龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

自民党と戦後政治とは何なのか

身も蓋もないことを言ってはいけないという法律がないのであれば言わせてもらうが、日本の政治は言ってみれば全てはアドバタイジングである。アドバタイジングとは広告活動のことである。解散総選挙も新党の結成や解党も立法行為も、憲法改正の議論もそうだけど広義に見れば全て、何をしているのかと言えば、本質的には広告活動を行っているのである。では何を広告しているのかと言えば、日本には確かに民主主義の政治が存在していますよということを国民に印象付けているのである。しかしその活動は、印象付けが最終目標になってしまっているので、結局は政治のための操作であり、または洗脳のための情報とも言い得るが、真に国益を追求する政治からは程遠いものになってしまっている。政治が国益を追求することを内実的には放棄していて、国民の目を眩ませるだけの広告活動として自己完結してしまっている。これが日本の戦後政治の本質であり正体なのだ。と言っても多くの国民には私の言っていることは、あまりにも世間の常識からはかけ離れているので、内容の意味合いは理解できても意識が付いてこないのだと思われる。そういうことを承知の上で、別に私は多くの人から賛同を得ようと思っているのではなくて、日本全体の意識を変革していく必要性があると考えているゆえに何度も繰り返し述べているのである。でもこれは非常に困難で、大変な道程である。裸の王様の童話ではないが、傲慢に聞こえるかも知れないが、今の日本で日本の真実をアドバタイジングとは無関係に真正面から見据える精神を持っている人間は、唯一、私一人ではないかと思うのである。私以外の人間は皆、どこか狂っているといえば言い過ぎであろうが、洪水のような誘導情報によって政治を見る認知や健全性が損なわれてしまっているように思える。TVに出ているような知識人も皆、同じであり、大学の教授や法律家など知性があるので信頼できそうに見えても、TVに出演して発言している時点で、日本の歪みや欺瞞の構図を正当化し、権威付ける文脈上に立脚しているのであって、底流においては日本の現状を維持し、変化を妨げているということで共通しているものである。さらに深刻なことにはTVなどで日本を論じているような識者自身が、自分の思想や物の見方が本質的には国益や正義とは無関係のアドバタイジングに過ぎないということを自覚できていないのである。それほどに戦後の日本の思想は洗脳の闇が濃いのである。戦後と言う深い森の中でいかに生きるかという道を見失っていて右も左もわからなくなってしまっている。出口もわからずに彷徨っているだけである。だからあくまでも近視眼的に儲かりさえすればよいという価値感が常に優先される。儲かればよいという論理は、一部の者が今得ている既存の利益や地位を喪失しない価値観や解釈に固執するということでもある。そして私のような“純粋無垢な”主張を、王様が裸であることを暴き立てる危険な造反として、社会の全面や国民の意識に表面化しないようにコントロールされることにも結びついているのである。陰謀論や都市伝説のトンデモ論以前に、その遥か手前で日常的に当たり前のように行われている社会操作が多くの人には全く認識されていないのである。そして政治やマスコミは、絶えず政治批判の質を現状の体制維持に組み込まれるテイストに調整し、管理しているものである。だから政治批判がいつまで経っても本当の意味での政治批判には成り得ないのである。そこには本当は思想も信条も理想も何もなく、ただ自分さえ良ければよいという利己主義があるだけなのである。その思想なき利己主義性は、今回の選挙における民進党のドタバタ劇を見ていてもよくわかるであろう。政治とは国益と無関係に、その時々で国民の不安や心情に遡及するようなアピールをして一時的な共感を得るというゲームに過ぎない。今の日本の社会構造は底層において国民に利己主義者であることを暗に要求しているものである。そしてそれは政治においても言えることである。なぜなら利己主義であるからこそ管理、統制し易いという面が大きいからである。日本は政治そのものが戦後思想の枠組みに管理されていて、その枠組みの中で虚構の対立劇やシナリオが形作られながら、政治家や政党が政治を食い物にしてゆくので、そのしわ寄せで国民はより強固に、家畜のように管理され馴化されなければならないという構図に流れていく。だから本当は日本の政治には保守もリベラルもないし、もっと言えば国益の概念も既に喪失しているのである。日本の民主主義とは単に選挙があるというだけのことだ。そして見せかけに過ぎない民主主義をより本物らしく装うためには印象操作が欠かせないので、マスコミと政治は国民管理という目的のために結託しているのである。記者クラブの制度はその象徴である。戦時中の大本営発表が、民主主義の色合いに染められて垂れ流されているだけである。政治とカネの追及も、マスコミの特権みたいなもので本質的には民意や民主主義の進歩とはほとんど関係ない。むしろマスコミは政治が腐敗してくれている方が、マスコミの正義を示せる資源が政界には豊富に埋蔵されているという理由で都合がよいのである。断っておかなければならないが、これは陰謀論の話しではなくて、日常的に行われている社会操作の話しなのですよ。UFOとかUMAの話しではなくて現実そのままを描写しているだけである。さあ、それでこのような話しをあなたの皮膚感覚や脳細胞は受け入れることができますか、ということだ。なぜならその許容度が被洗脳のバロメーターを表しているからである。しかしまあ何というか、あまりにも本当のことを語ってしまうと、日本人が人生や現実に幻滅してしまって自殺者数が急増したり、勤労意欲を失ってしまって税金を払わなくなってしまったり、麻薬中毒患者が街に溢れてしまうようなことになるので、ある程度の幻想は必要なのであろうとは思う。しかし幻想にも耐用年数というものがあってもう日本の政治の思想性や背景が張りぼてに過ぎないことは、意識レベルの高い国民には分かりかけてきているようにも見える。それに政治の正当性という幻想を維持するためのアドバタイジングには莫大なコストがかかるものである。これは選挙費用や政治資金だけの問題ではなくて、たとえばODAや対外的な援助も全ては同質、同類である。国益の概念はないのに金だけは湯水のようにばら撒かれなければならない必要性だけは常にあるということだ。それが自民党政治の本質なのである。これでは財政状態が悪化していくことは必然なのであって全ては政治の在り方と意識の問題なのである。消費税を上げてどうにかなるようなことではないのだ。こういうことはあまりにも露骨な真実なのでマスコミなどは絶対に口にはできないことである。まあ新聞社にしてもTV局にしてもマスコミ業界で働いている人間は、所詮はサラリーマンなので沈黙は仕方がないのであろう。組織の不利益になるような感覚や意識は持ち得ないのだから。しかし国民の一人一人はそういうレベルで考え方や世の中の見方を変革していくべき時期だと私は思う。自民党が圧勝した今こそ、自民党政治とは、そして日本の戦後政治とは何だったのかを深く追及して国民全体が共有していかなければならない時を迎えているのだ。そしてそのような機運が高まってきた時に、私は人生における孤独の牢獄から解放されることになるのであろうと考えている。