龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

『裁判官が日本を滅ぼす』1-1

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この本を読むことは、現代の日本社会で生活する者全てにとって非常に意義深いと思われる。私自身、民

事裁判を体験して裁判官の判決というものがいかにいい加減なものであるのかということが身に沁みてわ

かったのだが、この本はそのいい加減さの背景にあるものを様々な事件の判決を通じて明快に説明してく

れる。歪みの内部にあって歪みの度合いを知るということは難しいものである。なぜなら尺度そのものが

内部で歪んでしまっているからである。今日の日本社会が腐っているのと同じように裁判官が腐ってい

る。作者、門田隆将氏は司法独立のあるべき姿が死に体となり日本の民主主義そのものの根幹が崩れてい

っている現実に警鐘を打っている。私流に言えばこの国には外部がなくなっているのだ。全て行儀よく内

面化され、織り込まれ、疑うことすら許されなくなっている。これは明らかに、迫りくる新たなファシズ

ムの兆候であるといえる。よって『裁判官が日本を滅ぼす』というタイトルは決して大げさなものではな

い。この本の内容は果敢にタブーに挑んだものであって外部に立とうとする精神から生まれたものであ

る。それだけで何にも変えがたいほどの価値があり、感謝の気持ちすら湧いてくる一冊であった。作者の

主張は社会全体にとって、捨て置くにはあまりに重要なものが含まれているように感じられる。よって私

はこの本で取り上げられている事件とその判決のいくつかを何回かに分けて紹介しながら自分なりの論評

を加えるという作業に挑戦したい。

『裁判官が日本を滅ぼす』新潮文庫 門田隆将


第二章 「痴漢はあったのか、なかったのか」―同じ証拠で逆の結論


この事件の裁判については新聞記事で報道されていたのを目にしたことがあったので私は微かに覚えてい

た。2000年2月23日、荒川警察署に一人の青年が逮捕され連行されていた。被疑事実は痴漢であ

る。仮名、大川純夫(27)は、この日の朝6時15分、上野行通勤快速電車にJR常磐線赤塚駅から乗

り込んだ。当日はアルバイト先の休日であり、朝早く目が覚めた大川は秋葉原に行ってパソコンを見よう

としたらしい。午前8時、電車が日暮里駅に到着した時に一人の小柄な女子高生(高校一年生)が大川の

右袖をつかみながら、

「痴漢です。この人痴漢です!」と叫んだ。

間もなく駅員が駆けつけ大川は駅長事務室に連れていかれる。40分後、大川は駆けつけた荒川警察署員

に引き渡され、容疑否認のまま有無を言わせずに逮捕される。荒川署の取調室で頑強に容疑を否認する大

川に対して、取調官は

「おまえ、罰金を払って出て行った方がいいぞ。」

「わずか3万円だ。どうってことないだろう」

と囁く。実際、罰金を払って出た方が得だと考える人は少なくないようであるが、大企業の幹部でも公務

員でもなく失うものが少ない大川は

「やってないものをなんでやったことにしなきゃいけないんですか」

と言って頑として認めずに留置場に勾留されることになる。3月17日、23日間の勾留ののち大川は容

疑否認のまま起訴され、大分県実家の母親が保釈金120万円支払って保釈される。その後、5月8日に

大川の刑事裁判が東京簡易裁判所で始まり、初公判の罪状認否で大川は無罪を主張し検察、弁護側が被疑

事実をめぐって真っ向から争う激しい闘いとなった。第二回公判で被害者の女子高生が出廷することにな

るが、証人席に立った女子高生は検察側の主尋問にすらまともに答えられない。沈黙や、「わかりませ

ん」が続くばかりで一向に痴漢行為の詳細がわからない。すると検察は、彼女がきちんと法廷で証言でき

ないのは、引っ込み思案な性格に起因していることを証明するために女子高生の中学・高校の「指導要

録」まで出してくる。そこには検察の思惑通り

<過緊張傾向の心理特性を有しており自己主張を明確に行う点に課題を残す>

<消極的、受身的で口数少なく、声も小さく、意思表示が明確にできにくい>

などの文言が記されていた。しかし、同時に

<(彼女は)一年生の通学時に痴漢を五回も捕まえている。その痴漢問題はいまだに解決していない>

という意外な内容の記述もあったのだ。大川の弁護士は仰天し次回の公判に女子高生の母親が出廷するこ

ととなる。しかし女子高生の母親はしどろもどろになってまともに答えられない。形勢不利になってきた

検察側は再度、女子高生の尋問を裁判長に要求し実現する。しかしその場で驚くべき事実が明らかにな

る。女子高生は彼女が一年間に五回も捕まえた全ての痴漢犯人たちから、その後示談にして金をもらって

いたのである。金額は多い時で七十万円、少ない時で二十万円ということであった。それがなんと大川が

逮捕された前日と翌日にも痴漢に遭遇して捕まえているのである。未成年の女子高生の代わりに示談交渉

を行なっていたはずの母親はその事実を法廷で一切言わずに隠蔽していた。また女子高生の証言の矛盾も

徐々に明らかになってくる。2001年4月12日裁判は結審を迎え、その場で大川は何時間も取調べを

受け二十日あまりにわたって勾留された精神的苦痛、家族に多大な心配をかけてしまったことなどを涙な

がらに陳述する。そして最後に

「私は被害者です。加害者は私のことを犯人だと言っている女の子です。」

と叫ぶ。

2001年5月21日、事件から四百五十二日目に大川は晴れて無罪を勝ち取る。検察は控訴を断念し大

川の無罪は確定する。しかしそれを受けて、今度は大川が女子高生と両親を相手に起こした損害賠償訴訟

で「痴漢はあった」というまったく逆の判決が出てしまうこととなる。東京地裁民事第四十八部に舞台を

移した民事裁判で、須藤典明裁判長が女子高生の言い分を全面的に認め

<五回も痴漢被害に遇っているのだから、今回も遇ったとするのが正しい>

という正反対の判断を示す。民事裁判において提出された証拠文書では女子高生は、一年八ヶ月の間の痴

漢被害によって計百九十万円を得ていたことが判明する。しかし須藤裁判長はそれらの事実に一顧だにせ

ずに、大川が休暇の日になぜそんなに朝早く家を出たのか、電車のなかで手袋を脱いでいたのはなぜか、

あるいは座席に座っていたのに気分が悪くなって一度外に出たのはおかしいなどの枝葉末節にこだわった

質問を口頭弁論の過程で大川に対しておこなう。その一方で須藤裁判長は、女子高生の証言には無条件に

全幅の信頼を寄せる。痴漢被害常習を理由に、狂言だと主張する大川側に対してもそれらの示談は、全て

の加害者に代理人として弁護士がついていて示談をしてほしいという申し入れがあってそれに応じたもの

であること、相手方から申し出のあった金額をそのまま受け入れているものであること、本件以外に彼女

が痴漢の被害にあったというのは、すべて事実であると認めざるをえないところ本件だけが虚偽だという

特段の理由は見いだせないからこれらの事実は、痴漢の被害を受けたという供述を否定するものとしてで

はなく、むしろその信用性を高めるものとして理解することができる、としている。結局、大川は民事訴

訟においては負けてしまうのである。以上が大体の概略である。