龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

西野監督の力量について


スポーツ観戦に現を抜かしていると我々日本人が自らの生命を守るための世界の背後に蠢いている潮流なり動向を見る目が曇ったり、ピントがぼやけることになりかねない。またそういう風にして全体的に社会意識は統制されている。しかし、まあそれはそれである。わかってはいるけれど今の世の中では、目の前の大衆意識の波長にある程度は合わせていかなければ、現実的に生きていけないことも避け難い事実である。ということでまたサッカーの話しである。
日本がコロンビアに勝った。率直な感想であるが、西野監督という人は今流に言えば、何かを「持っている」というのか運の強い人間なんだなということである。マイアミの奇跡もそうだが、本番で実力以上のものを呼び込む、或いは発揮させる何かを持っているように思える。先ず、世界的に見ても得点能力の高い主力選手のMFハメスが怪我で欠場となる。これだけでも信じれない強運であるが、前半開始僅か6分で、コロンビアのカルロスサンチェスがペナルティーエリア内でのハンドにより退場となる。ここまでくると強運という以上に神がかっていると言えるようなものすら感じられた。この一試合だけで私の目には西野監督の勝負師としてのパワーを垣間見たような気がした。結局、勝負事は時の運である。西野監督には勝利の女神を自らの方に振り向かせる天性の資質なり魅力を持っているのかも知れない。
しかしである。それはそれで認めるが、強運とか奇跡というものは、神風と同じで突発的な突風である。継続していつも都合よく吹き続けてくれるものではない。コロンビア戦でも明らかに実力は相手の方が上であった。PKで香川が一点を取った以降は守りに入ってしまって、怒涛のように攻め込まれ同点に追いつかれてしまった。後半はさすがに一人退場の数的劣勢の疲労が出てきたために、日本のボール支配率が高くなり、大迫選手の決勝弾が生まれることになったが、同じ人数で90分戦っていては勝利どころか引き分けで終えることすら難しかったのではなかろうか。今回のコロンビア戦の勝利は西野監督の類まれなる強運とともに、得点には絡んでいないが乾や、原口、長友が90分フルに走り回って攻撃と守備に貢献した結果である。香川の途中交代は動きが悪くなったからではなくて、西野監督は元々どこかの時点で本田に交代させようと決めていたのではないかと私には見えた。本田は、流行りの本田叩きをするつもりはないが、コーナーキックで得点アシストを果たしたとはいえ体力は消耗していないのにパスミスで決定的なピンチを招いたりもしていたので私の目には今後の不安材料である。おそらくは本田の得点アシストも今回の試合に限って言えば西野監督の強運と無関係ではないという以上にそこから生み出されたものであろう。しかし次のセネガル戦で本田を先発させる決断をするとすればどうなのだろうか。西野監督には情実に流される非情になり切れない弱さを合わせ持っているように見える。コロンビア戦では西野監督の良い面が出たのであろう。強運も実力の内である。しかし運に頼っていれば必ず負ける。一次リーグの残り二戦において西野監督の運ではない本当の真価が試されるであろう。