龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

真実と揺れる世界

政治のやばい話をしていると、それ以上はやめろと言わんばかりに地震が揺るので、今回は別の話しをする。強姦致傷容疑で捕まっていた俳優が、示談で不起訴になった。先ずどうでもよいことだが、釈放されて待ち構えている報道陣に向けて、あのような大仰で芝居がかっていて、喧嘩を売っているようにも見える謝罪をすることはよくない。というよりも何で報道陣に謝らなければならないのか。被害者に謝罪して、示談が成立して、告訴を取り下げてもらったのであれば、社会的な制裁も充分に受けているのであるから、しらっとして黙っていればよいのである。それ以上のことはマスコミへのサービスに過ぎない。しかしマスコミは何も国民を代表して謝られるほどに偉い訳ではないし、裁判官でもあるまいに。むしろどちらかというと害悪である。それはともかく、「不起訴」というものは、「無実」を含んではいるが必ずしも無実という訳ではない。証拠が不十分であったり、今回のように容疑者が犯行を認めていても、前科がなく悔悛の情が認められ、示談が成立しているなどの条件が整えば不起訴になる可能性はある。よって不起訴に持ち込めるかどうかが、担当弁護士の腕の見せ所ということになるのであろう。多くの人が感じている通りに、このように人生を大きく左右させるようなトラブルであるとか事件の当事者になったときにモノを言うのは、やはり「金」なのである。強姦とかとなるとちょっと万人向けではないが、たとえば魔が差して痴漢をしてしまったり、実際にはしていなくても痴漢の疑いを掛けられて拘束されてしまったような時には、弁護士に動いてもらわなければどうにもならない。現実問題として冤罪であるかどうとかは関係ない。満員電車に乗っていて、男性の身体が女性の身体と密着せざるを得ないような状況で、袖振り合うも多生の縁というぐらいだから女性の胸や尻に触れてしまうことも前世の因縁かも知れないが、一旦、痴漢として突き出されてしまえば何をどのように弁解しても同じである。仮に本当に無実であったとしても、裁判で争うなどとなれば、社会的な評価であるとか膨大な時間であるとか弁護士費用など失うものがあまりにも大き過ぎて、それで人生がジ・エンドになってしまうであろう。よって無実であっても(実際にやっていれば尚更のことであるが)、金で解決せざるを得ないのである。私が当事者であってもそうするであろう。弁護士に動いてもらって示談に持ち込み、告訴を取り下げてもらうのだ。その解決方法が正しいかどうかを問う以前に、世の中がそういうシステムになっているのだから仕方がないではないか。弁護士に金を払って、被害者には示談金を受け取ってもらって、管轄の警察や裁判所は告訴取り下げで、つまらない裁判に掛かる手間やコストが省けて内心は喜ぶであろうし、世の中はそういう風に回っているのである。その上で「不起訴」を勝ち得ることに成功すれば、はっきりと断定はできなくとも実のところは、「無実」の可能性があったと言えないこともない。なぜならそのために支払われている「金」なのだから、ある意味においては当然である。弁護士は忠実に被疑者の立場に立って、被疑者の利益と名誉のために仕事をしているのだから、不起訴処分決定の後に冤罪の可能性を匂わせるコメントを発することもあるであろう。今回の何とかと言う俳優のケースがまさにそうである。弁護士は合意があると思った上での行為であった可能性があるとのコメントをしているが、まあ加害者側がどのように思い込もうと勝手ではあるが、仮にそれに対して被害者女性が激しい憤りを感じて、示談を取り消すとか、再告発することが通用するかと言えば、私は難しいと思う。なぜかと言えば、先ず一旦受け取った示談金を返すと言っても相手側が受け取りを拒否するであろうし、それ以上に警察がつむじを曲げることになるであろうからだ。
「あんた一旦、相手側と示談を成立させて告訴を取り下げているやないか。何で今ごろになってまたそんなことを言い出すねん。警察も忙しいんやで。あんたの事件にばかり関わってられへんねん。」
と大阪の警察であればそういう風に言うに違いない。それに対して被害者女性が、示談成立後に反省が感じられないようなことを公表されたので気が変ったと主張しても
「相手の弁護士は、その可能性があるというだけで、必ずそうやと言っている訳ではないやろ。弁護士が依頼人の立場で話しをするのは当たり前のことやないか。」
ということになって、たとえ無理をして強引に再告訴を警察に認めさせても、警察だけでなく裁判所の被害者に対する心証が悪くなることは避けられないと推測される。要はそういうことも全て含めた上での示談であり、またそのための「金」なのである。もちろん決して金が全てではないし、たとえ不起訴になっても今回の俳優が人生で失うものは計り知れないが、まあ法の手続きがそういうものであるということは知っていて損はないと思われる。そして私が言いたいことはいつもここに行き着くのであるが、全ての犯罪や迷惑行為が許されないことは当然であり、時には厳重に処罰される必要性もあるであろうが、警察や裁判所はともかくも主にマスコミが、痴漢であるとかDV、ストーカー行為、セクハラなどの微罪報道に執着しているかにも見える熱心さで情報空間を席巻させる傾向が高い理由は、国民の生命、財産に深く関わる、私が言うところの口にすれば大地が激しく揺れるような重大な事柄から、国民の意識と注意を逸らせるための政治と一体化した情報操作の一環であるように思えてならないということである。まあこれも私がそう考えているだけで、皆さんがどのように感じられようとも、それはそれぞれの次元においての真理なのであろうと思われる。ただ私が述べていることは知識や考え方というよりも主に「意識」にかかわることなので、一般的に理解を広めることは難しいであろうが。