龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

中原中也の詩について


中原中也の詩について感ずるところを述べたい。


夏の日の歌


青い空は動かない、

雲片(ぎれ)一つあるでない。

夏の真昼の静かには

タールの光も清くなる。


夏の空には何かがある、

いぢらせく思はせる何かがある、

焦げて図太い向日葵(ひまわり)が

田舎の駅には咲いている。


上手に子供を育てゆく、

母親に似て汽車の汽笛は鳴る。

山の近くを走る時。


山の近くを走りながら、

母親に似て汽車の汽笛は鳴る。

夏の真昼の暑い時。


中原中也詩集 大岡昇平編  岩波文庫



田舎で生まれ育ったわけでも走る汽車を見たこともないのに、この詩を読んでこみ上げてくる懐かしさは

一体なんであろうか。いい詩は読む者の魂を飛翔させ見たこともない土地へ、別の時代へと連れていって

くれる。確かに私は今、鄙びた地方の駅で雲ひとつない青空の下、真夏の光に焦げる向日葵と汽笛を鳴ら

しながら山の近くを走り過ぎる汽車を眺めている。そしてとても平和な気持ちになっている。それにして

も汽車の汽笛が鳴るのを母親が子供を上手に育てるようだと表現する中也の感受性にはやはりちょっとか

なわないものを感じる。別に中也に張り合おうという気もないが。中也は天才だ。天才の言葉はおそらく

は本人も意識せずに、言葉そのものが独立した意志をもって別の次元の扉をノックしている。そして確か

にあるはずのもう一つの現実を一瞬、垣間見せてくれる。その刹那、私は自分と言う存在が思いもよらぬ

方向から光を照射されて浮遊感と微かな眩暈を伴ったような感動に打たれて言葉を失う。三島由紀夫の表

現にも色濃くそのような傾向が表れている。計算したり狙ってできないものがそこにはある。そして天才

たちはみな、どこか懐かしいものを持っている。