龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

政治の不正を論理的に追及せよ

そもそも強姦罪というものは、2017年に刑法が改正されるまでは「親告罪」であった。強姦における親告罪の意味は、性行為は通常は密室で密やかに行われるものであり、その行為において仮に身体的な怪我や精神的な苦痛があったとしても、第三者的に外形的に見て、そこに合意があったかどうか、犯罪に相当するかどうかは、当人の告訴や告発がなければ判断がつかない性質のものであるからだ。よって反対に言えば、その他の犯罪に比べて、強姦罪は客観的な物証や状況証拠よりも被害者の証言そのものが、警察の取り調べや司法においては信用性が高くて、重要な証拠として認められる割合が極めて高いということであり、それはこの犯罪の性質上、やむを得ないことだと考えられる。もちろんそうは言っても例外はある。たとえば被害を訴える女性が、覚せい剤などの麻薬を使用していて錯乱状態であったり、経歴的に万引きの常習犯で虚言癖があったり、それまでに自殺未遂を何度も繰り返していて精神的に不安定な状態であるようなケースでは、いくら本人が告発して訴えても、そういう人間の主張に全面的な信用価値を認めていたのでは、世の中が滅茶苦茶になってしまうであろう。よってそこは警察や検察の判断ということになるであろうが、結果的に不起訴処分になるパターンが多いのだと想像される。但し問題は、女性が麻薬常用者でもアルコール中毒でも虚言癖のある人間でもなくて、健全で明晰な意思判断能力を有している場合であっても、前回の記事で述べた通りに、性被害を訴える女性が、嘘をつくことが絶対に有り得ないということにはならない。非常にレアなケースであろうが、悪意でもって相手の男性を破滅させようと企んだり、何らかの恨みを晴らそうとしたり、示談金を出させようとするようなケースは可能性とすれば存在する。これは稀なケースであっても絶対に在り得ないということはないのであって、男性側からすればこのパターンに嵌り込んでしまえば、絶体絶命の窮地となる。いわゆる冤罪の落とし穴に嵌ってしまって、男性が無実を証明することが非常に困難となる。なぜなら通常であれば、親告罪としての性質上、或いは刑法が改正されて親告罪で亡くなった現在においても、明らかに女性の証言に信用性が著しく欠落していることが明白でない限りにおいては、レイプが告発されて警察に被害届が一旦受理されれば、性犯罪の厳罰化と言う流れにおいて、容疑者の男性が特定されている場合は例外なく逮捕、拘束され、拘留期間が2週間か3週間か、私は逮捕されたことがないので知らないが、女性の証言内容に沿った厳しい取り調べが行われ、男性が女性の証言通りに強姦を行っているのであれば、嘘を貫き通すことはほぼ不可能であろうし、仮に否認し続けても起訴されて、裁判になれば100%に近い確率で有罪になる。男性が無実である場合は、よほどの幸運に恵まれて女性の証言に重大な矛盾や意図的な嘘が露見した場合は、不起訴になるケースもないことはないのであろうが、通常は一旦逮捕されてしまえば、被害者女性の証言が絶対的に正しくて、嘘はないものとして受け止められ、多少の矛盾や祖語は性被害を被った女性の精神的なショックとして解釈されることであろう。ここにおいては、いわゆる自白偏重の取り調べ方法が冤罪を生む温床になっているという社会問題が提起されるべきであろうが、今回の伊藤詩織さんの問題は、その時点で容疑者であった山口氏が本来は逮捕されるべきであり、また逮捕状が裁判所から出されていたにも関わらず、なぜか急遽、逮捕の執行が直前に回避されたということである。刑事事件において、山口氏は同様のケースにおいては一般人であれば避けられない逮捕、拘留の取り調べにおいて、自らの無実、無罪を警察に証明した訳ではないのである。強引な自白偏重の取り調べが正しいのかどうかという問題は確かにあるし、それは無視してはいけないことであるが、そもそも逮捕して本格的な取り調べもしないで、山口氏が不起訴に相当するかどうかの判断がつく訳がないであろう。私のような素人が考えても明らかであるが、山口氏の場合は通常の取り調べをした上で、嫌疑不十分で不起訴になったのではない。逮捕が中止されたことが不起訴処分とセットになっているとでも言うか、不起訴にする目的で逮捕の中止命令が下されたものである。伊藤詩織さんのケースは厳密に言えば、強姦罪ではなくて準強姦罪であるが、その部分に焦点をあてて政治介入から目を逸らせようとするかの弁護士等の解説なども見受けられるが、まったくのナンセンスである。伊藤詩織さんが山口氏の主張通りに、仮に酒に酔っていて酩酊状態にあったとしても、伊藤さんは麻薬常用者でもなければ、アルコール中毒者でもないので、伊藤さんの証言の信用性が著しく欠落していると警察や検察が判断する訳がないのであって、親告罪としての性質上、いや親告罪でなくなった現在でも性犯罪の厳罰化の方向性においては、山口氏の逮捕が直前に見送られなければならない理由など何一つないはずである。まだこれが山口氏が逮捕されて、拘留期限目一杯の通常通りの取り調べが行われた上で不起訴にされたのであれば、そこに忖度や特別扱いがあったとしても、一応の手順を踏んでいる訳だから、筋が通っているというかその裁量に文句を付けることは難しいと思うが、逮捕が中止されたということの異常性については国民においてきちんとした説明責任が果たされなければならないことは当然である。しかしそれを山口氏に問うても何の意味もない。山口氏の立場上、刑事においては不起訴になっているのだから、政治家や官僚にお願いしましたなどと言える筋合いのものではないだろうし、仮にお願いして便宜を計ってもらっていたとしても、その依頼自体は恐らくは違法行為には該当しないであろう。これは本来は国会で追及されるべき問題なのである。国会はそのためにあるのではないのか。報道もそのためにあるのではないのか。要するに日本には、本当の意味での政治も報道も未だ存在しないということである。全ては体裁よく取り繕われた馴れ合いなのだ。日本の馴れ合い体質が、安倍総理のお友達政治を生み出しているのだから、司法にも報道にも責任はあるということだ。