龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

スポーツと経済の社会学

今の日本の状況は20年前とは異なっていて、経済がスポーツの興行性の中身に介入する動因が強くなっているように考えられる。政治が指標を操作してどのような公表をしようとも、日本の現在の景気は良くはない。中小企業だけではなく大企業も売り上げを伸ばすことが困難になっている。そのような経済状況が何年も続いてくるとどのような社会学的力学が発生してくるかと言えば、大企業がスポンサーになっているスポーツの興行性の注目度や話題性を最大化させようとする動因が強くなってきて、時には露骨な内部圧力が掛かっているのではないかという動きが見られることだ。今回のサッカーロシアW杯で言えば、ベスト8どころか一次リーグで敗退するのはほぼ予想されたことであるので代表メンバーの選考に関して、勝つ確率を1%引き上げるよりも視聴率を1%上げようとする方向性のモチベーションが強くなる。本田選手や香川選手はTVCMにも出演していて一般的な国民レベルでの知名度も高いが、若手の久保選手や中島選手などはコアなサッカーファンでなければ知らない人が多い。Jリーグや海外リーグの試合とは違って4年に一度のワールドカップはオリンピックのような国民的な祭典としての性質が強いので、負けの可能性増加を折り込んででも知名度、人気の高い選手を起用させようとする構図が考えられる。注目を集める広告手法はW杯だけでなく、日ごろの親善試合などでも多用されているものである。たとえば日韓戦においては、政治的には常にクールダウンさせる論調が基調となっているのとは反対にやたらと「因縁の対決」「絶対に負けられない戦い」などというフレーズが何とかの一つ覚えのように連呼される。私などはもうそのキャッチコピーにアレルギー反応を起こしてしまってサッカー日韓戦への興味は以前に比べてかなり薄らいでしまっている。しかし一般的な大衆はそのような広告手法に対して麻痺してしまっていてあまり疑問も感じないのであろうと思われる。
サッカーだけでなく野球も同じである。今の日本の野球はドジャーズに渡った野茂以降であるが、超一流のスター選手はメジャーリーグに移籍してしまう。そうなると相対的に日本の国内野球に対する注目度、関心度が低くなってしまう傾向がある。今や王、長嶋の時代ではないのである。掛布や落合などは普段、野球を見ない人も名前と顔を常識のように知っていた。ところが今の日本ハムでサードを守っている選手は誰ですかと街中でインタビューすれば、ほとんどの人が答えられないのではないであろうか。実は私も知らない。しかし斎藤佑樹投手の名前と顔は誰もが知っている。だから一軍の力はなくとも注目度の高いセリーグとの交流戦に登板してくるのである。これは人気球団の巨人とて例外ではない。何年か前に高橋由伸監督が就任する時に渡辺オーナーの意向で江川氏を監督にしようとする動きがあって巨人内部に内紛が生じたことがあった。別に私は巨人ファンではないが、確かに江川氏の采配であれば誰でも見たいと思うであろうし、スポーツを勝負事としてではなく純粋に興行経営的な観点から見ればその判断は正しいと言えるであろう。しかしそこには商業主義偏向や堕落への芽が潜んでいることも事実である。果たしてプロ野球クライマックスシリーズが必要なのかということも同質の問題である。もっと言えば相撲の八百長も同じなのである。スポーツというものは経営サイドや管理運営を統括している協会から徐々に腐敗していくものである。それで今の日本サッカー協会もそういう堕落への曲がり角にさしかかっているような臭いが個人的には感じられ非常に危惧されるものである。せっかく日本のサッカーはW杯に常連として出場できるまでに強くなってきたのであるから、それに慢心しないようにしっかりとした理事長を選任して欲しいものである。