ちになってしまって、それによって生じた混乱を収束させる術や結着をつける基準がないということであろう。ライジンにおけるシバターのやらせ騒動もまさにその通りのパターンで、いくら周りがモラルに反しているとか、真剣勝負をしている他の選手たちや団体に迷惑を掛けている行為だと批判したところで、当人にそういう気持ちがまるでなくて、むしろ自分のパフォーマンスによって注目度を高めることになっているのだから、業界に利益をもたらしているなどと平然と反論されれば、確かにその主張にも一理あると認めざるを得なくなる。では何が問題なのであろうか。いやこの問題のセンターピンはどこにあると考えるべきなのかということだ。シバターの人間性であるとか、モラルの欠如はセンターピンではない。朝倉未来は自らのユーチューブ動画で、自分がライジンの榊原社長にシバターを大会に出場させることを推薦した以前の経緯を申し訳なく思うと謝罪の言葉を述べつつ、シバターのことを「屑」だと批判していた。確かにシバターは屑なのかも知れないが、屑かどうかという問題ではないであろう。シバターは他の選手やライジンの関係者、多くの視聴者にとっては屑なのであろうが、シバターの家族からすれば多くの人から屑だと罵られてもお金を稼いできてくれる有難い存在であり、良き夫であり、良き父親であるとも言える。もちろん家族までもが今回の件で世間から白い目で見られたり、悪口を言われるようであればそうはならないが、恐らくは別に犯罪者でもないのだから、そこまでのことでもないであろうと考えられる。要するにシバターが屑か否かは単なる視点の問題であって、センターピンになり得ることではないということだ。そうではなくて問題の本質は、本来選手が考えるべきことは、いい試合をして観客や視聴者を喜ばせるということと、当然、試合に勝利するということである。選手はその点にだけ集中してそれ以外のことには関与したり、介入すべきではないのである。大会の注目度を高め、少しでも多くの視聴率を獲得することはライジンが考えるべきことである。ライジンが選手の健康を守るとともに、大会を成功させ、総合格闘技の人気をより一層に普及させていく責任と使命があると言える。ところが今の時代の出場選手たちは、選手であると同時にユーチューバーでもあるので、自分たちがプロモーターであり主催者であるかのようなビジネス感覚で大会に臨んでいるのであろう。自分の領分でないことをユーチューブの動画を作る感覚で自分の領分だと勘違いしてしまっているのだ。そこに問題のセンターピンがあるのだと考えられる。一方でライジン側がこの問題に対して、正式にコメントを出せない状態であることも選手と運営者側との立場や責任を区分する境界線が不明瞭になっていることが原因なのではないかと想像される。ユーチューバーは独立自営業者であり、たくさんの人に見られるほど収入が高まるシステムの中でどのような動画を作ればよいのかを常に模索している者である。自分の人気や認知度を、企業案件などで生かすことをも考えているので、世間からのイメージの良し悪しも当然に重要な要素であり、普通は何らかの理由で炎上する事態になると即座に謝罪したり、謹慎して収束を図ろうとするものである。しかし今回のシバターのように確信的に久保選手をだまして勝利をもぎ取るようなことをしても、それはエンターテインメント的に価値があって利益を生んでいるなどと開き直られることになるのならば、それはその人の人間性やモラルの問題であると言うよりは、そこにルールやどう処置すべきかという基準がないことが問題だと思われる。シバターの擁護をするつもりはないが、シバターの動画を見ていると普段は常識人であり悪人のようには見えない。しかしここぞという時にやることは世間一般のモラルや常識を突き抜けていてある意味ではプロなのであろう。今回の一連の経緯を見ていても久保選手との対戦が決まってから、実力差があり過ぎて、障害が残るような怪我をする可能性があるから辞退したいなどとさんざん吹聴しておいて、恐らくはその時点から作戦は開始されていたのであろうが、大晦日の試合前の土壇場で久保選手に八百長を持ちかけた。コレコレの動画も見たがその時の音声では、シバターは久保選手に対してライジンのマッチメイキングを担当している笹原という人物にも話しを通してあって、笹原氏は契約を完了した後ならそういうやらせの話しを久保選手としても良いというような意味合いのことを言っていた。もちろんその部分に関してもシバターが嘘をついている可能性はあるが、本当であるならばライジン側が八百長を了承していたということになるので、シバターと久保選手双方に責任があるというよりは、シバターとライジンが手を組んで、久保選手に八百長を迫ったという構図になる。そうであれば一介の選手が主催者側が了承していることを断りにくいのは当然であって、久保選手の責任の度合いは変わってくることとなりむしろ被害者であるとも言える。もちろん久保選手はその時点でライジンにことの真偽の確認を取るべきであったが、選手の立場で大会運営者に不正の事実を認めさせることは言い難いであろうし、何よりもシバターに試合をキャンセルされると久保選手は周りに迷惑をかけることとなり金銭的な損害も生じるということになる。その事情はライジンの笹原氏も同じであろうから、その話しが本当であるならば、シバターの提案は笹原氏や久保選手の土壇場で試合の穴を開けたくないという心理を巧妙に利用したものであり、プロの手口であると言える。しかし仮にそうであるならば、シバターが笹原氏について言っていたことが嘘でないならば、久保選手よりも当然に笹原氏の責任の方が重大であるはずである。大会の運営者とすれば選手からの八百長提案など絶対に認めてはならないものである。その点に関してはルールや役割以前の問題だが、先にも言った通りに選手と運営者側の境界線がなくなっているので、ぐだぐだになっていたのではなかろうか。そうであればライジンの体質の問題である。朝倉未来は動画の中で、この問題で久保選手のことを負けたから音声を公開するのはダサいとして厳しく批判していたが、ダサいかダサくないかという問題ではないであろう。私は別に未来のファンでもアンチでもないが、未来はコレコレの音声公開の動画を見ていて笹原氏の件についても知っているはずなのに、そのことについて触れていなかったことについてはどうなのかと思う。もちろん未来は選手の立場で何の責任もないものであり、動画で強調していた通りライジン八百長が存在しないということも八百長がないことは試合を見ればわかるはずだということもその通りであると思うが、未来であれば笹原氏に電話をして聞くぐらいのことは出来るのではなかろうか。未来は自身が主催するブレイキングダウンという大会でシバターと対戦したみなみかわ選手にわざわざ連絡を取って、シバターから八百長の話しはなかったかということを確認しているのだから、笹原氏についてはスルーすることは私の目にはそちらの方がダサいようにも感じられる。繰り返すが未来個人にはこの問題の責任はないし、批判するつもりもない。しかし冒頭にも述べた通り、ユーチューブ全体の在り方というのか、そのビジネスモデルにおける社会との関わり方には問題があるようにも感じられる。それはやはりユーチューブにおける広告収入が既存のメディアを凌駕するほどに急激に大きく成長してきたことから、社会にきちんとしたルールや取り締まる枠組みがなくて、犯罪行為でさえなければ結局は目立った者勝ちであるとの暴走を許さざるを得ない現状にあるような気がする。未来が榊原社長にシバターの参加を推薦したことも今回のような事態は想像できなかったとは言え格闘技の実力よりも存在感のエンターテインメント性を優先したことであろうし、先だっての1千万円企画で弱い者いじめのように見られて批判を浴びたことも問題の根にあるものは同じではないのか。誰が悪いとか、誰を処罰すべきだということではない。要するに私が言いたいことは、モラルだとか価値観がどうのと言ったところで何の解決にもならないということである。誰もがそれぞれのモラルや価値観に従って生きている。屑には屑のモラルがあるし、詐欺師には詐欺師の価値観がある。それはシバターやへずまりゅうであっても同じことである。屑と言えば屑なのかも知れないが、屑も突き抜けてしまえば、そこには確かに従来の価値観の転覆があって面白いのである。それをあっぱれだと喝采する声や需要が一部にあることも理解はできる。ウーバーイーツの大した稼ぎにならない仕事などしないで、地元にも戻らず、東京でホームレス生活をしながら動画を撮り続けるへずまりゅうは突き抜けていて、まさにあっぱれだ。面白い。しかしそれは自分とは無関係であるから無責任にそう思えるのであるし、自分が迷惑を被る立場になれば許せなく感じるであろう。人間は身勝手な生き物である。またそれを様々な規制やルールで縛ってしまうことは魅力や面白みがなくなり、表現の自由への束縛であるという意見もその通りである。意見や価値観は人の数だけ存在する。だから一口ではどうすればよいのかと簡単には言えないことである。しかしシバターの騒動のように、社会全体へ与える混乱があるのであれば当人のモラルや価値観を離れて、しかるべき立場の人間の説明責任が生じることは当然である。そこは避けては通れない視点ではないのかということだ。またそれがないから混乱が深まるのである。

(吉川 玲)