龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

変節の新党

維新の会が、国政進出に向けて月内にも立ち上げる予定の新党なるものは非常に怪しい。腐った魚のようないやな臭いがする。何が政界再編を目指して第3極へ保守結集だ。そもそも自民党安倍氏へ参加要請をしているとのことだが(朝日新聞記事より)、安倍氏がそう簡単に自民党と縁が切れる訳がないではないか。ましてや9月の総裁選に出馬する可能性もあるとのことである。これが何を意味するかと言えば、常識的に考えれば、仮に安倍氏(あるいは安倍氏に代わる人物)が自民党を離党して、維新新党に参加したとしてもそれは出向のようなものである可能性が高い、ということだ。民主党からも新党の中核に民主党とのパイプ役として誰かが出向させられて、結果的に維新の会新党を民主・自民との3党連合による寄り合い世帯的な性格を強く持った政党に方向づけようと企図されているのではなかろうか。これは民主、自民の既得権益重視の政治を存続させるために、維新の会の独走を抑えて民主、自民との連携路線の中で政治の質を大きく変化させないようにするための根回し工作ではないかと考えられるものである。問題は、橋下氏自身がその方向に積極的に動いていることである。思えば1ヶ月ほど前に橋下氏が野田総理を絶賛する発言をした辺りから、風向きが変わったような、何かきな臭い気配が漂い始めていたように感じられるものである。橋下氏は、センターピンがどうのこうとと盛んに自説を展開させていたが、センターピンがどういう意味なのか定かにはわからないが、おそらくは政局的に右へ行くか左へ行くかの判断の岐路として道標のような意味合いで述べられていたのだと思われるが、これまでの野田総理の政治がセンターピンになると考えること自体が、個人的には橋下氏の国政に対する能力の限界を示しているように感じられたものである。誰がどう見ても野田総理が示す道標は、海洋に浮かんでいる錘のついていないブイのようなもので、その時々の潮流や風向きによって立ち位置というか浮き位置が大きくずれているものである。野田総理が消費税増税法案を成立させたことを、決めたことを着実に実行して政治を前進させているとして橋下氏は高く評価していたが、3年前の総選挙直前には野田氏はまったく反対のことを主張していたのである。そしてこれから、具体的にいつになるかはわからないが、“近いうち”にまた選挙が行われるのである。ということは今、浮かんでいるピンの位置も選挙後には、どこに流されているのかわからないということではないのか。そのようないい加減な浮標をセンターピンかテンピンか知らないが、基点に見立てているようでは、政治の大洋を航海している船は必ず難破して、沈没する運命にあると言えるであろう。本当は大阪都やそれに続く道州制の実現、また地方分権のための税制改革を目指すのであれば、橋下氏が主導する維新の会が国政の中でセンターピンにならなければならないのであって、現在の民主党自民党の政局の枠組みの中で、まるでジグソーパズルの欠片を当て嵌めるように権力の全体像を壊さないような新党を立ち上げようとしているのでは、いずれは必ず民主党自民党に手足を絡め取られることになるであろう。そもそも昨年11月の大阪市長選挙では民主党自民党も橋下氏を応援していなかったではないか。応援していなかっただけでなく、異常なことに共産党までが民主、自民に共闘して橋下氏が志向する改革を潰そうとしていたのである。それがたとえ地方選挙の結果、橋下氏の勝利として民意が示されたとしても国政は別の次元の話である。その程度のことは橋下氏は理解しているはずだが、穿った見方かも知れないが、この数カ月ほどの間に橋下氏は、既存の政治に対する対決姿勢において変節してしまったように(させられたように)思えてならない。変節の前兆は確かにあった。先ず大阪都構想のための法案が成立するのであれば、国政への進出は必ずしも必要でないとの発言があった。その辺りから橋下氏の迷いが見えていた。そしてその1~2カ月後に、それまでは公約違反の消費税増税を盛んに批判していたのが、手のひらを返したように野田総理を称賛する奇異な発言へと変化したのである。その1ヶ月後ぐらいに、週刊誌に過去の不倫が暴かれることとなった。そしてここに至って、一応、表面的には民主、自民とは対立の図式で報道されてはいるが、本当に対立するのかどうかよくわからないような、場合によっては民主、自民との連携の中で既存の権力構造を追認する政治になりかねない陣容の新党を立ち上げようとしている。これらの点をつなげると、一体どのようなストーリーが考えられるであろうか。私は水面下でかなりの圧力があったとしてもおかしくはないと思うのである。特に週刊誌のゴシップ記事についてであるが昨年の大阪市長選挙の時にも、出生のことや自殺した父親のことなどが暴かれて喧伝された。不倫記事の内容については橋下氏の自業自得だとも言えるが、私はどちらの記事についても当然のことではあるが政治的な背景というか、要請があって探り出されたネタだと考えている。このような記事内容は本人はともかく、橋下氏の家族にとっては相当に精神的にこたえると思われるのである。特に橋下氏には子供が6人か7人もいるというのに、そういう家族のことを考えると仮に橋下氏に変節があったとしても止むを得ないというか、同情の余地も大きいのであるが、いずれにしても背後で日本の権力構造を維持しようとする既得権益勢力の政治への働きかけ、圧力はかなり卑劣であるように想像されるものである。こういう政治のあまりの汚さに橋下氏はどこかの地点で怯み、そして屈してしまったのだと私は考えている。だからこそ橋下氏は自らは国政の場には立たない方がよいのだ。そして維新の会は、元から橋下氏が存在しなかったかのように、民主や自民との連携、保守の結集など考えることなく、黙々として怯まずに政治改革に邁進するべきだ。橋下氏はお疲れのようだから、一旦、御役御免でよいと思う。お疲れ様。