龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

社会から線路への逃走

痴漢を疑われて、或いは本当にやっていたのかも知れないが、男が線路内に逃走し、列車にはねられて死亡するという事故について思うところが大きい。女性が電車内で痴漢被害の声を上げれば、その瞬間に犯罪事実が確定して、即座に駅員や警察に引き渡して拘束する事案とする現行のやり方に、本当に問題はないのであろうか。現行犯逮捕とはそういうものかも知れないが、殴る、蹴るの暴力行為が駅や電車内で行われれば、多数の人間が目撃しているであろうから、言い逃れができないものであるが、痴漢は当事者にしかわからないものである。いや当事者である女性ですら厳密に言えば、勘違いしていたり相手の特定を間違っている可能性が0ではないということは、非常に重要である。それが女性の声だけで犯行が確定してしまうのであれば、容疑者の男は、ある意味では命を掛けてでも逃げて当然である。本当に痴漢をしている男も逃げる必然性はあるが、本質的に重要なことは、真正の痴漢犯人が逃げることと冤罪の男が逃げることの必然性に何ら違いはないということである。つまり逃げたから犯人であると断定出来ないということだ。逃げろと言ったり、死者が出れば逃げるなと言ったり調子が良すぎるんだよ。論説で遊んでもらっては困るんだけどな。スマートに名刺を置いて、立ち去れるほど甘い状況ではないことぐらい、子供でもわかると思うのだが。こういう状況がいつまでも放置されていてよいものであろうか。
次に駅内で、容疑者の男が、被害を訴える女性に下車させられて駅員に通報され、男が「俺はやっていない、間違いだ」などと声を荒げて騒いでいる時に、駅員以外の人間は恐らくは誰も、遠巻きに眺めているだけであったのだろうと思う。所詮は他人のトラブルなのだから、捕り物劇として見ている分には面白くても、個人的には関わりたくないと考えるであろうし、それは基本的には私も同じである。しかし今の日本人は他人のトラブルに無関心すぎるというか、冷淡であるようにも感じられる。同じ時刻の、同じ車両に乗っていれば、一歩間違えれば、自分が痴漢に間違えられていた可能性だってある訳だから、潜在的には決して他人事ではないはずである。いざ自分のこととなれば、首を絞められた鶏のようにばたばたとヒステリックに騒ぎたてるのに、他人のことであればまるでドラマを見るように高みの見物をきめこむというのもどうなのだろうか。特に社会規範の在り方とか、社会意識に深く関連する弁護士などの法律関係者や新聞社などの人種にその傾向が顕著で、社会を論ずる時と自分自身が裁かれたり、窮地に陥った時には、手のひらを返すように、主義や主張を変えたりするものである。結局は自分さえよければ、そして人目に立派に見えていればそれでよいのであろうか。そういう人間を偽善者というのである。それではもし私がそのような現場に居合わせていればどうするかと言えば、痴漢を訴える女性に対してこのように言うであろう。いや実際にそう言えるかどうかは、その場になってみなければわからないが、言い訳する訳ではないが、少なくともこのように言いたい気持ちは強くあるし、その気持ちに嘘はない。
「ちょっと、ちょっと落ち着いて、冷静になってよく考えてくださいね。見知らぬ男に、いきなり触られて不愉快になる気持ちは、男である私にもよくわかるつもりです。でも本当に貴方が言う通りに、犯人がこの男であることに、そして偶然ではない痴漢行為があったということに一点の曇りもなく100%真実であると言い切る自信はあるのですか。もしそうであれば、第三者の私がお節介にも意見する筋合いはない訳ですから、これ以上口をはさむつもりはありません。警察に突き出すなり、被害届を提出するなり、多額の示談金をもらって許してやればよいのです。しかし、そうではなくて10に1でも、或いは100に1でも間違っている可能性が否定できないのであれば、一人の人間のそしてその家族も含めた人生がかかっているのですから、今の不快感と怒りの感情のままに突き進むのではなく、よく考え直していただきたいのです。そうであれば貴方が憎むべき相手は、疑惑度が90%か99%のこの男ではないはずですよ。そうではなくて痴漢行為が一定の割合で不可避的に生じるような状況を放置して、そのような環境下で日々、営利行為を行って莫大な利益を上げているこの鉄道会社ではないのですか。ごくわずかでも冤罪の可能性があるのであれば、あなたが痴漢にあったと感じる不快感と憤りも、この男が痴漢犯人にならなければ世の中が丸く収まらないという悲劇の構造も、それらの双方の責任が鉄道会社にあるとみなすべきなのです。よって貴方と男は、対立するどころか協力し合って一緒に鉄道会社を訴えるべきなのです。騙されてはならないのです。我々の市民生活の中には様々な迷惑行為というものがあって、痴漢もその中の一つであり、確かに許しがたいものではあるのですが、もう一つ別の生活感覚を離れた次元の意識で見れば、日本の政治は、そして日本の政治と一体化している公共性の高い鉄道などの事業体は、統治手法の道具として痴漢などの微罪を必要としているのです。まあ言ってみれば、ここに確かに日本の道徳と秩序が保たれていますという看板みたいなもので、冤罪はそのための社会的コストなのでしょうね。そういう意味では貴方も、痴漢を疑われているあの男も、このような一見、偶発的に見える事件の騒動を通して、日本と言う国家に仕えているのです。利用されているとも言えるでしょう。おわかりですか。このような大きな政治的背景がわかってくれば、あなたが今感じている内面の不快感と怒りの質も少しは変化してくるのではないでしょうか。そしてその小さな覚醒が、社会変革とユートピアへの第一歩となるはずなのです。」
さて、どうなのだろうか。本当にこのようなことを現場で言ってしまえば、私なら言いかねないが、女性の反応はその時の状況とその人の性格にもよるであろうが、まず言うまでもなく駅長などは強固に私のような人間を排除しようとするであろうし、警察も適当な理由を付けて、たとえば公務執行妨害とかで痴漢とは何の関係もない私まで逮捕する事態になるのではないかと想像する。まあ一口で言ってしまえば、日本とはそういう国なんだな。しかし線路内に逃げ込んで、電車に轢かれるような死に方だけはしたくないものだな。