龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

変化しない日本と変化する世界が生み出す新たな現実

センターピンのピンとは、ボーリングで先頭に立っているピンであると同時に、カメラレンズの焦点を意味するピントのピンであるとも私は勝手に考えている。よって意図的にセンターピンの中心位置から横に外された政治の政治性や、それによってもたらされる社会的な状況、世相、言論、国民の生活というものは、効率的、相乗効果的にストライクを生み出すものではなくて、ガーターかせいぜい2~3本のピンを倒す程度のものであると同時に、ピンボケした映像のようなものでもあると言えよう。それが世界の特に日本の現実なのである。平和ボケしているだけではなく、我々はピンボケしていて焦点の定まらない現実の映像を日々、見せられながら生きている。20年以上も経済が0成長であることも国民生活のレベルが向上しないことも当然なのだ。国家全体がピンボケしている現実の中で様々な進歩や成長、改善が果たせないことは絶対的な必然である。しかしそれによって政治は政治の責任から守られていると言える。全てはぼやかされ、曖昧になり一体、何が悪くて、何が原因なのかもわからなくなり、運命のように目の前の現実を受け入れざるを得ないということだ。TVで時事問題の解説や議論を見ていて、違和感を感じることはないであろうか。その分野の専門家や大学の教授、精神科医など発言に権威性があるような人物が登場して尤もらしいことを言うのであるが、共通していることは対象のセンターピンに当てないように用心深く用意された発言であるように感じられるということと、結局そういう意見や論調が流れ行き、落ち着くべきところは、報道機関であるマスコミやスポンサーである大企業、そして政治などの既得権益が損なわれないような現状維持でしかないということなのだ。日本全体の経済成長が見込めない現状にあっては、力学的に既得権益層の現状維持圧力が強まるがゆえに、本来は中立であるべきTVの報道内容や出演者の政治発言のピントのずれや歪みも比例して大きくなってくるのだと考えられる。資本主義社会だから仕方ないというべきものではないはずである。TVや新聞は様々な問題を多角的な視点で論じているような体裁を保ってはいるが、結局、社会全体の構図とすればマスコミや大企業、政治体制の既得権益が大きく損なわれないように、ピントが外れていて歪んだ均衡を守ろうとしているだけなのである。そしてそのしわ寄せは当然、弱者である庶民が被ることとなる。増加する児童虐待や弱いものいじめなども直接的ではないかも知れないが、そのような社会的強者が押し付けて固定化させているずれや歪みが、末端の生活の中で構造化されて結晶化しているだけなのである。簡単に言ってしまえばそれが日本の洗脳の全体像である。しかしTVや政治の演説を見聞きしているだけでは、その論理の内部に取り込まれているだけで、自分が洗脳されているという自覚を持つことができない。対立の構図も意図的に作られた内部構造である。右翼も左翼も、保守も革新もそういう対立の図式は実はセンターピンではないということだ。センターピンはそういう対立自体が常に何者かによってコントロールされ利用されているという認識にある。世界全体で拡大して俯瞰すれば、戦後の冷戦体制も同じである。資本主義と共産主義の対立の構図も自然発生というよりは実は計画的に作られたものである。それを牛耳っているのがディープステイトであるなどと言えば話しが込み入ってくるのでこれ以上に踏み込むのはやめておくが、ともかくも今や世界は一元化の支配体制に向かい始めていることは確かなように感じられる。これは日本国内だけの現象ではないのかも知れないが、若者は既存の権威であるTVや新聞からどんどんと離れて、ほとんど見なくなってきているようである。知性的にというよりも、本能的に若者の方がピントのずれたものを忌避する能力が高いからであるように感じられる。ではそれで若者がTVの代わりに見ているものは何かといえば、ユーチューブである。ところが人気が高いユーチューブのコンテンツがどのようなものかと言えば、別に大したことはやっていないのである。内容的に社会性や生産性があるものであるとか、映像の質が高いというようのものではなくて、どうでもいいようなどっきり企画であったり、くだらない検証動画が人気を集めて再生回数や登録者数を増やしていて、トップユーチューバーは広告収入や影響力の経済効果によって億万長者になっている。それが正しいとか、間違っているという価値判断を私はするつもりはない。しかし時代の一つの現象として見れば、政治と深く結びついている記者クラブに加盟しているTVが放送する映像や情報が作り上げて押し付けてくる現実よりも、今の時代の大衆はたとえ中身がなくてくだらないものであっても、直接的な政治権力の影響下にないユーチューブの動画の方が皮膚感覚的にピントが合っていて、鮮明でクリアな現実に見えるがゆえに時間を割く価値を認めているのではなかろうかと考えられる。そしてそこにユーチューブが生み出す莫大な金が社会に新たな格差と富の偏在を生み出していることも今の時代特有の現象であると言えるであろう。しかしそうはいってもユーチューブの動画内容も親会社のグーグルによって監視、検閲されていて社会的に不適格なものとして判断されれば、バンされることになっているようなので、要するに直接的でドメスティックな政治臭や管理体制が薄らいで見え難くいなっているだけで、ここにおいても世界の支配体制が一元化に向かって流れている過渡的な動きがあると見れるのかも知れない。日本の既得権益の構図は変化しないが世界は全体的に変化している。そういう視点で見れば、様々なことがつながって見えてくることであろう。我々はその世界の変化の背後にあるものがどういう性質のものであるのかを慎重に見極める努力を惜しまないようにしなければならない。

(吉川 玲)