龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

政権末期の韓国の動き

いつものパターンである。韓国は政権末期に近づくと、検察が動き始めて政治の不正や汚職の捜査という口実で、機能不全の袋小路に陥った政治の流れを、一旦、リセットしようとする動きが生じる。韓国の検察組織がそのような役割を担わなければならない理由は、文大統領が徴用工問題で主張するような三権分立であるとか、或いは検察が政治の上位に位置付けられているということではない。基本的に韓国の政治は民主主義というよりも一部の支配者層による専制政治である。そしてその専制政治の頂点に大統領が君臨している。つまり韓国は、民主主義的な大衆の民意によるコントロールが全く利かない政治体質なのである。支持率が何パーセントあるなどというような数字にはほとんど意味がない。北朝鮮で仮に政治への世論調査が実施された場合のことを考えれば、その理由はわかることであろう。文大統領が北朝鮮との統一を模索しているように、韓国は自由主義という様式の西側陣営に属してはいるが、本質的には専制社会主義とでもいうべき政治体質であって、北朝鮮とは血による民族性と同様の政治的親和性があるのだと考えられる。よって戦後の韓国は、と言うよりも日本の統治下から離れて独立を果たした以降の韓国の歩みは、かなり無理をして自由主義的な国家運営をしてきたのだと見られる。その背景には当然、アメリカの存在があって北朝鮮の核の脅威や軍事境界線を南下して侵攻してくる動きに、韓国だけでは抑止力を保つことができなかったからである。返還の話しはあるようだが、有事の際の軍事統制権は未だにアメリカが握っている。韓国は中国や北朝鮮のような社会主義体制との類似性や親和性と決別することなく、欧米の資本主義的価値観、軍事的な抑止力と双方に政治の足場を置いて、これまで国家運営をしてきたものである。それはまるでイソップ寓話に出てくる蝙蝠のような話しで、獣の前では自分は哺乳類であると主張し、鳥であることが有利である場面では鳥の仲間であることを強調するような国であると言える。しかしその生き方には当然、無理がある。なぜなら必然的にそのような都合のよい言い分を繰り返す国は、どちらの陣営からも信用されなくなっていくであろうし、国家運営そのものが綱渡り的で、国家としての根本的な土台や中心がいつまで経っても定まらないからである。韓国の政治が一貫して反日政治に依存し、反日だけではなく経済的な日本への依存体質からも離れられない要因はそういうところにあると考えられる。日本を批判し続けて、謝罪を要求する政治姿勢で国家としての脆弱性や道理性の無さを国内的に見えなくさせているものである。だから韓国は平然と嘘をついたり、約束を反故にするようなことを延々と繰り返しながら日本を敵視する政治手法から離れられないものである。朝日や毎日が主張するような、「対話」の問題ではないのだ。朝日新聞などは物事の本質を言葉の外面性でごまかしているだけのことである。ともかくも韓国のそのような蝙蝠的な、両義的ごまかし様式とでもいうべき国家運営は、反日や対日依存だけで永遠に持ち堪えられるものではなく、ついに臨界点を超えようとしているのだと考えられる。文大統領は、韓国の本性としての北朝鮮や中国への親和性を選び取らなければならないように歴史的な時間軸の中で命じられているようにも見える。それは蝙蝠であることを止めるということだ。GSOMIAの破棄はその現れであろう。側近の娘の不正入学など何の関係もない。裏口入学程度のことで韓国の検察が政権打倒につながるような動きを見せる訳がない。韓国の検察は、そのような政治の暴走に危機感を持っていて、歯止めを掛けようとしているのだと考えられる。文大統領が失脚すれば、政治の動きは一旦リセットされるので取り敢えずは現状の流れを中断させようと企図しているはずである。つまり韓国国内にも対立の構図は存在するということだ。GSOMIAの破棄は、即座にアメリカとの連携の必要性を否定するものではないであろうが、比重的に立ち位置の重心を中国や北朝鮮の方向に移したと言えるであろう。それと同時にアメリカの要請に逆らうことで、日本を間接的に牽制してホワイト国除外を取り消しさせる取引材料にしようと考えていることは明らかである。韓国の政治は常にそのように一つの選択や決定で多重のメリットを得ようとするので、無理が大きくて自転車操業的なのである。日本はそのような韓国の混乱に巻き込まれることなく、粛々と自国の政治を貫くことだけを考えるべきだ。朝日や毎日の論調は常に韓国の混乱に日本の政治を向き合わせることで、日本の主体性を喪失させることしか考えていないのであるから徹底して無視すべきである。