龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

腐敗の本質を見よ

大金を稼ぐことが間違っているとか、悪だと言いたい訳ではない。そういう問題ではないということは理解してもらえるとは思うが、わからない人もいるかも知れないので一応、説明しておくことにする。たとえば画家が描いた1枚の絵を1億円で買いたいという人がいて取引が成立すればその絵には、1億円の価値があるということになるであろう。音楽の公演が武道館などで開催されて、仮に1万人の観客が集まるのであれば、その演奏なりミュージシャンには1万人の入場者が支払うチケット代金、合計額の価値がある。小説が10万部売れたのであれば、その作者はそれだけの読者から支持されていることを販売実績によって証明していることになる。しかしマツコさんのようにたくさんのTV番組に出演しているタレントが、正確にはわからないが仮に10億円の収入を得ているのだとすれば、それは画家の絵やミュージシャンの音楽活動、小説家の書く本と同じような価値や能力が反映されたものであろうか。TV番組などというものは国民が主体的に代価を支払って選択したものではあり得ない。視聴率が当てにならないとは言わないけれど、それは国民とタレントや番組コンテンツとの経済取引とは言えない性質のものである。あるタレントが飛ぶ鳥を落とすような勢いで売れているとか、反対に飽きられて落ちぶれてしまったと言われても、視聴者には実際のところ、どのようなメカニズムでそうなっているのか誰にも理解できない。視聴者は常に受け身の立場であって、TV局側に今はこの人がトレンドですよとか、もうこのタレントはダメになりましたから忘れましょうなどと一方的なメッセージを脳に植え付けているものである。それは当然、タレントの選別だけではなくて、というよりも視聴者はタレントの選別を出来ないのであるが、スポンサーの広告商品を認知して、購入する意志を持たせることが最大の目的であることは誰にでもわかることであろうが、実はそれだけではなくて政治や政治に深く結びついた意識操作ということも行われている。このようなことを言えば、多くの人には陰謀論のように思えてしまって、生理感覚的に受け付けないであろうが、その感覚自体が、TVに操作された結果であるとも言える。はっきりと言えばTVとは国民を洗脳するための政治的な道具なのである。TVだけではなくて新聞もそうであるが、本質的には国民の自主的な精神や思考を促すためのものではなくて、奪い取るために存在していると言えるものなのだ。TVを見れば幾つもの政治的な討論が行われているであろうが、それは民主主義を装っているだけであって、そのテーマや進行、パネラーの選択、発言内容などはTV局側にコントロールされたものであって国民は不在なのである。戦争直後の政治の国民への洗脳体質(もちろん当初はGHQによるアメリカの植民地政策であるが)を濃厚に引きずっている組織がTV局であり、新聞社なのであって、それらのマスコミ組織は本当は時代の変化に合わせて、淘汰されたり変革していかなければならないものであるが、政治にとっても都合のよい国民統治のための装置なので手厚く保護されている現実がある。そして戦後の歴史の中で洗脳のようなことばかりをしていると当然のことではあるが、腐敗は癌のようにどんどんと進行して、立花氏がユーチューブの動画でも丁寧に解説しているように大手広告代理店を通じて日本のマスコミ全体が韓国勢力に乗っ取られてしまったようなきわめて深刻な事態に至っているものである。日本の報道が日本のためのものでなくなってもうすでに久しいのである。しかしNHKだけでなく大手マスコミに所属している人々は破格の高給を失いたくないがために内部告発できないという現状にある。そのような認識のもとにマツコさんのN国党に対する「気持ち悪い」であるとか「宗教っぽい」などという発言を考えると、単に個人的な感情レベルの感想ではなくて背後の巨大な既得権益を代弁したものであることが理解できるのではなかろうか。今の時代に企業ではない個人のタレントに10億円もの収入を与える社会システムは悪魔的であるとすら言えるであろう。そしてそのような社会システムが日本の成長や格差の是正を阻んでいるものである。タレントのヒロミさんが10年間ほど芸能活動から離れていて、その間、加圧トレニングジムなどを経営していたようであるが、芸能界に復帰した時に、商売をすることは器材を購入したり、人を雇ったりで大変であったが、芸能活動は何の元手もなく口だけで稼げるから有り難いと言っていたが、それは心からの本音だったと思う。今の時代はマスコミ以外の一般人が商売をするにせよ、会社勤めにせよ、普通に生きていくことが非常に厳しくなってきているものである。そういう状況下で国民を洗脳するためのマスコミ組織がいつまでも優遇され続ける社会システムは許されないのではないのか。マツコさんというタレントには何の興味も関心もないので個人攻撃のようなことはしたくはないが、たまにTVで見ていると歯に衣着せずにコメントを発しているようでいて、微妙な政治的な問題についてはもごもごとごまかしたり、スルーしたりと炎上を回避する危機管理能力が高いように見受けられていたものである。今回のN国党に対する発言は、まさか国会議員から直接に激しい抗議活動を受けるとはまったく予想していなかったので動転したということが本音なのであろうと想像される。また国会議員があのようにTV局に押し掛けて抗議することに対して世論は、営業妨害であるとか品位を欠いた職権乱用であるなどと不快感を持つ人が多いようである。しかし私に言わせれば、議員がマスコミの批判に抗議しないことは、政治がマスコミの言論の自由を尊重しているというよりは癒着の関係性を表しているものである。政権与党の自民党が党を上げて抗議するのであれば、当然それは言論弾圧に相当するであろうが、議員数二人や三人の弱小政党と比較すれば、マスコミ連合の影響力や政治力の方が遥かに巨大であるはずである。これまでにマスコミ主導の恣意的なバッシング報道で潰されてきた政治家の数は数えきれないのではないのか。そのような歪んだ報道活動がマスコミ的には正義であり道理であるというならば、マスコミと癒着していない潔癖な政治家がマスコミに抗議活動することは当然である。いずれにせよ日本は法治国家なのであるからマスコミの報道を通じた洗脳、政治活動が合法であるならば、立花氏のTV局に対する抗議活動も唯一、脱法行為かどうかが問われるべきである。法に抵触しているということであれば民事や刑事で訴えて法廷で争うべきであって、マスコミが公共の電波を通じて好き勝手な既得権益保護の政治活動を行っていながら、業界の都合で議員の品位や節度を持ち出して批判する姿勢は私は傲慢であると思う。