龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

凋落の回転木馬

韓国の政治は、面子が第一である。日韓のスワップ協定再開についても韓国の財界は強く要望しているようであるが、反日政策に執着するパク・クネ大統領が延長の必要性なしとして今年の2月に終了させたものを、今更、日本に懇願と見なされる打診を表面的には憚っているようである。そのような思惑を日本の政府は当然、把握しているであろうから、「魚心に水心」で取り敢えずは年内に慰安婦問題を決着させるという名目で、急遽、外相を訪韓させ、外相会談の席上で韓国側がスワップ再開への言及をしやすいような雰囲気作りを意図しているように推察される。日本のマスコミもそのあたりの事情を勘案して、本来であれば報道先行(もちろん政府の意向を含んでのことである)で、外堀から埋めるような報道内容になるところが、「スワップ再開」のキーワードに触れることを意識的に避けているかの気配が感じられる。いつものパターンであるが、日本政府がそのような必要以上にへりくだった態度を韓国にとり続けるがゆえに、韓国政府は日本から見下されているように考え、面子、体面を守るために反日政策への依存体質からより一層に離れられなくなり、ひいては慰安婦問題の外交カードを未来永劫に亘って温存させなければならない原因となっているものである。日本の韓国に対する外交姿勢は、日本の政治がどのような目論見を抱いているかに関係なく、全ては基本的には逆効果であり裏目にしか出ない性質のものであると言える。また韓国人や韓国社会が日本を信用できないと考える理由も、そのようなずれや食い違いにあると考えられるものである。日本は韓国の内情や権力の性向をよく勘案して、それに相応しい対応を取らなければならない。関係改善に相応しい対応がないのであれば、積極的には関わらずに放置しておく以外に道はないものである。日本の政治は日韓の問題に関しては、何十年も同じことを繰り返してきているにも関わらず、まったく進歩の痕跡が見られない。その理由は日本の政治の無能ももちろんあるが、前回にも延べた通りに、韓国が反日政策に依存しているのと同じように、表面的には同じようには見え難いが、一定レベルの洞察を働かせば誰にも分かることであろうが、実は日本の政治も国内統治の巧妙、複雑なからくりとして本質的には韓国の反日政治に依存している体質があり、そこから脱却することが出来ないでいるということなのである。それがいわゆる戦後秩序というものの一つの表徴である。だからこそ遊園地の回転木馬のように同じ所を延々と堂々巡りするものである。その行路にこそ政治や政治と通じているマスコミの利権があるのであって、その行路を辿っている限りはアジアの安定があるという思想に大局的には支配されている。よって日本も韓国も、もちろん程度の差は大きいが政治の質はさほど変わりはないというか、本質的な部分では同じなのである。つまりは本物の民主主義からは程遠いもので、国民の利益を無視して権力や一部の権威にとってのみ都合のよい統治の型にすがりついているだけのことなのだ。しかしそのような永久運動であるかの回転木馬の周回は、確実に国の成長や財産を犠牲にして成り立っているものと見られる。韓国の政治は反日政策とロビイング活動ばかりであり、内実的にはほとんど独自の技術や経済力の蓄積が見られないものであった。そのしわ寄せで今や少数の韓国財閥企業も失墜し、経済やウオンの暴落が囁かれるに至っているものであり、結局、全ては韓国の悪政がもたらしたものであると言える。日本もまたそのような韓国の悪政に調子を合わせて長年、付き合い続けてきたせいで、引きずられるように経済力や国民生活の悪化の一途である。そしてまた、今この時に慰安婦問題の解決という建前のもとで日本はスワップ再開という誤った選択をなす危険性に晒されている。表面的なマスコミの論調にだまされてはならない。マスコミの言うことなど、一応は事実に即してはいるが、核心的な部分では嘘ばかりなのである。何が慰安婦基金か女性基金か知らないが、そんなことは以前からやっていることではないか。慰安婦問題をこれ以上蒸し返させないように明記させるなどというが、それでは日韓請求権協定の実質的な無効性を日本が認めることと同様ではないのか。もしそういう解釈が成り立つ余地があるとすれば、蒸し返させないどころか、むしろ請求権協定を日本が一旦白紙化させたものとして、今後永久に韓国に付け込ませる口実を与えているのと同じことなのである。日本を守るためには自民党にまかせていてはならない。自民党は本音のところでは国や国民のことなど何一つとして思い量ってはいない。多くの国民が正しい政治意識と認識力を持って声を上げなければ、この国は救われないのだ。