龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

短編『不動明王』1


私は妻や息子と別居生活を送っている。別居に至った経緯については世間並みにいろいろと事情はあるの

だが具体的には書きたくない。書いて書けないことはないと思うが、限度を越えて“げっそり”するのが

わかっているからだ。たとえ書くということに何がしかの意味があるのだとしても、『死の棘』(作家、

島尾敏雄私小説)のような世界は考えただけで“うんざり”してしまう。そして私という人間は、誰か

ををうんざりさせてしまうことを自分自身がうんざりすること以上に厭わしく思うのだ・・・全ての男たち

がそうであるように。ただし付随を書きたいと思う。特別なところなど何一つなくて、ありふれて退屈で

どこにでもあるような家庭問題を抱えた私の日常生活についての付随的な話しを。

私と妻は、双方とも弁護士をつけて闘っている。とは、いっても一体何のために闘っているのか、もっと

いえば本当は闘っているといえるのかどうかすら疑わしい。結論からいえば、私も妻も離婚を望んではい

ない。愛情はない。愛情はないが私は6歳の息子と別れられないし、妻は収入がまったくなく働く気もな

いので自分から離婚を言い出すことができないでいる。しかし別居しているとなれば私の婚姻費用分担責

任は限定されたものとなる。現在妻子が居住しているマンションのローン代、管理費や子供の教育費は全

て私の銀行口座からの引き落としであるがそれらの合計額は、私の年収ベースから換算した本来負担すべ

き婚姻費用の負担金額を超えている。しかし妻は無収入であるので現金がなければ生活できない。私とす

れば子供のことが当然心配であるので、毎月生活費としていくばくかの金を送金することになる。全部合

算すれば別居以降に私が負担し続けてきた金額は法的な基準の倍にもなるのだ。しかしある時期から妻に

マンションの鍵を付け替えられてしまい子供とも自由に会えなくさせられてしまった。よって止むを得ず

金のことや子供との面接が弁護士管理のもとで行われることとなった。弁護士は私が金を出し過ぎている

という。確かに私もそう思う。だから月々に送金する金額を減額する。すると妻は弁護士を通さずに私に

直接メールで「生活できない」と文句をいってくる。そして何だかんだと理由をつけて子供とも会わせな

いようにする。そういうことで私は精神的に参ってしまうのだ。妻が収入もなく離婚する気もないのにど

うしてそこまで強硬な態度を取るのかと訝る向きもあるかと思う。そこには別の重大な背景となる問題が

ある。妻のある親族がなした行為が原因で私の実家の人間との間で民事裁判を争っていたのだ。常識的に

考えれば妻の親族に非があるのは明らかなのだが、家としてのメンツがあるのか絶対に認めようとはしな

いし反省もない。仕方なく裁判で訴えると、その妻の親族は妻と一緒になって私や私の親族を反対に訴え

てきた。こうなるともう泥沼である。泥沼ではあるが妻側にすれば、非常に有効というかある意味賢いや

り方なのである。これは裁判というものを一度でも経験したことがある人にはわかるであろうし、経験し

たことがない人はわからないかも知れない。訴えられる理由もないのに訴えられる訳がない、というのは

裁判を知らない人の考えである。その気になればどんなつまらない理由や、でっちあげでも誰かを訴える

ことは可能なのだ。訴える権利は常に万人に保障されているのである。もちろん認められるかどうかは別

問題である。しかし両サイドが互いに原告、被告となってやりあうとなればそれらは別々の事件であって

も同時進行で審理されることになる。そしてそれが親族間のトラブルということであれば公権力は基本的

には白黒はっきりと勝敗をつけたがらない。特に私のケースのように相手側が妻を前面に押し出してき

て、問題を夫婦間の対立の構図に摩り替えてしまうと男はどうしても不利だ。こちらの訴えがいかに正当

であっても相手の無茶苦茶なでっち上げの訴えで、刺し違えというか痛み分けに簡単に持ち込まれてしま

うのである。もちろん証拠能力次第ということも出来る。しかし決定的な証拠が不足していても通常であ

れば十分に認められるような事件が、相手側の反訴によって相殺されてしまうのである。訴訟戦術の問題

ともいえるが民事裁判なんて所詮この程度のものなのである。はっきり言って馬鹿げているのだ。私が裁

判を通して得たものといえば一言で表せば、まあ社会勉強だ。弁護士一人を見つけて受任してもらうのも

大変なのである。引き受けてもらっても金さえ払えば任しておいて大丈夫というわけにはいかない。弁護

士との間に基本的な信頼関係、人間関係を築いていかなければならない。これがそう簡単なことではない

のだ。弁護士はクライアントの言うことを最初から全て信用してくれるわけではない。心のどこかで疑っ

ているのだ。また、こちらが一生懸命説明しても全然聞いていなかったり書面にまとめて送付してもろく

に読んでいなかったりということは茶飯事である。あと当然金の問題もある。弁護士という職業はサービ

ス業であり、金を生むための生産手段は知識と経験だけである。誰かに任せるということもできない。当

然、稼ぎは時間に制約されるから単価の高い仕事に流れていってしまう。ただしそれぞれ得意分野がある

ので単価の低い仕事を主にしている弁護士は、やたらとたくさんの事件を抱えていたりする。私の弁護士

がそうであった。だから準備書面から答弁書、反論書など私は全部自分で書いた。弁護士は適当に削除し

ていただけである。でもそれはそれで私自身、大変に勉強になったのも事実である。結局、裁判の方は両

者却下という結果に終わってしまったが。しかし今の弁護士とはもう2年以上の付き合いで私のことを信

用してくれて、忙しい合間を縫って現在夫婦間の代理交渉をしてくれているので大変に助かっているし、

感謝もしている。・・・・・・ここまで書くだけでもかなりげっそりしてしまったが、まあそういう事情なの

だ。