龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

日韓関係についての一分析 3

竹島問題における韓国の一連の無礼な対応を見ていると、韓国という国は北朝鮮とよく似ていることが再確認される思いだ。体制は違っていても、やはり血は争えないのである。どういうところが似ているかと言えば、相手国の足下を見て強気で自国の要求を押し通そうとする姿勢が、外交上の基盤となっていて部分的にあるいはその時々の状況に応じて自国のプラスになることがあれば、その点に限っては妥協したり、協力関係を築こうとする。交渉相手がアメリカやロシアのように国力に大きく差があれば対応は変わってくるであろうが、日本のように同等程度の国に対してはそういうことになるのだと思う。日本とは過去の35年間に及ぶ統治の歴史があるから、全体的な国民感情としても強硬路線にぶれざるを得ない要因はあるにしても、67年前の従軍慰安婦の問題を未だに未解決だと持ち出してくることなどを考えても、明らかに“未来志向”などの枕詞とは裏腹に外交上の戦略として未来永劫に亘って日本を敗戦国としての力学に押し止めようとしていることは明白である。日本のように国民感情も含めて経済や文化など全般的に日韓の友好関係を築き上げようと努力しても、韓国はそのムードを利用しようとするだけで、本気で日本と共存共栄を図ろうなどとは考えてはいない。または考えられない国である。なぜかと言えば、そういうお国柄なのである。お国柄というものはそう簡単に、いや絶対に変わるものではない。外交の基本は、相手国のお国柄に応じて変えていかなければならないものである。同じ西側諸国の資本主義体制だからと、良識のある国と同じような対応をしても心を通じ合わせられるものではないであろう。日本はこれまでにも様々な分野において韓国の社会資本整備のために無償、貸与を含めて多額の資金提供をしてきている。リーマンショック以降の通貨危機に際しては日韓通貨スワップ協定という形で法外とも言えるような経済協力を行なっている。国の経済協力とは言っても日本人が一生懸命働いて収めた税金である。それらに対して何ら感謝の意を表することもなく、今回のように無礼な外交態度を平然と取るような国は、人の道から外れているとしか言いようがない。日本はこの先、韓国との付き合い方を、距離感を出来る得る限り遠ざける方向において根本的に改めていくべきだ。無理をして上辺だけで仲良くしようとするからこのような事態を引き起こし、国が乱れるのである。そういう意味では明らかにこれまでの政治の責任だ。日韓関係性の実情に照らして、不自然な対応しか取られてこなかったから、めっきが剥がれるように対立の図式がより一層に鮮明となるのだ。健全で自然な関係とは対立を対立として、めっきのように覆い隠すのではなく事の中心に置いて明確に認識し、その認識の下でもっとも適切かつ有効な距離感と方法を模索することである。そういう意味では国家間の関係も個人の関係性と何ら変わるところがないと言えるであろう。一旦、夫婦の仲が険悪になれば、無理をして上辺だけでも仲良く振舞おうとしてもまったくの逆効果である。一旦、距離を置いて別居するなり離婚する以外に道はない。それでお互いがどうしても必要であることがわかれば、自然と復縁する方向に関係性は修復されるであろうし、必要性がなければ消滅するだけのことである。そういう意味では、今回の竹島問題における一部マスコミの報道姿勢には、日本外交の欠陥を露呈させている。正しく現実を直視しようとせずにイ・ミョンバク大統領個人の暴走として認識し、来年の2月には誕生しているところの新大統領に関係修復への淡い期待を持っている。新大統領が女性のパク・クネ氏になれば日本への強硬路線が少しは和らぐとでも考えているようにも見える。また“こんな事”でいつまでも大騒ぎしていても日韓双方にとって何もいいことはない、などと事なかれ主義の沈静報道に努めている。こんな事以外のどんな事なら大騒ぎするに相応しいと言うのだろうか。全ては日本の悪い癖で現実を糊塗しようとするから、現実に復讐されることになるのだ。外交問題では、国内に比べてその現実の復讐が早く実行されることになるだけの違いである。現実とは神の一側面である。