龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

韓国は社会主義国家である

音楽や映画、TVドラマなどの文化交流は日韓の関係改善に貢献するのであろうか。これまでは、日本にあってはそのような考えの下でたくさんの韓国の音楽、ドラマなどが日本に輸入され、一定のファン層が定着していると言われている。日本に住む在日の知識人などが、政治的な対立、摩擦があっても経済や文化の交流は促進すべきであり(と言ってもほとんど韓国から日本への一方通行的な輸出であり、日本の書籍や番組は長らく韓国への流入が禁止、制限されていたものであるが)、それによって外堀を埋めるように日韓の政治が宥和へと向かう環境が整備されていくなどという、実際のところは韓国政治に寄り添ったものでしかない主張をお人よしにも額面通りに受け取って、韓国文化やエンターテインメントの日本国内への普及に各方面から尽力されてきた経緯が見受けられる。そしてその結果がいかなるものかと言えば、今日の状況に見られるように、韓国の反日政治は弱まるどころか過激化する一方であり、レーダー照射問題などを見ても軍事的な衝突がいつ発生してもおかしくはないような一触即発のゾーンまで潜在的な危険性が高まっている。またこの10年間ぐらいの推移を見ても、韓国側は本心で日韓関係を改善しようという意図が全く窺うことができないものであるにも関わらず、建前の「未来志向」であるとか「前向きな努力」などのワードだけで、韓国経済を救済するための通貨スワップ協定を締結したり、既に解決済みであるはずの慰安婦問題に対して韓国が設立する財団に10億円もの金を拠出してきたものである。日本政府や経済界は一体、いつまでこのような交流を継続させるつもりなのであろうか。文化、娯楽の流入や経済取引の活性化で政治関係の軋轢が解消されるのであれば、何の苦労もないものである。日本は希望的観測に基づいて援助をしたり、受け入れをしているだけで考えが甘すぎるものである。その見込み違いの決定的な原因が何かと言えば、日本は一応は言論の自由が認められていて経済界であれ、文化の各分野からにおいても政府批判をすることが出来るが(タレントのローラが政治的な発言をしてバッシングに遭うというようなことはあるので欧米に比べればその自由度は低いということはあるにせよ)、韓国においては、たとえば歴史問題について日本側の主張に寄り添った見解の書籍を出版させたり、大学の教授や知識人が公の場で発言するようなことがあると投獄されるものである。言論の自由と言うものが非常に制限された程度においてしか存在しないものである。韓国の映画や音楽なども、政治から独立した民間の活動というよりも、国家主義的なイメージ向上戦略の下で推進されているものである。よって韓国の文化や娯楽とは、内実的には韓国の政治そのものなのであって、韓国政府が反日政治の手法を手放さない限り、民間レベルの交流拡大が政治的な対立、軋轢を解消に導くどころか反対に日本のお人よし的な甘さに付け込まれて、都合よく利用される結果にしかなっていないものである。日本と同じ民主主義の尺度と解釈で韓国を見てはいけない。韓国は民主主義国家というよりも本質的には北朝鮮と同じ社会主義体制の国なのである。全ては国家主義的な見地から政治と足並みを揃えるように経済や文化が統制されているものである。そういう社会主義の政治と成熟度の問題はあるにせよ民主主義の政治が対話しても噛み合うものではないし、文化的な交流促進も日本側の自分勝手な思い込みや幻想に囚われているだけでその効果も意義も有り得ないものである。軍事的な連携の必要性というものも韓国に日本に対する敵対意識から考えれば、危険なだけである。韓国は歴史問題ゆえに日本との軋轢が終息しないのではなくて、本質的には民主主義と社会主義の対立なのである。韓国はアメリカに対しても軍事的に依存しているだけのことで、政治の実質的な面から見れば北朝鮮や中国により近しいと見れるものである。アメリカは常に日本に対して韓国との連携を要請しているようであるが、アメリカが50年代から60年代に掛けて激しく吹き荒らせたレッドパージやその後のソ連との冷戦構造で世界全体を緊張化させてきた歴史を考えると、日本のような自由主義の国に本質的に社会主義の韓国と歴史問題の溝を克服して仲良くせよなどと命ずることは無茶であると同時にその資格もないのではなかろうか。曲がりなりにも日米同盟が存在するのであれば、日本はアメリカに日本の立場をきちんと説明して韓国との連携体制というものをリセットすべきである。そして日本の経済界も政治的な自由度の低い相手国との交流促進が、自国にもたらす弊害、危険性というものをよく考え直すべきだ。