龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

日韓関係についての一分析

現在の日韓関係についてであるが、報道を見ていると日に日に緊迫の度合いがヒートアップしているように見えるのだが、そして実際にその通りであろうが、いつもながらの韓国の挑発行動に対して韓国側の事情ではなく、我が国がこれまでと同じような弱腰だけの事なかれ的な態度で済ませられなくなってきている状況の変化、内政状況というものを、しっかりと見据えなければ、事の本質は見えてこないであろう。先ず、第一にこれは言うまでもないことだが、選挙対策がある。消費税の嘘で国民の信用が限りなく0に近く落ち込んでいる状態を少しでも立て直すためには、国民感情が非常にセンシティブに反応する竹島の領土問題において、政府が挙国一致の対応を先導して見せることが必要な時期にあるということだ。しかし今回の場合は、単に選挙対策のパフォーマンスだけに留まる範疇の問題ではなくなってきているように見える。そういう様相というか気配がある。与党の民主党だけでなく、野党の自民党にとっても、いや日本の政治全体が、毅然とした態度などというようなあり来たりの表現で言い表される性質のものではなく、そうせざるを得ない地点に追い込まれているようにも見える。恐らくは日本の権力構造が深部から揺らぎつつあることによって、政治の世界に地殻変動が引き起こされているのであろう。つまりこれは民主党選挙対策上の問題であると同時に、より底流の動きにおいて見れば、日本の統治機構が根本的に危機に陥ってきていることから表出されている外交上の変化なのだと思われる。だから、一歩引いた視点で見れば政治だけの問題ではなく、マスコミとも連動している。たとえば、これまで竹島の問題では朝日新聞は、世論の沈静化という意味合い以上に、一方的に日本のナショナリズムを批判する論点でしか論評してこなかったが、今回の韓国大統領の竹島上陸や天皇陛下への謝罪要求などに関しては、世界市民的な寛容な態度から距離を取り始めているようにも見える。といっても、実は私はちらっとしか記事を見てないが大体はそのような感じだ。そういうことは、ちらっと見ればわかるものである。下手にじっくり読めば、洗脳されるだけである。また朝日がそうであれば、あとは推して知るべし、である。つまりわかりやすく言えば、政治もマスコミも日本の統治機構全体に余裕がなくなってきているのであろう。これまでは、腰ぬけと言われようが、土下座外交だと馬鹿にされようが、少なくとも対韓国で言えば日本にはまだ少なからずの余裕があった。国際的な経済競争力では追い上げられ、いくつかの輸出分野では完全に抜かれて後塵を拝する状態になり、オリンピックの金メダル数でも負けて、世界的な影響力や地位でも幾分見劣りするようなっていても国全体の総合力で見れば、明らかに日本の方が優っていた。それに何よりも日本は品位を保ち得ていたし、韓国は表面的には日本を挑発し、蔑視するような政治的な言動を取り続けていても、内実的には依存していた。通貨のスワップ協定でもそうだが、これまでの産業界の韓国への技術移転なども含めて国民の目に見え難いところでは、自立しきれていない子供が親に甘えつつも反抗するようなところは多分にあったと思う。だからこそ日本は過去の歴史も踏まえて、韓国の言動には、大人の国として何と批判されようとも冷静に鷹揚に構えることが出来たのだと思う。日韓友好の気運も明らかに日本が主導して作り上げようと努力してきた。ところがここに至って、日本の政治や経済の弱体化が対外的にではなく、国内的な統治機構の崩壊にまで浸食される事態となってきたので、内政問題を外交に転嫁せざるを得ないという点において、日本も韓国とさほどレベルの差がなくなってきているのだと思われる。しかし皮肉にも日本という国は、そのような国力の決定的な劣化の中でようやく、竹島問題では国際司法裁判所への提訴という本来、取るべき対応を取ることが出来る地点に進めたのだ。だから日本の今の状態は最悪ゆえに最悪から脱する領域に一歩足を踏み入れたとも見れるわけで、必ずしも戦前、戦中の危険なファシズム体制に逆戻りしているとは言えないであろうが、それでも政治や官僚、マスコミが底辺で一体となってその時代における支配者の論理で国民を牽引している点においては何も変わってはいないのだと思われる。ともかくも野田総理竹島問題を来るべき解散総選挙に向けて起死回生の一手にしようと目論んでいる。我々の国民感情は国家、国民のために権力を動かす原動力となるべきであって、決して権力者の自己保身のための道具として気安く提供されるようなことはあってはならない。