月の光
それにしても幼子が亡くなることほど、この世で悲しいことがあるだろうか。
某ブログで3歳の男の子が小児癌との闘病生活の末、ついに力尽き天国へ旅立ってしまったことで私はこ
の3日間ほど、とても落ち込んでしまった。神の奇跡を信じ、ひそかに祈っていたからだ。神は私の願い
を聞き届けてくれるかも知れないという驕りがあったからだ。彼が亡くなる何日か前に布団に横になって
いると、ふいに自分が闘病生活をしているその3歳の男の子になったような感覚を味わった。口や鼻に呼
吸器をつけられて辺りを不安そうに見ている。目を瞑るのが怖い、そう思った瞬間に可哀想で涙が出そう
になった。ある朝、起きて掛け布団の隅からでているひもの束を引っ張ると、ぶちっと千切れて一瞬いや
な予感がした。次の日、ブログに訃報が出された。本当に心よりご冥福を祈りたい。
りゅうくん、よく頑張ったね。こんなところからの言葉で申し訳ないけれど、助けてあげられなくてごめ
んね。たくさんのお友達たちを守ってあげてね。
私は今、一篇の詩を想う。中原中也の『月の光』だ。中也が溺愛していた長男の文也はわずか2歳の時に
病気で亡くなってしまう。そして歌う。
月の光が照っていた
月の光が照っていた
お庭の隅の草叢に
隠れているのは死んだ児だ
中也は幻覚を見たのであろうか。その後、悲しみのあまり精神を病み療養所へ入った後一旦は回復するが
文也の後を追うようにして30歳にして没する。
世の中には2歳や3歳で亡くなる子供たちがいる。
30歳で夭折する詩人がいる。
夭折願望がありながら、その機会が得られずに45歳で割腹自殺を遂げる天才がいる。
私はもう43歳だ。残された時間で何が出来るのだろうか。中原中也や宮沢賢治、織田作之助のようにい
い男ほど早く死んでゆくのだなと思うと世の中に対して申し訳ないような気持ちになる。しかし私は三島
や太宰のように自殺はしない。死は恐ろしくないが、私の美意識に合わないからだ。生きようとして死ん
でゆく者があるならば、私はむしろ生きている死者になりたい。死者の目で世界を見て、死者の言葉で詩
を紡ぐのだ。そして生者どもを脅かすのだ。美が備われば尚一層よい。正しさは後付けの証明に過ぎない
が、美しいものだけが世界を変えていくことが出来る。私は美しいものになることができるだろうか。
ああ、私の頭上にも月の光が照っている。