龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

本田選手の才能と個性について

本田選手がACミランで背番号10を付けて活躍していた時の動画を見たが凄いとしかいいようがない。スピードにしても身体の切れやドリブルでの突破力もまさに世界レベルである。フリーキックのボールの軌道や精度を見ていても芸術的な美しさが感じられるほどである。正直に言って、今の本田選手と同一人物とは思えなかった。顔付きからして違っているし、ドリブルのスピードや身体の向きを瞬時に反転させる俊敏性などに今と違いがあり過ぎるので、最初見た時には動画が早送りに加工されているのではないかと疑ったほどである。全盛時の本田選手が天才であることはよくわかった。ビックマウスが許される才能である。今回のワールドカップでの本田選手の選出や起用を擁護する人々は、このACミラン時代の本田選手のパフォーマンスが脳裏に鮮烈に焼き付いているのであろう。しかし悲しいかな全盛時の動画と見比べるとよくわかるが身体能力に衰えが目立ってきていることは否定できないものである。私の個人的な見解で言えば、プロサッカー選手の能力値を10段階で評価するとすれば全盛時と今では1どころか3ぐらいは低下しているように感じられる。しかし全盛期の威光があまりにも眩しいものであれば、西野さんのように日本の監督では選手時代の能力値の差に飲まれるように監督が選手を不必要にリスペクトしてしまって、シビアに勝つ確率を数パーセント引き上げるための選考や起用が難しくなるのではなかろうか。またそのためのハリルホジッチ前監督の解任と西野新監督への交代であったようにも思えるが、日本代表の監督はやはり外国人の方が適しているのではなかろうか。外国人の監督は過去の威光をリスペクトした選考をしたり、情実にとらわれた采配をしたりはしない。純粋に勝つことだけを考えている。そしてそれでよいのだと思う。西野監督は強運の持ち主なのかも知れないが、純粋に勝つ確率を引き上げるための采配をこのW杯で取れるかどうかは疑問である。本田選手も残された試合に出場するのであれば是非、得点を挙げる活躍をして欲しいと願うものである。しかし正直に言って、どうも本田選手のメンタリティーには理解できないところがある。自分が試合に出て、結果を残すことを第一に考えるモチベーションというかスイッチの入り方は、通常の海外または国内リーグの試合であればそれでよいと思う。サッカーだけでなく野球も同じだと思うが、たとえばプロ野球ペナントレースで自分は試合に出なくてもよいからチームが優勝すればよいなどと思うような選手は一人もいないであろう。しかしWBCで日本代表として戦う場が用意されれば、選手は個の結果を残すことよりもチームが勝つための雰囲気作りであるとか意識にスイッチの入り方が切り替わるものである。サッカーのW杯もまさにそのような祭典的な行事なのであって、ほとんどの代表選手はそのような気持ちで臨んでいるであろうし、見ている国民もそのような一致団結のまとまりを求めている。本田選手の持っているちょっと異質的な雰囲気が果たして才能によるものなのか、求道的にサッカーに取り組む哲学から来ているのか、私にはちょっとわからない。