龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

日韓関係についての一分析 2

韓国が、野田総理の親書を返送する方針であるとのことで、日本政府は親書が返送されてきた場合の対抗手段を検討しているという。昨年の11月には野田総理訪韓して日韓スワップ協定における限度額を300億ドルから700億ドルに増額した。その内訳は400億ドル分の増額が外為特別会計を原資としているとのことである。消費税増税に政治生命を掛けてまで、その裏で野田総理は一体、何をやっていることなのやら。一体、誰のための増税なのか。またそこまで韓国に対してほとんど非常識とも言えるほどの友好的な経済協力をしておきながら、領土問題が原因であるとは言え、親書が送り返されようとしているのである。これはもう送り返す方も、送り返される方もどっちもどっちであるとしか言えないが、日本政府とすれば顔に泥を塗られるどころの話ではなく、糞を投げつけられるようなものである。こういう非礼行為はナショナリズム以前の民度、あるいは基本的な国民性の問題であるとしか言えない。但し日本の立場で言えば、敢えて返送された方が好都合であるとも言えよう。そもそも国際司法裁判所への提訴は、竹島問題における日本の立場を世界に向けてアピールすることが目的であったはずである。そうであれば、韓国が親書を日本に返送するという異例の行為によって、日本が世界中の同情を集めることは到底、期待できないであろうが、韓国がどのような品格の国であるかは歴然とすることになる。まあ、今の時期にこのようなことを述べれば、こういうことを言っている日本人がいると、誰か韓国政府の中枢に進言する者が出てきて親書の返送は中止になる可能性もあるであろうが。そもそも日本は、戦後一貫して韓国に対して誤った認識のもとで国家交流を展開させてきたように思われる。日本は北朝鮮という国に対しては政治もマスコミもこぞって、この世の悪の元凶のように口を揃えるのであるが、韓国に対しては何かしら無理にでも、少なくとも表面的には友好的に振舞わなければならないような脅迫観念に支配されているように思えてならない。そこには韓国も日本と同じように西側諸国体制の一員であるから話し合えば必ず分かり合えるという幻想が根底にあるのではなかろうか。確かに資本主義における金儲けの分野に限れば、北朝鮮のような共産主義国家よりは理解し合える余地は大きいであろうし、民間レベルでの協力も進展しやすいであろう。しかし国と国の付き合いは経済発展が全てではないのであって、民族性や民族意識といったものはお互いの違いとしてはっきり認識しておかないと、経済のためにナショナリズムが抑制されるとはならずに(日本の場合はそうなっているが)、むしろ先鋭化することにつながる危険性の方が高いと言えるであろう。韓国は言うまでもなく、日本が先の戦争での敗戦後、ソ連アメリカによって北緯38度線で分断されるまでは一つの国家だったのである。つまり長い歴史の中で、僅か2世代ぐらい遡れば現在の北朝鮮人も韓国人も同一の風土、思想に包まれて暮らしていたのであって、冷戦構造下において西側と東側に引き離されてはいても基本的なメンタリティーにおいては同種であると看做すほうが自然だと思われる。それを北朝鮮は徹底的に敵対視して、韓国には是が非でも友好的であろうとする極端な態度を日本の政治は取り続けてきたから、このようなおかしなことになるのであろう。近年の韓流ブームなどその最たるものである。北朝鮮が信用ならない非常識な国であるなら、当然、韓国も本性としてはそういう国なのである。それは必ずしも体制だけの違いではないということだ。その点を日本が、きちんと明確にすることをいつまで経ってもできない理由は、日本の政治が、何よりも精神的に冷戦構造から脱却することが出来ていないからだと思われる。今やアメリカは軍事的には中国やロシアと日本の基地において対峙するような地政学的な緊張関係は消滅していないとは言え、経済的にはGDP世界第2位の中国と密接になってきており、そこに韓国も交わって新たなアジア経済の枠組みが出来ようとしている時に、未だに日本は韓国とは西側同士だから仲良くしなければならないとか、北朝鮮には韓国、アメリカと連携して対応しなければならないとか、TPPはどのようなルールがアメリカから強制されるかわからないがとにかく参加しなければ世界の潮流から取り残されてしまう、などの外交姿勢は戦後の冷戦意識から日本の政治が1ミリともはみ出し得ていないことの必然的な結果であると見れる。だからこそ日本が戦後の独立を真に果たし得ていないゆえに、韓国から戦後67年経っても未だに従軍慰安婦の問題は解決していないなどと、まるで戦勝国気取りで日本の政治を敗戦国の状態に押し止めようとする圧力を掛け続けられることになるのだ。それでは何故、日本が戦後の冷戦構造から脱却できないのかと言えば、突き詰めれば憲法9条の問題に行き着くのだと考えられる。日本は品格を保って今こそ自主憲法の制定に向かう時なのである。どうして、そのような自明なことが多くの人には理解できないのであろうか。私には不思議でならないのだが。